「ゆりな、行ってらっしゃい」



赤色のチェックのエプロンをつけたお母さんが、玄関までお見送りに来てくれた。


本当はお母さんはまだ朝ごはんの途中だけれど、こうやって食事中にも関わらずわたしが靴を履き終わるまで、笑顔を浮かべながら待っていてくれる。


そして、なにか言いたげな顔をするけれど、その言葉を心の中にぐっとこらえるようにして



「学校、楽しんできてね」



それだけの短い一言を言うと、わたしの肩をトントンと2回軽くたたく。


だからわたしもお母さんに「行ってくるね」とだけ言うと、力ない笑顔を見せて立ち上がり、家の外へと一歩を踏み出す。


本当はお母さんにも言いたいことがたくさんあるということを、わたしは知っている。


だけど、毎朝なにも言わずいつもどおりに見送ってくれる。


そういった気遣いのある優しさが胸をぎゅっと締め付けて、玄関のドアが閉まった瞬間、なんだか少し泣きたくなってしまう。


下を向いてしまうとすぐに涙が足元に落ちてしまいそうになるから、わたしは目を細めて空を見上げた。


晴れていても少し暗いような気がするのは、冬特有の感覚なのかもしれない。


柔らかく照らし続けている太陽に手をかざしながら、ちょっと無理矢理にでも口角を上げて笑ってみせる。



よし、この調子で今日も頑張るんだ、わたし。



そう自分に言い聞かせるように小さな声に出してみると、どうにか今日もやり過ごせるような気がした。





教科書やノートが入ったカバンは、ずしりと重たい。


本当にこんなに必要だったっけ・・・・・・?


わたしはもう一度、肩紐をぎゅっと握りしめると、ゆっくりといつものバス停へと向かった。


冬の太陽の日差しは心地がよくて、夏の照りつけるような暑さもない。


わたしは夏に生まれたけれど、気候も行事ごともやっぱり冬の方が好きな気がする。


それに冬になると「もう少しで学校も終わるんだ」って、やっと安心できるから。


だけど、すぐに春がやってきてしまい、また新しい学校生活が始まってしまうのだけれども・・・・・・。


わたしの家は最近できたばかりの住宅地にあるせいか、周りを見渡しても同じような家ばかりが立ち並んでいる。


近くには小学校もあってバス停に向かう途中、カラフルなランドセルを背負った小学生と何人もすれ違うことが多い。


男の子と女の子が2人で一緒に登校している姿を見ると、なんだか微笑ましく思えてほっこりしてしまう。


きっと自分にもあんな時代があったんだろうなって思うと、小学生の頃に戻りたくなってしまうのが本音だけれど。


バスは一般のお客さんも乗るけれど、朝の通学時間はほとんど同じ学校の生徒が乗っているためか、スクールバスみたいな感じになっている。


だからみんなバスの中では小テストに向けて英単語の勉強をしたり、宿題をしたりと勉強をしている人が多い印象。


わたしはこのバスに乗ると、毎日単語帳を見ながら学校へ向かうということが、高校に入学してからのルーティンになっている。


まぁ、正確に言うと眺めているだけ、といった方が正しいのかもしれないけれど、やらないよりはマシだって思って続けている感じ。


家から学校までは30分くらいあって、途中でとまるバス停ではたくさんの生徒が乗ってくる。


始発近くでバスに乗るわたしは毎朝椅子に座れるけれど、最後の方はぎゅうぎゅう詰めで、みんな取り合いのように吊り革を握っている。


そんな姿を見上げていると、都会の通勤電車の光景が頭に浮かんできて、大人になるって大変なんだろうなって思ってしまい、いつまでも子どものままでいたいって考えてしまう自分は甘いのかな。


バスに揺られている時間が、わたしは1番居心地がよかった。


1人でいても変な目で見られることもないし、みんなから浮いてしまうこともないから。


唯一、気楽で、安心できる自分だけの空間。


だからバスの中にずっと乗っていたいって思っていた。


だけどそういうわけにもいかなくて、学校に着いた瞬間、一気にわたしの全身にピリピリとした緊張がはしり、猫背で曲がっていた背中がピンと伸びる。


これから戦場に向かう戦士みたいに、気が張り詰めてしまい落ち着けない。


足を一歩を踏み出すだけで地雷を踏みつけてしまうような恐怖に襲われて、心臓がバクバクとうるさくなる。


みんなはきっと学校に来るだけでこんなにも緊張しないだろうなっては思うけれど、そんなのわたしには無理。


落ち着かないし、疲れ切ってしまうし、怖いし、地獄としか言えない。



だからわたしは本当は、学校には行きたくない。



学校に着いたらまずわたしは、誰の邪魔にもならないように、隠れるようにして上履きに履き替える。


友だちにも、先生にも、先輩にも、後輩にも。


誰にも見つかりたくなかった。



教室に向かう足取りはとても重たくて、廊下から伸びてきた腕にしっかりと脚を掴まれているような感覚に襲われてしまう。


同じバスから降りてきた別の生徒がおしゃべりしながら歩いている姿が視界に入っても、一瞬で足元に視線を落として見ていないふりをする。


いつもこうしているからか、今ではだいたい気配で誰だかわかるようにもなった。


だから無理に顔をあげて歩く必要もないんだって自分を励ましながら、少しずつ教室へと向かう。


わたしなりには一生懸命勇気を振り絞っているつもりだし、これ以上頑張れないっていうくらい頑張っているつもりだった。


だけど、どんなに必死になっても、いつもの声はすぐにあちらこちらから聞こえてきてしまう。



「ゆりなが来たよ」


「相変わらず影薄いよね」


「だからいつまでも友だちができないんだよ」


「ちょっとそれ言い過ぎ。ウケるんですけど」



そうやって誰の耳にもはっきりと聞こえるほどの悪口との笑い声が、クラス中に響き渡る。


もちろん聞こえないふりをして自分の席に座るけれど、わたしに心配や励ましの声をかけてくれる人は、誰もいない。


だからいつも、家から持ってきた小説を読みながら、授業が始まるチャイムが鳴るのをただひたすら耐えながら待つしかなかった。


チャイムが鳴るとみんなはおしゃべりがまだ物足りなさそうな顔をして自分の席に戻るけれど、わたしにとってそのメロディは天使が鳴らす鐘そのもの。


だって、孤独と闘い続けなければならない時間を、強制的にでも終わらせてくれるから。


たぶん、わたしの学校生活はこれからも先、このまま変わることはないと思う。


だからわたしはみんなに嫌われていても、悪口を言われても、耐え続けるしかないんだろうなって思ってはいる。


だって今のわたしには、自分からこの状況をどうにか変えられるほどの勇気なんて持ち合わせていないのだから。


ただ、小さなうさぎみたいになって、茂みの中に隠れながらみんなの様子を遠くからうかがうだけで精一杯。


こんな自分なんて本当は大嫌いで、いなくなりたくて、消えてしまいたくて。


みんなみたいに笑って、おしゃべりしてっていうごく当たり前のことが、どうしてこんなにも難しいのだろうって思うと、涙が溢れ出してきまいそうになる。


だけど、多分原因はわたしにあるんだと思う。


はっきりとしているわけではないけれど、わたしはみんなにとって迷惑な存在なんだろうなって。


わたしは机に頭を伏せて、大きなため息をついた。


悪口が聞こえてくる教室は本当に居心地が悪くて、今学校に来たばかりなのに早く家に帰りたくて仕方がないって思ってしまう。