「っす」

こんぱるはいつものドアをくぐる。薄暗い店の中には先客らしき住人が数名いた。

「お~こんぱるくん」
「やぁ久しぶりだねぇ」

こんぱるの姿を見つけるなりあたたかい笑みを浮かべたのはリーダーの陽翔とアラカワだった。アラカワの頬骨がほんのり赤く染まっていることから既に二人は酔いが回っているらしい。その証拠にカウンター席のグラスは氷が溶けて呑みかけのウイスキーと琥珀色に混ざり合っている。

「何飲むの?奢るよ」
「いやいいよ、自分で払う」

こんぱるはバッサリとアラカワからの好意を断ると、「甘くないカクテル一つ」と注文して一つ席を開けたところに座った。
も~相変わらず可愛くないなぁなんて呟いている陽翔は言葉とは裏腹に楽しそうに笑う。

「そういえばノンアル辞めたの?」
「いや、完全にじゃない。けど……時々アルコールがないとやってられない日がある」

ふいっと顔をそらすこんぱるにはどこか哀愁が漂っていた。何か辛いことがあったんだろうか、異様な雰囲気にはアラカワも気づいており二人で目配らせすると明るい口調で問いかける。

「それはそうと、こんぱるくん香水変えた⁈」
「あー……どうだろうな。そういえば少し配合を変えてもらったかもな」
「前より爽やかになったねぇ」

洞察力が頭一つ抜けている陽翔には彼の振る舞いがから元気だということが容易に分かると同時にある一つの考察が頭に浮かんだ。
月命日。
彼の大切にしていた少女の亡くなった日はこんなような暖かな夜だった気がする。

「……何のお花添えてきたの?」

彼はその言葉を囁かれた瞬間目を見開いて硬直した。大体の香水では香りが人工的に作られている。しかし、今の彼のスーツからは生花の爽やかさの中に青臭さと甘さを感じる匂いが漂っていた。

「誰が言うか」
「ふーん、それじゃあお花お供えしたのは本当のことなんだねぇ」
「……っ」

こんぱるは自分がカマを掛けられていたことに気づき、尚且つ返答が見事に墓穴を掘ってしまった事実を知った。
諦めた表情のあと、顔を俯きながら答える。その声は掠れていて、僅かに首筋が赤かった。

「ネリネ……」

ネリネ、確か桃色の線香花火のような花だった気がする。花言葉は確か……

「また会う日まで、だっけ」
「うるせぇ……恥ずかしいから声に出すな」
「んふふ、照れてるの珍しいからついつい」

こんぱるは不機嫌顔で悪態をつくがその顔は赤い。

「ねね、こんぱるくんはどういうところが好きだったの?」

二人は嫌がるこんぱるをにやにやしながら問い詰める。こうやって笑いながら過去の話をできることが滑稽であり愛おしい。過去形で語られる彼女の名を聞くと、もうあの少女には会えないという事実が実感させられた。
あれから三杯くらい呑んだだろうか。アラカワとこんぱるは途中で酔いつぶれてしまって、なんとか自我を保てているのは陽翔だけになった。二人の肩にブランケットを掛けた陽翔は久しぶりに頭に霞がかかったような感覚になりながら道を歩いた。ぼうっと何を考えることもなく、真っすぐ進むといつもの分岐点がある。右に行けば皆の家、左に行けば森へと繋がる道だ。陽翔は少し迷った後、もう一度道を引き返した。閉店間際の花屋にふらっと立ち寄りそれっぽい花を数本買うと、「ありがとうございましたぁ」とへにゃへにゃな声で店を後にする。迷いなく選んだのは左の道だった。
月夜に照らされた一本道は淡く光っていてまるで何処か知らない場所へ誘われてしまいそうだと思った。
茂みをかき分けると、その場所はすぐに見つかった。木も雑草もそこを避けるように、小さな花だけが咲いている一角。ここで泣きじゃくるこんぱるを見たのが一カ月前なんて嘘みたいだ。時の流れは速すぎる。
陽翔はゆっくりと近づくと手を合わせ、買った花を切り株に置いた。

「どお?ミモザ、センスいいでしょ。この時期には中々取り扱ってないみたいなんだけどね。まぁ何せここは不思議な世界だから何でもあるみたいだよぉ」

花屋に入ると、まるで陽翔が来ることが分かっていたかのように黄色い花が視界を埋め尽くした。それが何かの縁だと思い、陽翔はほぼ即決でこの花を選んだのだ。

「ミモザってねぇ、感謝とか友情とかの意味があるんだよ。小さくてぽあぽあしてるのもちょっとむーちゃんに似てて可愛いよねぇ」
「……」
「元気にしてる?こっちは心配しなくていいよ。お陰様でこんぱるくんは元気だからさぁ」

まぁ返事はないかぁ、分かりきっていた言葉が零れる。その場を包む静寂は変わらず、降り続けるのは柔らかい月光だけだった。けれどきっとむすびはどこかにいる気がする。木の陰からひょっこり顔を覗かせて「久しぶり~!」と元気に飛びついてくるかもしれない。しかし現れないのなら、まだその時ではないんだ。むすびは気まぐれな上に頑固だったからなぁと懐かしい思い出が溢れだしてくる。

「じゃあね、また来るね」

陽翔が軽く手を振ってその場を後にしようとした時、空中を舞う花粉が金色に光った。光を辿り光源を探すと、切り株の裏に白い模造紙に包まれた花束があった。そこから覗くのは赤い花弁だ。陽翔はこれが誰から送られたものかすぐに気づいた。

「ネリネ……全く素敵なものを送るねぇ、こんぱるくんは。……あれ?」

陽翔は違和感を覚える。ネリネに隠れて三本ほど青い花が見えた。悪いと思いながらも好奇心には勝てず、そっと白い花をかき分けるとその花は青く透き通っていた。

「あぁ、これは」

その名を口にしようとした瞬間、喉の奥から熱いものが込み上げてきて乾いた息だけが零れた。陽翔がこれ以上言葉を紡ごうとすると涙が溢れてしまいそうだった。何も見なかったことにしたいが、たった三本の花は陽翔の記憶へ強烈に焼き付ける。
夏が終わるというのに、まだ蒸し暑い。こめかみを伝う汗に紛れて、目尻から滲む涙が一つ滑り落ちていった。




勿忘草(ワスレナグサ)
花言葉:「私を忘れないで」「真実の愛」