「こんぱるくん」
「……陽翔か。急にどうした?」

突然玄関のチャイムが押され、慌ててドアを開けるとそこには少年がいた。最近は住民の名前や特徴を書いたリストを作って、毎朝それを読み込んでいる。俺の記憶障害は生涯続くかもしれないが、毎日のトレーニングで少しずつ改善してきたように思える。
レモンスカッシュのような鮮やかな髪色、優しい口調は陽翔という少年だったような気がするのだが合っているだろうか。

「どーしたのぉ?そんな眉間に皺寄せてぇ」
「いや……アンタ、陽翔で合ってるよな」
「合ってるよ!!けどどうして分かるの⁈もしかして……?」
「いや……ちょっと最近頑張ってるだけで……」

期待を含むキラキラとした眼差しにいたたまれなくなった俺が視線を逸らすと、それでも陽翔はあたたかい笑みを浮かべた。調子狂うんだよ、そういう反応されると……。頬に赤みが差すような感覚がして俺は慌てて本題に移るよう誘導する。

「あ、そおそお。今日来た理由はねぇ、むーちゃんの遺品処理をお任せしたいなぁって思って」
「むすびの遺品処理?むすび、そんなに物持ってたか?それになんでこのタイミング、」
「家具とかはそのままでいいんだ。けどちょっとした小物はやっぱりこんぱるくんが持っていた方がいいかなぁって。勿論邪魔だったら他の住民が争奪戦のように引き取りに立候補すると思うけど」
「渡すわけねぇだろ、全部引き取るよ。んで、俺の質問に答えてくれ。なんで突然そんなことになった?」

陽翔はその言葉にびくっと肩を震わせる。なんだ、そんなに後ろめたいことがあるのか。意図せず俺が圧をかけていたのか、俺の訝し気な視線に耐えられなくなったのか、彼は口を割った。

「ごめん、実はむーちゃんの部屋に新しく住民さんが来るらしいんだ」
「……は?」

何故わざわざむすびの部屋に……?まだまだ全然空き部屋はあるはずだ。誰かが仕組んだとしか思えない。

「今日明日で来る予感がするんだけどね、ここ数日同じ夢を見るんだぁ。見たことのない背の低い子がむーちゃんの部屋を指さしてここじゃなきゃ嫌ってねぇ……。むーちゃんなら許してくれるかと思ったんだけどやっぱり駄目かな……?」

俺は一瞬言葉が詰まった。ここはすぐにうんと頷くべきなんだろう。けれどそう簡単に判断できないのは最愛の人との思い出が詰まっているからだ。
君は許してくれるだろうか。
そんなことを思い浮かべて、頭を振る。いや、むすびはここで俺が拒絶する方が嫌だろう。優しい君は自分の部屋に他の人がいる程度で怒ったりしない。

「……これで俺が拒否って小さい子泣かせたら、それこそむすびに怒られるな」
「ふふっ、こんぱるくんならそう言ってくれると思ったぁ」
「すぐ片付けに行く。ダンボールはあるか?」

俺が尋ねると、もう用意してあるよと返事が返ってきた。
陽翔が部屋を出ていく瞬間、立ち止まり俺の方を振り返る。俺が首を傾げると、彼は今日見た中で一番優しい顔を、そして一番切なそうな顔をした。

「一途だね」

俺はその言葉に同じ表情を浮かべて笑い返してやる。

「うるさい、アンタの方がよっぽど一途だろ」

その後準備をしむすびの部屋に入った俺は驚いた。予想はしていたが、こんなにも荷物が少ないとは。
埃一つ無いフローリングの床は俺が通ることで汚してしまわないかヒヤヒヤするほどだった。
棚に飾ってある植物の鉢には小さく「小梅」「陽翔」と刻まれているのでその二つは本人に渡すとして俺の視線は机の真ん中にある小さな本に吸い寄せられた。
青い革の表紙を捲ればページの一枚目に「むすびの秘密日記」とある。

「むすびの……日記?」

あのノーテンキな性格のむすびと日記なんて全く結びつかない。
そこからの記憶は殆ど無い。俺は取り憑かれたようにページを捲る。捲って捲って捲って捲って捲って捲って、捲って。
辿り着いた裏表紙はシミが幾つもあった。何かを零したようなあとだった。俺の目から落ちたものがシミに重なる。
むすびも同じ気持ちだったんだろうか。
真実は分からない。
ただ、これだけは言える。
俺の手元に巡ってきてくれてありがとう。

「案外…俺は諦めが悪いんだな」

この世界に来たときには何も要らないと思っていたのに、君に出会ってから俺は欲張りになってしまったようだ。
さぁ涙を拭いて作業の続きをしよう。君が生きた証を俺が目に焼き付けながら思い出とするんだ。
全部をピカピカに磨いた。
気づけば夜は更けていた。





次に目覚めると俺は自分のベットにいた。どうやって戻ってきたのかは覚えていない。カーテンから陽の光が差し込んでいる。おそらく今は午前10時くらいだろう。無性にカクテルが飲みたくなって、金糸雀でも誘おうかとベットから起き上がり家を出た。

「あ……え……」

小さな声が足元から聞こえて俺は驚きながら視線を下にする。
玄関先には呼び出しのベルを鳴らそうか悩んでいる少女が大きく目を見開いてこちらを見上げていた。
誰だ?俺の知ってる奴か?
和装のような服を纏う、オッドアイの幼女。身長はむすびよりも小さい。
しかし、こんな特徴の少女リストには該当しなかった。

「誰だ、あんた。俺になんか用なのか?」
「……お姉ちゃん」

おもむろに呟かれたに俺は首を振る。俺は女じゃねえよ。けれど彼女の焦点はこちらにあっていない。何を考えているんだ、一体。

「こんぱる……さん?」

え……
何で俺の名前を知っているんだ。まさか、また記憶障害が悪化した?
彼女は依然、取り憑かれたように焦点の合わない瞳をこちらに向ける。

「お姉ちゃんがこんぱるさんのことを呼んでる」
「……どういうことだ」
「頭の中にいるお姉ちゃんが、『久しぶり、こんぱる』って……」

彼女の言葉はその瞬間、ある人物の声で再生された。
青い髪の少女、振り向くとふわりと風に広がったスカートと微笑みを浮かべた表情がぎゅっと俺の心を掴む。

「アンタ、名前は」
「ゆおは、結織だよ」
「結織、アンタの姉さんの名前を……聞いてもいいか」

少女は一息、間をおいた後ゆっくりとその名を口にした。

「むすびお姉ちゃん」



『こんぱる、久しぶり』



君の声が聞こえたのは幻聴なのか。
俺はこの先、不思議な少女に翻弄されそうな予感がした。