すうっと目を開ける。咲き乱れる茨、一面に広がる緑の芝生。見慣れた景色、ここはいつもの庭だった。
ただ一つ違う。私は宙に浮いていた。
ああ、そうか。死んじゃったもんね私。もうこの世界にいないもんね。
じきに天国へ連れていかれるだろう。今は神様がくれた猶予期間なのかもしれない、それとも私には死んでも尚やらなければいけない使命があるのかな。
一人でいるのは寂しいので庭の薔薇をくぐって住人を探すことにした。ゆっくりと進んでいくと遠くから誰かの声がする。私は導かれるように音を辿った。

「みゃーも!!」
「駄目ですよ魅夜さん。昨日も飲んだでしょう」
「そうだよ、魅夜ちゃん。そろそろ肝臓悪くしちゃうよぉ。まぁ僕らに肝臓があるのかよく分からないけどねぇ。よもぎ先生は何か知ってる?」
「どうでしょう。解剖なんて出来ませんからねぇ」
「僕してみましょうか‼ここは金糸雀くんとの共同研究ということでっ‼」
「金糸雀を巻き込むな。そしていい加減暴走するのは辞めてくれマキ」
「えぇ……?アナナスくん酷いですぅぅぅ」

そこにはみんながいた。ピクニックをしているようだった。到底全員が収まりきらないサイズのレジャーシートに大人も子供も関係なくぎゅうぎゅうずめに座って飲み物片手に笑っていた。
風が吹くと薔薇の花びらも舞って誰かの頭に乗る、それを皆が笑う。
穏やかな時間だと思った。私は変わらない光景にほっと胸を撫でおろす。
これで心残りはないよ、神様。遠慮なく私を連れてっていいよ。
ぼうっとそんなことを考えていると花壇の陰に隠れている人影を見つけた。目を凝らしてみるとそれは最期に見たきりのこんぱるだった。暗いところから皆を見つめている。何か言いかけたような口、踏み出しかけた足を再び戻して首を振る。
迷っているようだ。
私は後ろから彼にゆっくりと近づく。背中を押す手はすり抜けてしまった。私はそれでもしょうがないかぁと思いながら君を追い抜いた。
進む、進む、君より前へ。
光の方へ。
後ろから息を呑む声が聞こえても振り返らずに皆のいる場所へ歩いた。あたたかい声に包まれたとき、私はようやく振り返る。
ああ、そんなに辛気臭い顔して。笑ってよ、こんぱる。笑えるでしょ。
私は手招きをする。

「こっちおいでよ!」

君はどうしてと震える唇を動かして目を見開く。
君がいるべきなのはこっちだ。

「む、すび……」

幻覚だと思ってくれていいよ。信じられないよね、私だって今も夢みたいなんだ。
けれど、どうやらこれが私の最後の役目。
君を光の当たるところへ導くの。
君は皆の輪にいていいんだよって教えるんだ。

「私を失ったって君の未来はなくならない。私が死んだときも日は上って月は沈んだ、時は止まらないし君はまた一日一日を積み重ねなきゃいけないの」

前に進めとは言わない。少しは後ろ向きに進んでもいい、悲しみに浸っていいよ。
けれど立ち止まることは許さない。
呼吸をして一歩踏み出して「おはよう」と声を掛けるだけで何か変われるんだよ。
君は生きてるんだから。今よりもっと、ずっと、幸せになれるんだから。

「こんぱる!」

目の前の白い頬から涙が一つ零れた。
君は周りが見えていないようだ。躊躇いもせず、私の元へ駆け寄ってくる。私の手を引こうとした君の腕は……宙をきった。
掠めたことでようやく正気に戻った君は、驚いた顔で周りを見渡す。
談笑していた全員が会話を止め、彼を凝視した。

「えっ、こんぱるくんどうしたの⁇」
「こんぱるさんどーした⁈お腹いたのか?」
「どこかいたいのぉ?だいじょぶ?」

涙を零すこんぱるを心配する声が囲む。最初は戸惑っていた君だが、やがて目を擦って小さく笑った。

「いや……何でもないんだ。ただ……一人はやっぱり寂しいってあいつが教えてくれたから……」

一瞬、静寂が彼らを包む。皆がハッとした表情で顔を見合わせる。信じられないと口々に戸惑いの声がこだまする。

「俺、皆のこと覚えていられないし、俺にしてくれた親切も楽しい思い出も忘れてしまう」

ざわめきがその言葉で静まる。皆真剣に話を聞いていた。笑う人なんて一人もいなかった。

「けど……本当は誰かと笑いあいたい。他愛無いことも話したい。くだらない悪戯も一緒にして、怒られたい。もう記憶がなくなってしまうことを恐れて、自分の幸せから逃げたくないんだ」

真っ直ぐな瞳に私はいない。
それでいい、それがいい。
私のことに必死になっているこんぱるよりも、色んな色を色んな景色を沢山の仲間をその澄んだ瞳に映しているこんぱるの方がずっとずっといい。
心配は不要だったみたいだ、私はゆっくりと気配を消して空へ昇る。

「許してくれるか、俺の我儘を」

俯いて問いかける君。
震える肩に手を置いたのは陽翔だった。顔をあげてと穏やかな声が誘導する。

「当たり前でしょ。それは我儘なんかじゃない、家族だもん。許すも何もないよ。一緒にいられて嬉しい、ありがとう」

その言葉が合図とばかりに皆が彼を抱きしめる。「当たり前だよぉぉぉ」「大好きだよ」「いっぱい話そう!」そんな声が地上から聞こえてきた。君は赤い縁の目を幸せそうに細めて笑う。
よかった。
今度こそ私は空の上へと昇っていく。薄れゆく意識の中、昔のことを思いだしていた。
私はどうしてここの住人は死んでしまったら花と石になるんだろうってずっと思っていた。
ニンゲンみたいに死体が残れば故人を偲ぶことだってできるのに、亡くなってすぐ体が無くなっちゃう私たちには悲しむ間もない。
けれど今なら分かる。きっと私たちは体を失ったってずっと繋がっていられる。
死後硬直も、腐ることもなく死んだ後も美しい私たちは、皆の傍に花と石という形で一緒に居れる。
そして見守るんだ。悲しんでないかなって、みんな幸せかなって。
時々思い出してもらうんだ。風に揺れる花に向けて、光に透ける宝石に向けて、「そっちは元気?」って。
私たちは繋がることができる。
だからばいばいなんて言わないよ。今度はずっとずっと一緒だ。

「またねっ!」

私は満面の笑みを浮かべたまま、青い空に吸い込まれていく。
会いたくなった時は上を見上げてごらん。
いつでも幸せを願ってるよ。
私の愛おしい家族たち。