すらりとした高身長に、二重で切れ長の瞳。形のいい口元には色っぽいほくろまで備え付けてあって、まさにちやほやされるために生まれてきたような顔をしたその人は、茅野チトセという女子に絶大な人気を誇るクラスメイトである。
登下校の際、様々な制服を着た女の子たちが競うように彼に告白するさまを、私は何度目撃しただろう。
私とは無縁のひと。生きる世界がまったく違うひとだ。
そんな誰もが憧れる王子様は、あらためて私に向かい合うと、涼やかな顔をして言った。
「大場ってさ、Re:STARTのAMだよね?」
突然綺麗な唇から放たれた予想外過ぎる言葉に、私は「は?」と間の抜けた声を漏らした。
Re:START。AM。
それは、必死に隠し通してきたはずのもうひとりの私。大場あみとは別の人格。
それなのに、どうして……。
突然のことに、頭が全然追いつかない。
『――大場ってさ、Re:STARTのAMだよね?』
完全に切り離されていたはずのふたつの人物像が、彼の放った言葉でぴたりとつながる。
バレた。
意味を理解した瞬間、顔面からサーッと血の気が引いていく。
「な、なんで……」
上擦った声が出た。青ざめるというのはこういうことか、と私はそのとき初めて自覚した。
「AMのアカの画像ってコスプレのやつしかないし、今の大場とは瞳の色も髪の色も違うから、よく見ないと分かんないけどさ。ずっと似てるなぁって思ってたんだよね」
そう言うと、茅野くんは一歩踏み出して、私の顔を覗き込んだ。
「!」
「ほら。目の形も、鼻筋も唇の形も。前髪で上手く隠してるけど……」
近い!
私は反射的に茅野くんの頬を平手打ちした。ぱん、と小気味よい音が静かな保健室に響く。
「いって……」
茅野くんは叩かれた衝撃で顔を背け、呻いた。
手のひらに痺れが走ってようやく、しまったと思った。
「……あ、ご、ごめんなさい! 大丈夫?」
どうしよう。やってしまった。
「うん、いや。……俺こそいきなりだったから」と、茅野くんは怒るでもなく、笑って少し赤くなった左の頬を搔いた。
冷静な彼とは裏腹に、私はパニックになっていた。
どうしようどうしようどうしよう。このままではまずい。
交友関係が誰より広い茅野くんにバレたとなれば、私の秘密なんてあっという間に学校中に知られてしまう。
「あ、あの……お願い、このことは」
黙っていてほしい、と言おうとしたけれど。私の言葉は続かなかった。私の言葉に被せるように、茅野くんが言う。
「でも、確信したよ」と、茅野くんはにやりと笑う。
王子様らしからぬ怪しげな笑みに、どきりとする。
「動画のAMの声と大場の声、そっくりだ」
「!」
息を呑む。茅野くんの視線は、まるでメデューサのそれのように私の体をがんじがらめにした。
絶望した。
ダメだ。もうごまかしはきかない。終わった。私の平穏な青春、終わった……。
「ねぇ、大場ってさ、やっぱりAMだよね?」
素直に認めて口止めするか、それとも違うと言い切るか。
頭が真っ白になって、今の状況で正しい判断なんて分からない。
私は激しく動揺したまま、茅野くんの整った顔を呆然と見つめ返した。
「おーい、大場?」
茅野くんが私の顔の前で片手を振る。私は弾かれたように立ち上がると、勢いよく頭を下げた。
「お願い! 誰にも言わないで」
こうなってしまえばもう、黙っててもらうしか道はない。突然頭を下げた私に、茅野くんは驚いたのか、しばらく黙り込んだ。おずおずと顔を上げると、茅野くんは私を見て眉を八の字にしている。
そして、
「なんで?」
意味が分からない、とでも言いたげな顔で私に訊ねた。あまりにも軽い響きの言葉に、胸の奥がわっと熱くなる。
「なんでって……そんなの、バレたくないからに決まってるでしょ」
「うん。だから、なんでバレたくないの? AMってネットでめちゃくちゃ人気者じゃん。みんな、大場がAMだって知ったら驚くんじゃない?」
けろりとした口調で茅野くんはそう言った。
なんにも分かっていないのだな、と怒りを通り越してもはや呆れてため息が出た。
このひとには、私の気持ちなんて分からないのだ。陰キャの私の気持ちなんて、絶対に。
「……茅野くんには関係ない。とにかくバレたくないの! だから、お願い」
一層強く言うと、茅野くんは少しだけ不満そうな顔をした。
「そうなんだ。ふぅん……でも、どうしよっかな」
「どうしよっかなって……」
茅野くんは、お気に入りのおもちゃを見つけた子供のように楽しげな声で言う。
「このこと知ってるの、もしかして俺だけ?」
「そう……だけど」
「へぇ、そっか」
笑顔が黒い。にこにこした茅野くんとは対照的に、私は絶望的な気持ちでその整った顔を見つめた。
「……お願いします」
私はどうしても、みんなに正体を知られるわけにはいかない。だって、バレたらあの日々が戻ってくる。
あの地獄のような日々が……。
想像しただけでも怖くてたまらなくなる。私は祈る思いで再度頭を下げた。
すると、茅野くんは小さくため息をついたあと、吐息混じりに言った。
「いいよ。その代わり、連絡先教えてくれない? そしたら黙っててあげるからさ」
「……え? れ、連絡先?」
顔を上げて茅野くんを見つめながら、私は意味が分からずに瞬きをした。
「そ。連絡先。大場もRINEくらいやってるでしょ?」
RINEとは、Re:STARTとはまたべつのメッセージ交換アプリだ。
「まぁ……」
もちろん、私もやってはいるけれど。でも、私と茅野くんは友だちでもなんでもない。それなのに、どうして私のIDなんかほしがるのだろう……。
「ね、教えて?」
だからなんで、と思いながらも、茅野くんの恐ろしく美しい笑顔に気圧され、私は小さく頷くことしかできない。
これがもし、普通のシチュエーションで囁かれたのなら、また気分が違ったかもしれないが。今の私にとって、彼の王子様スマイルはただの脅しに他ならない。
「分かった……」
渋々了承し、ポケットからスマホを取り出す。
「やった! 大場のIDゲット!」
茅野くんは、なぜか私のIDをゲットして喜んでいる。
私はといえば、アプリに登録された名前と整った横顔を交互に見やり、ため息を漏らす。
「……あの、本当に黙っててくれるんだよね?」
「おう」
恐々と訊ねると、茅野くんは弾ける笑顔のまま頷く。
「…………」
本当だろうか。
彼と私の明らかな温度差に不安になる。
彼の笑顔は軽くて、どこか怖い。変なことを企んでいないといいのだが。
昼休みの終了を告げるチャイムが鳴る。
「あ、じゃあ放課後連絡するからな! ……無視はダメだからな」と、茅野くんはお得意のスマイルを残して先に保健室を出ていった。入れ違うように、養護教諭の先生が職員室から戻ってくる。
「あぁ、大場さーん! そろそろ午後の授業始まるけど、どうする?」
「あ、はい……。もう行きます」
慌ててベッドから這い出し、制服の乱れを直した。気は進まないが、こんなことで休むのはダメだ。
「そう。無理はしないで、頑張ってね」
「ハイ……」
養護教諭の先生は私の事情を知っている。だからいつも、とても優しくしてくれる。
先生の優しい微笑みに、ほんの少しだけ心が和らいだ私は、一抹の不安を抱きつつも茅野くんがいる教室に戻るのだった。