初めて訪れるレイリアは、ノアが思っていたよりずっと大きな都市だった。
 シーヴを象徴するカラーは濃いブルーだったが、レイリアを象徴するのは淡いグリーンだ。
 屋根や窓枠、メインストリートの石畳など、ところどころにさりげなく同系色が使われているし、都市内のいたるところに草木が植えられていた。緑と調和した古い建物が立ち並ぶ様子は、知恵の都としての歴史を感じさせた。
 ただ、残念ながらというべきか、都市の広さに比べると圧倒的に人が少ない。
 都市全体が熱気と喧噪に包まれていたシーヴとは違い、昼間だというのに通りには人がまばらだ。
 よく言えば街全体が落ち着いていると言えなくもないが、どことなく影のある雰囲気がノアは気にかかった。
「素敵な街並みだね、緑も多いし穏やかだし」
「あはは、気を遣わなくて大丈夫だよ。昔はもう少し活気もあったんだけど、今はこんな感じなんだよね」
「人があんまり多くないのは、色々あるのかもしれないけど、街並みは本当に素敵だと思うよ」
 ノアの素直な感想だった。エミリーが少しだけ表情を崩す。
「ありがとう、ノアはあの頃から変わらず優しいんだから」
 ノアがエミリーと出会ったのは、十年以上前の話だ。
 両親を早くに亡くしたノアは、少年時代のほとんどをシーヴの孤児院で過ごした。
 父方の親戚はすでにおらず、母方の親戚にも事情があって頼れなかったからだ。
 エミリーの家は、孤児院のすぐ近くで商店をやっていた。ノアが出会った頃のエミリーは、商店の娘という恵まれた境遇にもかかわらず、いつもうつむき加減の物静かな少女だった。
 エミリーには年の離れた兄がいたが、商店を継ぐのが嫌で出ていってしまった。
 両親はひどく落ち込み、それから、エミリーに矛先を変えた。商店の跡取りとして、兄以上の厳しいしつけや教育が施されたのだ。
 エミリーはギルドに憧れを抱いていたが、実家の厳しいしつけと両親の期待を一身に受け、それを言い出せずにいたのだ。
 商店から孤児院へ日用品や食料品が納品されるにあたって、商店側の手伝いをエミリーが、孤児院側の手伝いをノアがやっていたことで、同い年だったこともあり、二人は少しずつ仲良くなった。
 最初の内は、ふさぎこんでいたエミリーをノアが一方的に構っている様子だったが、次第にエミリーも笑顔を見せるようになり、お互いに信頼するようになっていく。
 孤児院にいながら、将来の夢をきらきらした目で語るノアに同調するように、エミリーも少しずつ、自分の夢をノアに話すようになっていった。
 二人が十五歳になる年、ノアはギルドへの加入を機に孤児院を出て、シーヴの端にある小屋での一人暮らしを始める。同じ時期にエミリーは、一家で故郷のレイリアへ越すことになった。
 それから約二年のときを経て、二人は昨日、数年ぶりの再会を果たした。
「とりあえず、荷をおろしちまわないといけねえから、適当にやっててくれ。なるべく早く終わらせてギルドに連れてくからよ。そのまま長期滞在の申請もやっちまおう」
 エミリーからレイリアの歴史や街並みの説明をあれこれと受けていたノアのところへ、パイクがやってきた。
 数日ならともかく、一定期間以上の滞在や、その都市に住もうと思うのなら、まずはギルドへ相談するのが早道であり、ほとんど義務のようなものになっている。これはほとんどの都市で同じ話だ。
 毛色の違う一部の都市を除けば、大抵の都市には、都市の名を冠したギルドと、一般市民による議会とが存在している。
 ギルドがそのまま都市の力を表していることは事実だし、影響力がもっとも強いのは間違いないが、ギルドの独裁のようになるのはよろしくない。
 そこで、都市としての方針やさまざまな課題を議論する場として、議会が設けられるようになった。
 議会で決定した方針や課題を受けて、ギルドに課題の解決が依頼される形が確立されるのに、そう時間はかからなかった。
 議会は議論された課題のスムーズな解決を、ギルドは安定した仕事を享受できる持ちつ持たれつの関係になっているのだ。
「所属希望でいいか? ソロでもいいが今のところはおすすめできねえしな」
 ギルドには所属せず、個人でギルドから依頼を請け負う者はソロと呼ばれる。
 侮蔑を込めて野良と呼ぶ者も中にはいるが、あまりいい顔はされない呼び方だ。
「そうですね。できれば、所属のための説明を受けられると嬉しいです。おっしゃるとおり、ソロではとてもやっていけそうにないので」
 ノアは迷わずギルド所属を希望した。
 個人で依頼を請け負うには強力なコネクションや実力が必要で、それがない場合はギルド経由で依頼を受ける形になる。
 報酬面でギルド所属とソロに差をつけることは王都から禁止されているが、集団で動けるギルドの方が、どうしても優遇されるし、実際の依頼成功率も高い。
 依頼を受けずとも生活していけるような特別な能力を持っているか、ギルドや議会側が個別に依頼をしてくるくらい実力と名声があるか、どちらもない上にギルドに所属したくないのであれば、安い報酬で仕事を選ばず日銭を稼ぐか……一口にソロと言っても、幅は広い。
「いいだろ。それからよ、お前さんちとカタすぎる。ですます言ってねえで気楽にしろよ。さん付けもなしで頼むぜ。やりにくいったらありゃしねえ」
「わかりまし……あ、はは。わかったよ、パイク」
「ぎこちねえが、まあ慣れてくれ。じゃあ適当に頼んだぜ」
 パイクがエミリーに目配せし、エミリーも「任せて」と笑顔を返した。
「じゃあひととおり案内しちゃうね。ギルド本部は最後でいいから、やっぱりまずは大図書館かな。知恵の都の象徴! っていうほど今は活気はないけど、ノアが調べものするには必須だもんね。それから議会と商店街と……あ、うちのお店にも寄っていってくれるでしょ? お父さんとお母さん、絶対喜ぶから!」
「おいおい、久しぶりの再会だからって、あんまり連れ回しすぎんなよ? デート気分じゃ困るぜ」
 わかってるってば。口ではそう言いながら、エミリーはあれもこれもと上の空になっている。それを見てにんまりしたパイクが、ノアに一枚の紙切れをそっと手渡してきた。
「困ったらこいつを見るといい」
「これは……何かの地図?」
「ばか、困ったらっつったろ。なんで今見ちまうんだよ」
「なによ、これ?」
 ノアが広げた地図を、エミリーもひょいと覗き込む。
「見ちまったもんは仕方ねえ。聞いて驚け。レイリアでは数少ない、ご休憩オッケーな穴場の宿だ。時間帯別の予算も一目でわかる優れものだぞ」
「なんでノアにそんなもん渡してんの……っていうかこの道! こんな裏通り、危なくて二人で入りたくないんだけど」
「昼間なら運が悪くなきゃ何も起こらねえ。ちなみにこいつはきっちり俺の足で調べた生の情報だぜ、必ず役に立つ!」
「一人で。そりゃまたずいぶん気合の入ったことで。そりゃああんたが斧持ってへらへらしながら歩いてきたら、みんな逃げ出すでしょうよ。で? 同じことをノアと私にやれっての?」
「宿はもう調べてあるんだ、同じことはしなくていい! サクッとしけこむだけってなもんだ。それにまあなんだ、運が悪くてもお前さんの実力なら大丈夫……って顔が怖いぞ、エミリーさん」
「そんなこと、私たちがするとでも? おん?」
「いや、こんだけ仲良さそうにしてて、しかも久しぶりの再会っつったらよ。そりゃあ、な?」
「くそ変態おやじ! さっさと荷物運んできなさいっ!」
 不名誉な呼ばれ方を自ら体現するように、うひゃうひゃ笑いながらパイクが逃げていく。
 ぽかんとしたままのノアの隣で、エミリーが頬を膨らませる。
「まったく。デート気分じゃ困るぜ、じゃないってのよ。自分はデート飛び越してんじゃない」
「あはは、パイクって面白い人だね」
「どこが! ギルドに行ったら、みんなに言いつけてやるんだから」
 鼻息を荒くしてから、本当にしょうがないよねと歯を見せて笑うエミリーを見て、ノアはほっとした。
 あれから二年。レイリアに向かう途中にも感じていたことだが、引っ越すのが嫌だと泣いていたあの頃のエミリーはもういない。魔法剣まで使えるようになって、憧れだったギルドの仕事にかかわっている。
 パイクも、お調子者でとんでもないことを言い出したり、笑いのツボが失礼であったりはするものの、基本的にはいい人のように見えた。
 もう一度頑張ってみよう。そう思わせてくれる笑顔を、ノアはしばらくの間、眩しい気持ちで眺めていた。