【書籍化】落ちこぼれ次男は辺境で気ままな開拓生活を送りたい~追放先で適当領主としてのんびり暮らすはずが、気づけば万能領主と呼ばれることに~【第3回グラスト大賞長編賞受賞作】

服も新たになって、俺たちは堂々と街の大通りを歩く。

この街の中心に値する地域だ。
俺がクロレルとして統治していた頃は、新しい店が割拠して、先が見えないくらい人が通っていることもあった場所だが、今は閑散としていた。

人足はまばらで、据え置き型の店舗の中には閉まっているところも多い。

大勢の中にまぎれれば、例の特別警ら隊にも見つかりにくいと思ったが、そうはいかないようだ。
俺たちは通りを早足で歩いて、営業をしていた道具屋へと入る。

必要な部品や道具をいくつか手に入れたら、その流れで食料品の買い出しへと移った。

「トルビス村にはないものがいいわね。たとえば香辛料とか」
「そうだな。じゃあ、塩と胡椒と砂糖……って、俺、料理とかまったく分からないんだけど。そもそも、これが香辛料に含まれるかすら分からん」

「ちなみに私もよ。分かるのは、そうね。塩と胡椒、砂糖ね」
「……そういうところは令嬢さんなんだな」
「調味料がなくても、ごはんは食べられるもの。……マフィンの作り方だけは覚えたいけれど」

マフィンは、セレーナの好物だ。
そういえば、トルビス村へと下るときにも大量に持ってきて、真空状態を作り出す魔導袋に入れていたっけ。

ちなみに今回も、すでに菓子店には寄って、マフィンは手に入れてきた。この機会に村人たちにも食べてもらうのだ、とかなりの量を買ってある。

作れる人がいれば、ここまで荷物を抱えることもなかったかもしれない。

「欲しいなぁ、料理人。料理人も仕入れていきたい……」
「なに、私のご飯じゃ不満?」
「そうじゃないけど、なんというか、セレーナの作る料理は豪快だろ。俺もなにもできないんだけどな」

クロツキノワの肉の調理方法がいい例だ。

焼いたもの、揚げたもの、塩漬けにしたもの――。
ほとんどこれだけで、セレーナの料理のローテーションは回っている。
俺が手伝おうにも、焦がしたり燃やしたり爆発させたり散々だ。

村人たちはといえば、そもそも調味料が塩のみの生活を基本としているから、そのレパートリーは多くない。

最終的な俺の理想は、悠々自適で思い通りの暮らしである。
そのためには、料理の底上げは必須課題の一つだ。

「まさか。いよいよ人さらいにまで、手をつけるつもり?」
「……あほ言えよ。やるか、そんなこと」
「でも、そうでもしないとトルビス村に来てくれるもの好きはいないと思うけど?」

それは、そのとおりだ。なんの否定もできない。

ただ諦めきれずにいたら、そのいい匂いは漂ってきた。
ちょうどお腹がすく時間という事もあった。あれよのうち、身体が勝手にそちらへ流れていってしまう。

「なぁセレーナ。お金はどれくらい余ってるんだっけ?」
「ふふ、分かりやすい。普通にお昼くらいなら食べられるわよ」
「よし、なら食べていこうか。これは、そう、あくまで料理のレパートリーを増やすための情報収集と、料理人を捕まえるためだ、うん」
「そういうことにしておきましょうか」

追手にばれさえしなければ、問題はないだろう。
そう都合よく考えることにして、俺たちはその匂いを漂わせる料理屋へと向かう。

その店は、路地裏にぽつんと立っていた。見たところ、ほとんど屋台と変わらない掘っ建て小屋である。
入るのに躊躇うくらいの見た目だったが、とりあえずは扉を開けて中に入る。
そこはカウンターのみ5席程度の小さな空間があるだけだった。

驚いたことに人気はまったくない。カウンター席はあるが、厨房の奥は完全に黒い布で覆われており中は窺えない。

お客さんどころか店員さんすら出てこないが、入ったところにあるカウンターには大きく張り紙がしてあった。

「……席が空いていたら勝手に座っていい、ってさ」
「不思議なところね」
「というか気味が悪いだろ、これは」

セレーナは、相変わらず肝が据わっている。
彼女は何の気なしに、その張り紙どおり席につく。

すると、今度は

『注文が決まったら紙に書いて、カウンターの下から差し出してください』

との但し書きが、これは席正面の壁に書かれてあった。

俺たちは置かれていたメニュー表をそれぞれ開く。

「どれもお手ごろな価格ね。一番高くても1500ウェルなんて。……久しぶりに魚が食べたい。白身魚のハーブ蒸しにするわ」

セレーナはいつもの決断力で、すぐに決める。
一方の俺はといえばメニュー表を何度もめくり、また最初のページから見直す。それを繰り返していた。

「ゆっくり決めていいわよ」

とセレーナが言ってくれるが、迷っているわけではない。

ページを見返すたびに蘇るある記憶を思い返していたのだ。
結論から言えば、俺はそこに書かれていたどの料理も口にしたことがあった。とくに覚えているのは、「鶏、豚、牛の三種肉チーズ丼」なるメニュー。

これは俺がまだ10歳くらいだった幼い頃にわがままを言って、作ってもらった超お子様願望の詰まったメニュー。

――作ってくれたのは、俺がトルビス村へと追放される少し前まで専属でついてくれていた担当メイドだ。

「もしかして、メリリ……?」

確信していたわけではないので、俺は少し控えめな声で黒い布の貼られたカウンターの奥へと尋ねる。

しばらく、返事はなかった。

「あら、もしかして知り合い?」

と、セレーナが口にしたときだ。突然にその黒の幕が取り払われる。
カウンターの奥から誰かが身を乗り出してきたと思えば、むにゅという感触に肩が包まれる。

そのやたらと強い抱きしめる際の力からして、間違いない。

「声でもしや、とは思ってましたが、この抱き心地間違いありません! あ、あぁ、アルバぼっちゃま! ほんとにアルバぼっちゃま!! ついに会えましたっ!! あぁどれだけ再会できるこの日を待ち望んだことかっ! メリリは、メリリは……!! あぁ、ほんとにアルバぼっちゃまの匂いですっ!!」
「ちょ、そろそろ痛いんだけど……!?」

蚊帳の外にされたセレーナから注がれるジトっとした視線も含めて、いろいろと痛い。


幼少期から約10年ほど、俺にはずっとお付きのメイドがいた。

それがメリリだ。

最初に出会った時、俺が8歳で彼女が16歳。
はじめはメイド研修として入ったのだが、そのまま俺の担当となった。

「羨ましいよ、アルバ。あんな可愛い使用人がついてるなんて、そうないぞ?」

王都にある貴族学校に通っていたときには、学友から羨ましがられることもあったっけ。

たしかに、その見た目は可愛らしい。
そして10年の月日を経ても、その可愛らしさはまるで変わらなかった。

不変である。


年上に言うのもなんだが、まるで小動物のようなのだ。
くりっとまるでガラス玉みたいに丸い目、それがはまる乳白色の肌、150に満たない小さな背丈であるあたりなどはとくにそう。

唯一、小動物らしくないものといえば……

他のあらゆる要素に見合わないほど豊かな胸くらいだろうか。

「ああ、ぼっちゃま、アルバぼっちゃま!!」

ほら、このはしゃぎようもなんとなく子犬みたい。

彼女は腰元まで届こうかという黒髪ロングのツインテールを揺らす。

ずっと、こうだ。昔からずっと、彼女は俺にべったりくっついてくる。


それを見て、青いため息をついたのはセレーナだ。
怜悧な瞳で冷たい視線を流してくるのだから、なにからなにまで真逆の存在に見える。

「……で、誰よこの人は」
「それは、こっちのセリフですよーだ。あなたこそ誰ですか。あたしはアルバ様と永遠を誓い合った仲ですけども」

いや、そんな記憶はないんだけどね?

こんな貰い事故みたいな形で、セレーナに誤解されては困る。
俺は、すぐさま話を遮って訂正へと入った。

「この人は、メリリ。俺の世話役を任されていた元メイドなんだ」
「ふーん、ということは20半ばなの? これで? ……すごいわね、いろんな意味で」
「すごいんだ、いろんな意味で」

メリリはそれを聞いて、「そうでしょ!」とでも言わんばかりに腕を腰に手をやり、ドヤ顔をして見せる。

「まぁあたしぃ、永遠の18歳なんですけどねっ!」
「いや、26だろ、たしか」
「あらあらまぁまぁ! ぼっちゃまったら、あたしの年齢を覚えてくださって………あ、今のなし! 18ですよ〜、やだなぁ」

いちいち身振りが多いのも、彼女の特徴だ。

手首を前へと振って、「やめてくださいよ」と笑う。

それを一瞥して、セレーナはふっと口端を吊り上げた。
メリリはそこに、ただの苦笑ではない何かを感じ取ったらしい。実際、俺にも少しだけ分かってしまった。

「あ、なんですかその顔は! 勝ったって思いましたね、今!? 若さだけがすべてじゃないんですけどぉ!?」
「……18って自称してる時点で、若さに価値があると考えてる証拠だと思うけれど」
「なっ、そういう的確なことは言わないでください!!」
「それはそうと、ご飯は作ってくれるのかしら。私もアルバも暇ではないのだけど」

ほとんどセレーナが圧倒していると言って、よかった。
それこそ年齢差など関係なく、メリリはたじたじだ。

だが、やられっぱなしでは気が収まらなかったのかも知らない。
彼女はまるで獣みたいにうめいたあと、ついに反撃へと出る。

ちょこちょこ歩いてカウンターから出てくると、セレーナに近づく。

「ご飯は作りますよ。でも、食べるときは、帽子を取るのがマナーです!!」

そして、その帽子を剥ぎ取ったのだ。

「さぁ、これでどんな人か分かりますね! どれどれ……」

メリリは、正面からセレーナの顔を覗き込む。
そして、それきり固まってしまった。だんだん姿勢を崩していき、やがて尻もちをついた。

「なによ、人を化け物みたいに指さないでもらえる?」
「……も、もしかしなくても、あなたって! アポロン家のセレー―――」

ぎりぎり間に合った。
俺は慌ててしゃがみ、叫びかけるメリリの口元を押さえにかかる。

彼女は少しだけじたばたともがいたものの、すぐにおとなしくなった。

「あっ、アルバぼっちゃまの匂い……! もっと嗅ぎたいかも! あだもう少し強めに抱き寄せてもらってもいいでしょうか!」
「切り替え早いな、おい」

理由は、ひどいものだったけれど。


とにかく、外までセレーナの名が響き渡るのを避けることはできた。
もしそうなっていたら、また特別警ら隊の連中と戦わなくてはいけなくなる。

俺は安堵と呆れからため息をついた。

このままでは、ろくに話もできない。
今は別の意味で興奮してしまっているメリリに、まず落ち着いてもらうため、料理をお願いすることとした。

昔よく作ってもらった三種肉のチーズ丼を注文すると、彼女は目の色を変えて、カウンターの奥へと戻っていった。
待ち時間、セレーナは真顔ながら口元に手を当てて思案顔をする。

「こんな人に料理なんかできるのかしら。そもそもメイドとしての仕事、成り立ってたの?」
「そこは心配いらないよ。腕だけは本当に確かなんだ」
「ぼっちゃま、腕だけとは失礼ですよっ!!」

そして、耳も確からしい。
再び幕の下ろされたカウンターの奥から、鋭い指摘が入る。

そうこう話しているうち、食欲をそそる音とともにいい香りが店内を漂い始めた。

少しして、カウンターの奥から手と皿だけがにゅっと差し出され、まずは白身魚のハーブ蒸しが提供される。

見た目や匂いの時点で、その腕の高さは伝わってきた。
野菜の配置もよく彩りも豊かなら、皮目はぱりっと焼き上げられており、その香ばしさを湯気に乗せてこれでもかと漂わせる。

ちなみに、三種の肉丼はご丁寧なことにわざわざカウンターから出てきて、両手で添えるように提供された。

……俺とセレーナへの態度の差は、ともかくとして。

「すごい、本当に美味しい。中までふっくら仕上がってるし、香辛料の効き具合もいい。オリーブオイルにも旨味が出ているわ」
「うん、やっぱりこれは外れないな。このワインソースの味、どの肉にも合うんだよ。単純な料理だからこそ、この旨味はふつう引き出せないな」

料理には、手を抜くことはなかったらしい。

「アポロン家にいたどのキッチンメイドが作ったものより、美味しいわ。丁寧でありながら、遊び心もある」

セレーナのメリリに対する評価もかなり上がったようだった。

言葉だけではない証拠として、次々とフォークが白身魚に刺され、見る間に量が減っていく。添えられていたパンも、いつのまにかなくなっている。

元主人としても、それは嬉しい限りだった。

「むふふふ、やっぱりご飯食べているぼっちゃま見るのは格別ですね……。なんだかうっとりしてきました」

カウンターに肘をついて、べったりと視線を浴びせられたのは少し困ったが、そんなのは些細な話だ。
セレーナともども、お代わりまでたっぷりといただいて、満腹になった。


「そういえば、なんでこのご令嬢がここにいるんでしたっけ?」

メリリに尋ねられていなければ、あまりの充実感と食後の眠気で、危うく本題を忘れるところだった。

気を取り直して、俺たちは事情説明を行った。

彼女のことはずっと近くで見てきているから、信を置くことができた。しかも、セレーナのこともバレたからにはしょうがない。

……もちろん、クロレルとの入れ替わりのことは言えないが。

「……なるほど、そういうわけで、って。結局謎ですけどね。セレーナ嬢、あんなにクロレルと仲よさげだったのに」
「だから言ったでしょ、なにかが変わったのよ」
「そのなにかが分からないんですけどね」

そのあたりは、俺にもいまだに分からない。セレーナの持つ直感による部分が大きいためだ。

そこを追及しようとしても、水かけ論にしかならない。

「で、メリリの方はどうしたらこの路地裏のボロ屋で料理屋をやることになったわけ?」
「あたしですか、そうだ、聞いてくださいよ、あたしのお話! 覚えてますよね、あたしはアルバぼっちゃまの専属だったのにい突然クロレルに呼ばれて、そっちに仕えることになったの」
「あぁ、うん、覚えてるよ」

たしかクロレルとの入れ替わりが終わったその翌日。
10年近く俺の専属として勤めてきたメリリに、唐突な辞令が降りてきて、彼女はクロレルの屋敷に雇われることとなったのだ。

その経緯を、俺はよく知らない。

なぜなら三か月間は、メリリと接することもなかったためだ。

「たぶんですけど、あたしがあまりにもアルバぼっちゃまと距離が近かったので、大旦那様が心配されたのかもしれませんね。超余計な計らいですけど」
「……それで、クロレルの元へ行ったのにどうしてここでお店なんか開いてるんだ?」
「それは、お二人と同じです。逃げてきたからですよ。
あたし、昔からクロレル嫌いだったんですよね、粗暴ですし。あ、セレーナ嬢の前でいう事じゃないかもしれませんね」

セレーナはそのセリフに、ゆるりと首を横に振る。

「いいのよ、同感だから」

つい少し前までいがみあっていた二人の意見が、ここで合致していた。

ちなみに、もちろん俺もそう思っている。
となると、気になるのはクロレルが俺の身体に入っていた時はどうだったのだろうか。

「……でも、三か月くらいは俺もめちゃくちゃに暴れてただろ。あの時は、どうも思わなかったのか?」
「え、はい。アルバぼっちゃまにもやっと反抗期がきたんだ! って、むしろ嬉しくなりました。
というかそもそも、クロレルじゃなくて、アルバぼっちゃまなら、なにをしてもメリリは受け入れますよっ」

いやいや、どういう基準なの、それ。
というか、なんでちょっと頬を染めているの。

色々とツッコミどころこそあれ、入れ替わりが感づかれてはいないようだった。

「あたしがクロレルのお屋敷を逃げ出したのは、アルバぼっちゃまがいないからです。最初のうちは、大旦那様への恩もありましたから残っていましたけど、すぐに限界になりました。だって、あたしはアルバぼっちゃまだからこそお仕えしていたんです」
「それとお店を始めることには関係がないように思うけど? アルバを諦めて、料理で生計立てるつもりだったの?」

セレーナがこう尋ねると、メリリはむっと目端を尖らせて首を振った。

「違いますよ、失敬な。アルバぼっちゃまが遠い遠いところまで飛ばされたことは噂で聞いていました。当然、すぐにでも行きたかった。十年以上も一緒にいたんです。ぼっちゃまは、あたしの生きがいだった。
でも、あたしは着の身着のまま屋敷から逃げ出したので、無一文だったんです」
「……じゃあもしかして、旅費を稼ぐために?」
「そのとーりです! だから仮小屋を建てて、ひっそりと営業していました。身元が割れたら、クロレルに処罰されるかもしれませんので、顔も見せずに営業していました」
「そんなことしてたら客は入らないでしょ」
「まぁそうですね、正直苦しかったですよ。それに、『特別警ら隊』はあたしのことも追ってる。まぁ、メイクとか変装は得意なんで今までバレたことはないんですけど、念には念を入れていました。こんなところで捕まって、ぼっちゃまのところに行けなくなるのは絶対避けたかったですから」

メリリは喉を詰めた声でそこまで言うと、カウンターのうえ拳をぎゅっと握る。

よく見れば、この店だけではない。

彼女の着ている服もエプロンも少し古っぽい。
もともとはおしゃれ好きで、頻繁に髪型を変えたり化粧をたしなんだりしていた彼女が、今や髪までぼさっと乱れている。

彼女が現在進行形で味わっているだろう苦労が、全身に見て取れた。

「でも、よかった。我慢してよかったです。想定していた形じゃないですけど、ぼっちゃまに会えました……!」

メリリは気丈に笑ってみせる。だが、そのすぐあとには涙がしたたり落ちる。

「あれ、嬉しいんですけどね。どうしてだろ……」

俺とセレーナは顔を見合わせたあと、彼女がとめどなく涙を流すのを見守る。

「料理人、見つかったわね。連れて帰りましょ」

俺がなにか言い出すより先、セレーナが言った。

「さっきまで、あんなにいがみ合ってたのに、いいのか」
「いいもなにも、あなたもそのつもりだったでしょ。顔に書いてあるわよ」

たしかに、図星だった。
思いがけず先回りされて虚をつかれた。

「それに、ここまで聞いておいて放ってはいけないわ。私は悪魔じゃないの。それに、これでマドレーヌも食べ放題になるしね」

わざわざ茶化して空気を穏やかにまでしてくれるのだから、さすがの器量だ。
本当に、彼女が一緒でよかったと改めて思う。

俺はセレーナに礼を言うと、今度はメリリの方へと目をやった。

「あのさ、よかったら俺たちと――」

セレーナの了承も得たことだ。
正式に、トルビス村にこないか尋ねようとしたのだが……

彼女はまだ服の袖に目元を押し当てていたので、そこで俺は言い止どまる。

「行きます、当たり前ですよ。ぼっちゃまに誘われて、断るメイドはいません」

そして、セレーナに続いてまた先回りされた。

というか、顔を上げたメリリの顔には涙の一粒さえ浮かんでいない。けろっと、満面の笑みだけが浮かんでいる。

「……いつからウソ泣きしてたんだよ!」
「それは秘密です♪」


とまぁそういうわけで、メリリも加わり俺たちは三人になった。

彼女に尋ねながら調味料類の買い足しを行うと、人目を気にしながら、侵入してきた壁の前まで帰ってくる。

「あぁ、ずるいですよ。セレーナ嬢。あたしが前でお姫様だっこされたかった!」
「……公正にじゃんけんで決めた結果でしょ」
「そうですけど、背中もいいんですけど、18の乙女としてはお姫様抱っこはあこがれてたんです~」

前にはセレーナを抱え、後ろにはメリリを背負う。しかも二人は食料や道具類など、大荷物まで持っている。

あまり人目につきたくなかったし、何往復もするのは面倒だ。

一回で済ませようと俺が横着した結果、こうなってしまった。手も足もかなりの重量が乗っかっている。

「ちょっと静かにしててくれよ、二人とも。ばれたら困るし、集中したいんだ」

重しをつけられているようなものだ。
魔力の質を高めなければ、この壁は超えられない。

俺は目を閉じて、肺から空気をすべて吐き出した。

魔力は心技体のすべてが揃ったとき、最大量を生み出すことができるとともに、その質が高まる。

だが正直、身体の疲れはほぼ限界に近かった。

その分は他で補うしかない。
俺は極度まで意識を集中させると、『高跳躍』を使う。

そうして無事に、壁の頂上まで上ることに成功していた。

「……今、アルバぼっちゃま跳んだ!? てっきり紐でもあるのかと思いましたよ!」
「そういえば、メリリにも秘密にしてたっけ」
「なにをです? あたしに秘密なんて」
「俺、実は魔法使えるんだよ」

えぇぇぇぇ!!!! という声を聴きながら、今度は壁の外、林の中へと着地する。

「死ぬかと思いました……、いや、いいんですけど。ぼっちゃまの背中で死ねるなら本望ですけど……!」

メリリは早口でつぶやき、まるで動物が木に登るときみたく俺に貼りつくが、大げさすぎる。

「早く降りてくれよ……」

彼女をどうにか引きはがした俺は、着地の際にできた足跡を消すため、土をならす。
その後はダイさんの住む小屋へと向かい、預けていたブリリオを引渡してもらいにいった。

そこで、彼らが林を駆けまわって遊んでいたときは驚いた。
いつのまにか、かなり懐いたらしい。

「もう、ダイさんもスカウトしたらどうかしら。しつけ役兼大工として」

セレーナの案は俺も名案だと思ったのだが、ダイさんはそれを固辞する。

「悪いな、アルバさん。俺は一応まだ雇われの身なんだ。クロレルに恩義も忠義もないが、俺が投げ出せば他の大工も苦しむ。すまない」

こうまで言われてしまっては、それ以上の説得はできなかった。
責任感の強いダイさんらしい。

「だが、いつかは必ずアルバ殿に力を貸そう」
「……ありがとう、ダイさん」

そんなわけで、未来の約束を交わしたのち彼に別れを告げた俺たちは、ブリリオに乗って三人で村まで引き返す。

すぐにでも眠るつもりだったのだけど、

「速い、すごい! 行けぇ、ブリリオちゃん~! うぉぉ、世界のどこかにいるお母さん!! メリリ、今、風になってるよ~!!」

なんて後ろでメリリがエキサイトしてしまってはそれもできない。

ほんと、どこから湧き出てくるのその活力。
もしかして俺たちから魔力でも吸い取ってる? 気のせいか、めちゃくちゃ疲れてくるんだが?

身体は重いが、目をつむっても寝られない。
瞼の裏側に浮かんでくるのは、ついさきほどまで見てきたクロレルシティの酷いありようだ。


「それにしても、クロレルときたら、めちゃくちゃやるよな」
「……ちょうど私もそれについて考えていたところよ。あんなのを統治とは言わない。遊ばれてるのよ、街全体がおもちゃにされてる」

まさかここまでとは考えてもみなかった。
俺が険しく眉間にしわを寄せていたら、セレーナが言う。

「兄のやったことだからって、あなたが責任を感じることではないわよ。アルバ」

たしかに、表面だけを見ればそうだ。
罪を着せられ辺境地へと流された俺に、あの街のことを心配したってどうしようもない。

俺はできるだけのことをしたが、あのクロレルがその予想を上回って無能かつ自分本位だっただけのことだ。

だが、俺は知っている。
三か月間だけとはいえ、彼らの生活を間近で見てきたのだ。

罪なき民がされたい放題に虐げられているのをただで見過ごすことはできない。それくらいの良心は持ち合わせている。

なおも顔をしかめていたら、前に座っていたセレーナがこちらを振り返っていた。

「あなたって、ほんと。結局優しいんだから。自分のことばかり気にしてるみたいに振る舞うけど結局誰かのことを考えてる」
「……余計なこと言わなくていいんだよ」
「ふふ、そうね。でも、抱えすぎはよくないわよ。だって考えても見て。村は村で課題山積よ。人が統治している街のことを考える余裕あるの?」

……そうだった。
あぁ、やること多すぎん? ほんと余計な仕事を増やしてくれるものだ、バカ兄め。

俺は頭を整理するため、ふーっと息を吐く。
が、思う様にはいかなかった。

結局どちらも諦めたくはない。
俺が理想とするスローライフは、その陰で誰かが苦しんで代償を負わされるようなものではないのだ。
そんなことになったら、素直に楽しめないしね。

「ぼっちゃま、見てください、あたし! やっぱり風になってる! あははっ」

……あぁ、メリリくらいなにも考えずに生きられたら楽だったのだけれど。

ブリリオの背で立ちあがって、手を広げる暴挙に出るメイドを見て俺は遠い目になる。

が、彼女を見ていて思いついた。

「そうか……。別にあの街自体を救わなくてもいいのか」
「なにを言ってるのよ、アルバ」
「思いついたんだよ、同時にうまくやる方法。
トルビス村はまだまだ発展途上、これから片付けと開発を進めていくにはかなりの人手が必要だろ? 逆にクロレルシティは、あの状況だ。失業者だって多い。なら、うちに来てもいいっていう人たちがいれば、誘致すればいいんだよ。
今メリリが料理人として、トルビスに向かっているみたいに」

そうすれば、人手不足は解消するし、街の失業者たちを救うことにもなる。
まさに一石二鳥だ。

「……たしかに、いいわね、それ。トルビス村の周りは自然環境も豊かだし、村の周りを含めれば開発しがいのある土地だもの」
「だろ? なにも、それを今いる人たちだけでやる必要はないよ」

もちろん、こんな話を持ち掛けたところで応じない人の方が多いだろうとは思う。

なにせ街の中に入れる人間は『良民』で、それ以外は『下民』と見られている。その差別意識は根強い。

だが、そんな下らない選民意識を捨てて、トルビス村に来たいと思ってくれる人たちならば、きっといい人材になる。ともに暮らしていけるよき隣人になる。

「やりましょうか、それ。私だって、あの街の人々を放っておきたかったわけじゃないもの。それで、具体的にどうやって勧誘するの。
私たちが表立ってやるわけにはいかないし、そんな勧誘行為をすれば特別警ら隊も狙ってくるわよ」
「…………それは、だな。うん、これから考える」

希望の光は見えた。

名付けるならば、大移住誘致作戦!

俺はさっそくその方法を考えるのだが、難しいことに頭をひねったせいだろう。さっきまでは訪れる気配のなかった眠気が襲い来る。

こうなれば、どんな騒音でも関係ない。

『眠ったか、アルバ殿。よいことだ、よく休むがいい』

ブリリオのこんな声を聴きながら眠りに落ちたのだった。



――アルバたちがクロレルシティを極秘で訪問してから数日。

クロレルの悪政により崩壊への一途をたどっていたクロレルシティでは、ついに暴動が起きていた。

そのわけは、『特別警ら隊』の崩壊にある。
アルバが氷漬けにした隊員らが見つかると、そのやられように恐れをなした隊員の一部が去っていったのだ。
そのうえ、情けない姿をさらしたこともあり、一部の住民はついにクロレルに対して反旗をひるがえしたのだ。

『圧政反対、理不尽な税金反対』。

そんなことを謳った旗が街中の各所で揺れる。

状況確認のため、街へと降りてきていたクロレルは間近で見たそれを、苛立ちから焼き払う。

しかし、きりがない。
すぐ近くに立っていた魔導灯を見ると、

『能無し領主を追い出せ! 署名を集めて、ハーストン辺境伯へ提出しよう!』

だなんて紙が貼られてあり、クロレルの怒りを助長する。

歯ぎしりをしながらそれを引きちぎって裏を見ると、

『次期領主は弟アルバ様の方がいいのかもしれないぞ、もはや』
『でも犯罪者なんだろ?』
『犯罪者の方がましってことだよ』

今度見つけたのはこんな書き込みだ。

冷静さを失い収まりのつかない感情に襲われた彼は、怒りの咆哮をあげて、その魔導灯に拳をたたきつけた。

「ふ、ふざけるなよ……!!! あのカスが、あそこまで落としてやったあのカスのどこがいいんだ!!!!」

それは、もっとも恐れていたことであった。
認めたくはなかったが、端的に言えばクロレルはアルバの存在が怖かったのだ。

もちろん無能と見下し続けてこそきたが、アルバもハーストン家の血を引く者で、家督を継ぐ資格はある。

そのため、絶対に万が一がないよう、わざわざ悪行を着せて追放までさせた。
ようやっと自分の地位が安泰になったところで、足元が揺らぎ始めたわけだ。

「なんで、こうも思い通りにいかない……!」

このまま街にいては、怒りが収まりそうにもなかった。
クロレルは、憤慨しながら屋敷の執務室へと引き返す。

そこに肩をすぼめて待っていたのは、一人の役人だ。

「クロレル様、再雇用のお声がけをしたバーズ様ですが……」

どうやら人事の報告のようだった。

さしものクロレルとて、この状況が相当にまずいことは肌で感じていた。

ならば、一時的にでも他人に頼って巻き返しをはかればいい。
そうすれば人望も戻り、権力もこの手に落ちてくる。

そう考えて、前にアルバが雇い、クロレルが追放した財務担当の役人・バーズを探してもらっていたのだ。

アルバの時とは比べ物にならない給料を提示したうえ、経済に関しては完全に任せるという特約もつけた。

これならば、間違いなく帰ってくる。

クロレルはそう確信していた。

「バーズ様はどうしても、戻りたくないと」

その見立てはしかし、甘すぎたらしい。

「なんだと? これだけの好条件を与えてやったのにもかかわらずか。お前、ちゃんと条件を伝えたんだろうな」
「は、はい……! しかし、もうクロレル様にお仕えすることはない、と断言されてしまいました」


それは当然の報いであった。

一度自分の私利私欲のため斬り捨てた人間だ。ちょっといい餌を垂らしたところで、戻ってきやしない。

考えればわかるような話だったが、頭に血ののぼったクロレルにはそれができなかった。

まったく思い通りにはならない展開に、クロレルは再び苛立つ。
その矛先が向いたのは、窓の外だ。

「だいたい、てめえらがろくに税金を収めないのが悪いんだろうが。だから税金上げてんだぞ、この愚民どもが!!」

お門違いも甚だしい。

圧政により経済が回らなくなれば、税収も減る。
その中で税収を維持しようと思えば、さらに搾り取るしかなくなり、それでも足りなければ街として借金をするほかない。
そして、今度はその返済にお金がかかる。

その悪循環の内側で経済はどんどんと委縮し、金銭的に余裕のある人々はとっくに街を出て行ってしまった。

そうして入ってくるお金が少なくなれば、まともな施作も打てなくなる。


そんな中、クロレルの肝煎りで再開した賭場の工事も、業者による中抜きや不正などにより資金が足りなくなって、中止に追い込まれかかっていた。

この最悪の状況を生んだのは、民ではない。間違いなく、クロレルのめちゃくちゃな政策のせいである。


もう、どうにもならないところまで来ていた。今のクロレルシティは、沈むのを待つだけの泥船状態だ。

剣を抜いて窓を割るなど、荒れ狂うクロレル。
そこへ、扉の外から新たな訪問者があった。

「クロレル様、そう苛立たなくてもよいですよぉ」

にこにこと笑う背丈の低いその男は、クロレルにそう投げかける。

彼は、人手不足から新たに雇った役人の一人だった。
常に笑みをたたえているのが、不気味な男だ。彼はゆっくりと唇を弾いて喋る。

「あなた様が不安になるのは分かります」
「お前ごときになにがわかるのだ、下っ端」

「あなたは、弟のアルバに家督が与えられることを心配しているのでしょう? この街がどうなるかより、それを危惧している」
「……それがどうした」
「だったら、僕らにいい策がありますよ。伸るか反るかはあなた次第ですが」

訳の分からない連中による、都合のいい話だ。
普通は疑ってかかるべきで、その場で断るべきだろう。

そんなことは権力者ならば誰でもわかることだ。

「…………話を聞こうじゃないか」

だがクロレルは、その甘い響きに耳を傾けてしまった。
それくらいまで、彼は追い込まれていたのだ。

沈みゆく泥船にわざわざ乗り込むような連中に、ろくな奴がいないことも知らずに。
かくしてクロレルはさらに沈みゆくのだった。
クロレルシティを極秘訪問してから数日。
新たにメリリが仲間に加わったことにより俺たちの食事は、そりゃあもうかなり改善された。

「はーい、ぼっちゃま。……ついでに、セレーナ嬢。メリリがお給仕にあがりましたよ~」

朝からばっちりメイド服を着こんだメリリにより運ばれてきたのは、ベーグルサンドを中心としたセットメニューだった。
ベーグルの間に挟まれているのは、玉子やベーコン、レタスなどの野菜と、自家製だというサウザンドソースだ。

「パン生地もあたしの手ごねですから、ぼっちゃんが昔食べていたものと同じ味のはずです。たまごスープもご用意しましたよ。後入れクルトンで食感の変化もお楽しみください♡
 それとセレーナ嬢にはご所望のマドレーヌも焼きましたよー、仕方なく」

俺とセレーナへの態度の差はもはや気にしないこととして。

ここまで手が込んだ朝ごはんにありつけるのは、ありがたい限りであった。
干した肉を焼いて、そのまま口にしてきた日々を考えればもはや泣けてくる。

俺たちが口々に「美味しい」と口にすると、彼女はにこにこと笑顔を浮かべて今度は紅茶を淹れてくれたり空いた皿を下げてくれるなど、せっせと働く。

「……さすがは元メイドね。まるでお屋敷の中に帰ってきたみたいよ」
「だな、分かるよその感覚」

ついつい全てを任せてしまっていた。

だが、今の俺は別にもう世話をされるような立場の人間ではない。それに、屋敷勤めのメイドみたく高い給金を払えるわけでもないのだ。

「えっと、なにか手伝おうか」

俺はこう申し出るのだが、彼女は首を横に振る。

「ぼっちゃまらしくないことを言いますね? 気を遣わないでくださいな。これがあたしのお仕事で、生きがいですから!」

どうやら元メイドとしての意地があるらしい。
心底楽しそうにてきぱきと仕事をこなし、作業が落ち着いたらお盆を胸に抱えて扉の脇で待機をする。

そこまでされれば、もうなにも言えない。

俺もセレーナも黙って食事を再開するのだけど……、どういうわけか、ちらちらと視線を感じる。
すまし顔で立っているのだが、たしかにもの言いたげな雰囲気が伝わってくるのだ。

「……メリリ、どうした?」

俺はスープをすくっていたスプーンを止めて尋ねる。
すると、彼女は途端にあわあわしはじめて、お盆を落とすのだから分かりやすい。

「うえっ、なんにもないですよ!? アルバぼっちゃまと二人で食事なんて妬ましいとか恨めしいとか羨ましいとか、あたしもぼっちゃまと食事したいとか、あーんってしてさしあげたいとか、そんなことはこれっぽっちも考えていません! メイドですので!!」

メリリは早口でここまで喋る間に、お盆を拾いなおしてその後ろに顔を隠す。

「忘れてくださいませ!!」

こうお茶を濁そうとするが、もう遅い。あまりに本音というか欲望が、駄々洩れだった。
なおも取り乱すメリリに対して、

「まるで一人寸劇ね」

セレーナの反応はこれだけだった。

あくまで優雅な朝を崩すつもりはないらしい。まるで本当にお屋敷の中にいるかのごとく、目を瞑りながら優雅に紅茶のカップを傾ける。

このあたりは、何者にも靡かない令嬢と呼ばれていただけのことはある。

一方の俺はといえば、ここまで本音を聞いてしまった以上そうもいかない。

「なぁセレーナ」

話を切り出そうと、声をかける。すると、怜悧な紫色の瞳が片方だけぱちりと開いた。

「……別にいいんじゃないかしら。アルバの前の席は譲れないけれど、三人で食べること自体はいいと思うわ」

どうやら先のセリフを読まれていたらしい。完全に先回りされてしまった。
これも、例の『勘』というやつなのだろうか。

虚をつかれつつも、俺はメリリの方へと目を向ける。

「あぁん、いいんですかセレーナ嬢!? さっきは色々言ってすいません、ご相伴にあずからせてくださいませ~!!!」

やっぱり彼女は色々と忙しい。

半分泣きながらそそくさと自分の皿を準備して、俺の横手に椅子を持ってくる。
どういうわけか、その距離は微妙に近かった。

少し遠ざけてみると、また近づいてくる。

「な、なんだよ」
「そりゃあこれですよ。遠いとやりにくいじゃないですか」

彼女は頬を朱色に染めながら、スプーンでスープをすくった。
かと思えば、

「アルバぼっちゃま、あーん」

これだ。俺が身体をよじってそれを拒むと、彼女は不満げに頬を膨らませる。

「なんでですか~! 『あーん』もしていいって話じゃないんですか!?」
「そうとは言ってない!!」
「えぇ、言ってないわね。許可してない」
「いつから許可制なんですか!!?!? いいじゃないですかぁ!!」

食事だけではない、メリリが加わることで、これまでのセレーナとの静謐な朝が一変していた。

メリリのいる賑やかしい朝も、まぁ悪くはない。