そんなある意味で刺激的だった寝起きを終え。
昨晩の残りであるクロツキノワの肉とセレーナ持参のマフィンを食べ終えた俺たちは、仕方なく家を出た。

時刻は太陽から察するに昼過ぎ。
本当はもう少し引きこもっていたかったが、そうはいかない事情があった。

「よくあんな環境で寝てたな、俺たち……」
「疲れてなければ難しかったでしょうね。隙間風もひどいし、カーテンもないような環境なんてこれまでで初めてよ」

ボロ屋がすぎてなにもかもがままならないのだ。

クロレルと入れ替わっていた時、かつて街でもっとも料金の安い宿屋を視察がてら訪れたことがあるが、そこの設備よりも数段劣る。

そのあたりをどうにか揃えていかなければ、いつまでも理想は程遠いところにあるままだ。

まだまだ先は長い。
一方で先が短いものといえば……

「一番はなによりトイレだな。さすがに、草むらでするのはない。まじでない。少なくとも俺のスローライフにおいては許されない」
「私はいいけどね」
「おいおい、ご令嬢がそんなこと言うものじゃないでしょうが」

おトイレ、これほんとに大切。お風呂は水浴びでしのげないこともないが、こればかりはないと生理的に厳しい。

簡易式の紙に包んで廃棄するものなら持っているが、とはいえ個数に限りもある。

「でも、トイレなんてどうやって作ろうって言うの」
「そこが問題だ。あんなものどうやって……」

理屈を知らないわけではない。

便器があってスイッチを押せば、タンクに貯められた水が流れる。流れた水は設置された管を通り、下水を処理する魔導装置へと流れつく。
そこで、肥料などになる固形物と液体とに分けられ、あとは川などに放出される。

「結構、高度な魔導具が必要ね。とくに、水と便とを分解する装置なんて簡単にはいかなさそうよ」
「そうだな……。っていうか、セレーナさん。あんまり便とか言わない方がいいんじゃ?」
「あら。もっと直接的な言い方がよかったかしら」

いやいや、そうじゃないし! そこで、顎に指をあてて上目になっても、気品は出ないからね?

俺はセレーナの奔放な発言にあきれて頭を掻く。

「お、アルバさん、セレーナさん。こんにちは」

そこへ一人のご老人に声をかけられた。

「なにを探されているのですか。よかったらお手伝いしますぞ。なにせあなた方はわれわれの救世主――」
「いやいや、俺はただここに派遣されただけでそんな大層なものじゃないですって」
「はは、あまりご謙遜なされるな」
「そうよ、アルバ。手伝ってくれるって言ってるんだから、お願いしましょう」

まあ、昨日の今日で誤解は解けないか……。

俺はとりあえずは諦めて、そのご老人に事情を伝える。

「はぁ、トイレですか。それならば、ありますぞ」

すると、出てきたのはまさかの情報だった。

「え、あったのですか」
「えぇ、と言ってもまぁ……。見ていただいたほうが早いですな。どうぞ、こちらへ」

老人に連れて行かれた先にあったのは、たしかにトイレだった。

形は、都会で見慣れたそれと同じだ。
便器があって、便座があって、なんだか無性に座りたくなるというか気張りたくなる。

ただし、陶器は割れているし、水栓機能などもちろんのごとくない。
なにをとは言わないけど、すぐに漏れ出すね、これじゃあ。

つまりただのジャンク品だ。

「これも捨てられた魔導具ですか」
「そうでございます。これがトイレと聞いた時は驚きましたなぁ。
 都会の人間はこんな立派なものを使って、しているんだとねぇ」

老人がしみじみと言う。
それに対して「では、ここではどんなものを? 椅子に座ってやるの? それとも草むらで……」などとセレーナが話を広げようとするから困った。

まじで令嬢じゃないよね、この子。

俺はわざとらしく咳払いをしたあと、話を切り替える。

「それで、このトイレは今残っている部分だけ捨てられていたんですか?」
「いやいや。元はもう少し色々とついていたが、そこは切り離して売ってしまったよ。ゴミから売れるものを集めるのは、この村の生業の一つですからのう」

だとすれば、ここに転がっているものはいわばトイレの残骸というわけだ。

「なら、修繕魔法じゃ効かないな……。あれは、その場に材料が残ってないとできないんだよ。昨日はたまたま切り崩された柵がそこに残っていたからできた……」
「あらそうなの。それでなくても、心配だから乱用はしてほしくないけれど」
「そう言われちゃったら余計にできないな」

できれば彼女には、無用な心配をかけずにやりたい。

考える時の癖、俺は付近をぐるぐると回る。

「ならば、アルバさんや。たとえば、この樽をトイレにしてしまうのはどうかの。とりあえず貯めて捨てに行けば済みますぞ!」

そこで、ご老人がこう提案されて、俺はふと立ち止まる。

「あ、あぁ申し訳ございません。貴族様に意見をするなど、あるまじき無礼を――」
「そうじゃない、そんなこと気にしませんから。むしろありがとうございます、ご老人!」

その意見のおかげで、迷路をさまよっていた俺の思考に一つの抜け道がはっきりと見えた。

そうだ。とっておきの魔法を一つ、俺は持っているじゃないか。