ハーストン辺境伯家は、ドナート王国の中でも有数の力を持つ貴族家だ。

王都からは離れているものの広い領土を有し、とくにハーストン家が直轄している城下町は文化の発展が進んでおり各地から視察が訪れるほど。

しかし、その一つであるはずのクロレルシティはまさに今、崩壊への道を辿ろうとしていた。

自己顕示欲から、都市の名称を自分の名前に変えた男、ハーストン・クロレルの手によってだ。

今日も、その崩壊は止まらない。

「えっ……! また例の税金を、住民に課すのですか?」
「あぁ、何か問題があるか」
「失礼ながら、言っていることが少し前と正反対になっておりますが」
「ふん、新顔か。いいから、言うとおりにしろ。ここ数ヶ月の俺は血迷っていたんだ」

嫌がらせがてら、弟・アルバが追放されるのをわざわざハーストンシティまで見送りに行き、自らの管轄下であるクロレルシティへと戻ってきてすぐ――。

クロレルが一方的にこう突きつけた相手は、財務担当だった役人の一人、バーズ。
入れ替わりが起きていた際、弟のアルバにより採用された元学者である。

「し、しかしクロレル様! 市場の活性化計画はまだ途上です。今ここで方向転換などすれば、また街が混乱してしまいます!」

バーズの意見は、しごく真っ当なものであった。

そもそもクロレルの自分勝手な政策により、痛めつけられていた経済を救うための税軽減策だ。

やっと効果が現れ始めたところでやめるなど、もってのほかである。

「おいお前。今、俺に意見したか?」

しかしそれが正論だろうがなんだろうが、クロレルが苛立ちを覚えたのはその点だった。
苛立ちから、バーズを睨みつける。

「そ、それはクロレル様が何か思うことがあればなんでも言ってくれ、とおっしゃるから……!」
「うるさい、それももう終わりだ。これ以上口を開いたら命がないと思えよ。俺は貴族様だぞ」

彼はそう言うと、自分の手首を掲げて見せる。
そこにあるのは、魔法を使える証たる炎属性の紋だ。

それも、彼はハーストン家に伝わる特殊なスキル『威風堂々』を有している。相手を怖気づかせる魔圧|《まあつ》を発動できるのだ。

紋をちらつかせるだけでも、脅しには十分なはずであった。

実際、バーズは黙り込む。しかし、その目には反発する気持ちがあるのは、見て取れた。
自分を否定しようとするものすべてが、クロレルは許せなかった。

突発的な怒りから、剣を抜く。
だが、そこで一応手をかけることは思いとどまった。

その刃にオレンジの炎を纏わせ、バーズの首元に突き付ける。

「おい、お前。今日でクビだ。早く出ていけ」
「な、なにを……!」
「聞えなかったのか、愚か者め。もう一度言ってやる、クビだ。それとも、このまま串刺しにされたいか?」

ここまで言ってやっと、バーズは引いた。
形だけの謝辞を述べると、執務室を出ていく。

扉が閉まるのを見送るや、クロレルは執務室の椅子を蹴り飛ばす。たまりにたまったが、鬱憤が彼にそうさせたのだ。

「まったく、どいつもこいつも舐めやがって。やっぱ、アルバの無能が召し抱えた奴らはまるで使えないな。主様の意向を汲めない部下なんて、誰が欲しいんだ、まったく」

クロレルが、アルバの採用した部下を追放したのは、これがはじめてではなかった。
入れ替わりが元に戻り、この2週間ですでに5人目である。

全員、弟のアルバが採用してきた部下だ。

この3か月で、アルバはかなりの政治改革を行っていたのだ。

人事も例外ではなく、これまではクロレルの息のかかった者で固めていたのだが、それらの役人は全員辞めさせられ、ごっそりと入れ替わっていた。

「使えない奴の部下は、使えないってことか。ふん、道理は通るな」

クロレルは舌打ちをしながら、こう自分を納得させる。

――だが、実際には真逆であったことは言うまでもない。

彼らはたとえるならば、アルバが残していった財産だ。
そのまま雇用していれば、それだけで政治がうまく立ち回るような優秀な人材をアルバは選りすぐっていた。

だが、それをクロレルは私情だけでクビにした。
そんなまかり間違った独裁的政治に、未来があるわけもない。

……ないのだが、当の本人はその実態に気づかない。気づけない。

そして、そのあってはならない鈍感さは当然のごとく、求心力の低下を生む。

「失礼いたします。役人が5名、辞職届けを出しましたのでご報告にあがりました」

やってきたお付きの執事から渡された辞表には、
『少し前までは立派な領主になれそうだと思っていたが、また元通りになってしまった。もう、ついていけません』などと書かれている。

クロレルは苛立ちに任せて、それを破り炎魔法により燃やしてしまう。

「ちっ、そんな報告になんの意味がある! 勝手にしろ。代わりはいくらでもいるだろ」
「それと、申し上げにくいのですが……」
「なんだ、まだあると言うのか」

「ええ、それが。セレーナ様がハーストンシティでご失踪なされて数日が立ちましたが、目撃情報はいまだになく。捜索は難航しているとのことです」
「なんだ、まだ見つからぬのか! ちっ……」

「はい……。それと言えば、クロレル様がアルバ様の屋敷より連れてこられたメイドも、今日辞表を置いて去っていきました」
「……ちっ、くそ、どいつもこいつもふざけやがって!! もういい!! とりあえず下がってろ、うすのろ執事め」

もう、たぎる腹立たしさを抑えることはできなくなっていた。
怒鳴られた執事は、慌てて外へと出ていく。

その後クロレルは制御できなくなった魔力により、近くにあった書類を燃やしてしまった。
大事な公的文書なども混じっていたが、我を忘れた彼にそんな分別がつくはずもない。

なにより、こんな蛮行を咎めるものさえ、彼の周りにはいないのであった。