翌朝、ライトが目覚めると隣には体を丸めた猫又が眠っていた。ライトは昨日の出来事が夢でなかったと実感する。ライトが起き上がった振動で小町もゆっくりと目を開ける。
「ああ、起きていたのか見習いイタコ。早速だが、私は学校に行ってみたいのだが」
「いいけど、そんなにいいもんじゃないですよ……」
「そうなのか。私は病気でほとんど尋常小学校には行けなかったんだ」
遠い目をして小町は語った。
「もともと長くは生きられないと言われていたけれど、最終的には労咳で死んだ。碌な人生ではなかった。あまり生前の話はしたくないな。忘れてくれ」
「ごめんなさい」
配慮に欠いた発言をライトは謝罪したが小町は気にしていない様子だ。カーテンを開けて日光を浴びると気持ちよさそうに伸びをした。
ライトが教室に入ると意地悪なクラスメイト何人かがひそひそ話を始めた。当然、小町の姿はほかの生徒には見えていない。陰口の内容は奇妙な存在が憑いていることではなく、主に昨日の喧嘩とそれに伴うSNS投稿についてである。
「何だ、見習いイタコ。お前、嫌われてるのか?」
「……いいもん。川井夕子に友達がいなくたって。トワイライトにはファンがいるもん」
たまにカッとなって男子に言い返すことはあるが、普段は気が弱いライトは言い返すことはない。リアルに友達がいないライトの支えはたった数人のインスタのフォロワーだった。
1時間目は古典の授業だ。単元は高遠静月(たかとお・せいげつ)の『黒い夕顔』。夭逝した明治の文豪、高遠静月の遺作であり、男が女の霊に惨殺される。単元はほとんどまとめに入っていた。
「この物語ですが、源氏物語の夕顔に着想を得ていると言われています。場面が非常に似ていますからね。もっとも夕顔の帖で死ぬのは女性ですが……。タイトルはそこから来ているんですね。ヒロインの名前が夕子であることからもこれは明らかです」
国語教師が作品の解説している。内職をしたりおしゃべりをしたりしている生徒も多い。ライトも例に漏れず、小町と筆談していた。
「なんだ。令和の日本ではこんなヘボ小説家の作品が名作ともてはやされているのか。虫唾が走る」
「そうかな……。って、知ってるの?」
筆談では人見知りの性分が多少緩和され、敬語が抜けている。
「この時代の生まれだからな。この駄作の頃にはもうこの世にはいなかったが、こいつの作品はどれもろくなものじゃない。こんなものを若者に教えているなんて世も末だ。イタコもそう思わないか?」
「確かに、この人の作品中学でもやったけどあんまり好きじゃなかった。『とんぼの林』だったかな。つまらなかった」
「ああ、それもどうしようもない駄作だ。漱石や鴎外とこいつを並べるだなんて、とんだ侮辱だろう」
「でも、あたし『髪結いと押し花』は好きだよ。この人の作品。推しの歌の元ネタになっててるから読んだんだけど、それに……」
ライトは、実際は『黒い夕顔』も好きな部類の作品であると感じていた。ヒロインの名前が自分と同じ「夕子」であることもありシンパシーを感じている。そのことを伝えようとするが、小町がその前に口を開く。
「ふーん、見習いイタコ、審美眼がなかなかあるじゃないか。昨日祖母に変な格好だのなんだの言われていたが、自分の感性は大事にした方がいい」
実際に、高遠静月は『髪結いと押し花』で文壇デビューをし、世間に注目されるようになった。当時、日本中がこの小説に熱狂していた。『髪結いと押し花』も源氏物語の影響を受けているとみられる箇所がある。
「『黒い夕顔』は病床で一人っきりで書いたと言われています。当時、静月は結核にかかっており……」
ライトは自分の感性を初めて褒められたことが嬉しかった。『黒い夕顔』について話そうと思っていたことは、大きな感情にかき消されて忘れた。
「ほんとに?」
「ああ。お前の感性は嫌いじゃない。色々とこの時代のお前の好きなものを教えてくれないか?」
「うん!いっぱい、話聞いてほしい」
ライトの文字のフォントは3倍大きくなってノートの上で踊った。
昼休み、ライトはいつものように校舎の裏でひっそりとお弁当を食べる。小町とたくさん話したいことがある今日ばかりは、一緒に食べる友人がいない方がむしろ都合がいい。小町も人間の食べ物を食べることはできるようで、ライトからおかずを少しもらっていた。
「なかなか美味いじゃないか。お前の祖母は憎いが食べ物に罪はないからな。それにしても見習いイタコは誰かと一緒に食べたりしないのか?」
「友達いないもん。入学式の時に、うまく人と話せなくて、それからずっとぼっち。嫌なこと言ってくる男子に言い返してたら、最近は優しい子も腫れ物に触るような感じになっちゃって、1日誰とも話さないことも多いよ」
「だいぶ理不尽な話だな。やはりいつの時代も男というものは女を虐げるものなのか」
「小町も男の子にいじめられたの?生きてた時」
「まあ、そんなところだ……なんだ?私がなぜこの世に未練を残しているのか探ってるのか?」
「違うよ。あたしはイタコになるわけじゃないから。おばあちゃんのスパイをする気はないよ。ただ、昔から人付き合いが下手だから何を話したらいいか分からなくて」
「私もさ。読み物が好きなだけの内気な女だった。平安文学が特に好きだった。そういったものが好きな近所の仲間はいたが文学以外の話はあまりしなかったな」
「好きなものの話できるって幸せだね」
「そうだな。まあ、学校にも連れてきてくれたことだしお前の好きなものに終わったらいくらでも付き合うぞ」
ライトは小町の言葉に胸を躍らせた。
「ああ、起きていたのか見習いイタコ。早速だが、私は学校に行ってみたいのだが」
「いいけど、そんなにいいもんじゃないですよ……」
「そうなのか。私は病気でほとんど尋常小学校には行けなかったんだ」
遠い目をして小町は語った。
「もともと長くは生きられないと言われていたけれど、最終的には労咳で死んだ。碌な人生ではなかった。あまり生前の話はしたくないな。忘れてくれ」
「ごめんなさい」
配慮に欠いた発言をライトは謝罪したが小町は気にしていない様子だ。カーテンを開けて日光を浴びると気持ちよさそうに伸びをした。
ライトが教室に入ると意地悪なクラスメイト何人かがひそひそ話を始めた。当然、小町の姿はほかの生徒には見えていない。陰口の内容は奇妙な存在が憑いていることではなく、主に昨日の喧嘩とそれに伴うSNS投稿についてである。
「何だ、見習いイタコ。お前、嫌われてるのか?」
「……いいもん。川井夕子に友達がいなくたって。トワイライトにはファンがいるもん」
たまにカッとなって男子に言い返すことはあるが、普段は気が弱いライトは言い返すことはない。リアルに友達がいないライトの支えはたった数人のインスタのフォロワーだった。
1時間目は古典の授業だ。単元は高遠静月(たかとお・せいげつ)の『黒い夕顔』。夭逝した明治の文豪、高遠静月の遺作であり、男が女の霊に惨殺される。単元はほとんどまとめに入っていた。
「この物語ですが、源氏物語の夕顔に着想を得ていると言われています。場面が非常に似ていますからね。もっとも夕顔の帖で死ぬのは女性ですが……。タイトルはそこから来ているんですね。ヒロインの名前が夕子であることからもこれは明らかです」
国語教師が作品の解説している。内職をしたりおしゃべりをしたりしている生徒も多い。ライトも例に漏れず、小町と筆談していた。
「なんだ。令和の日本ではこんなヘボ小説家の作品が名作ともてはやされているのか。虫唾が走る」
「そうかな……。って、知ってるの?」
筆談では人見知りの性分が多少緩和され、敬語が抜けている。
「この時代の生まれだからな。この駄作の頃にはもうこの世にはいなかったが、こいつの作品はどれもろくなものじゃない。こんなものを若者に教えているなんて世も末だ。イタコもそう思わないか?」
「確かに、この人の作品中学でもやったけどあんまり好きじゃなかった。『とんぼの林』だったかな。つまらなかった」
「ああ、それもどうしようもない駄作だ。漱石や鴎外とこいつを並べるだなんて、とんだ侮辱だろう」
「でも、あたし『髪結いと押し花』は好きだよ。この人の作品。推しの歌の元ネタになっててるから読んだんだけど、それに……」
ライトは、実際は『黒い夕顔』も好きな部類の作品であると感じていた。ヒロインの名前が自分と同じ「夕子」であることもありシンパシーを感じている。そのことを伝えようとするが、小町がその前に口を開く。
「ふーん、見習いイタコ、審美眼がなかなかあるじゃないか。昨日祖母に変な格好だのなんだの言われていたが、自分の感性は大事にした方がいい」
実際に、高遠静月は『髪結いと押し花』で文壇デビューをし、世間に注目されるようになった。当時、日本中がこの小説に熱狂していた。『髪結いと押し花』も源氏物語の影響を受けているとみられる箇所がある。
「『黒い夕顔』は病床で一人っきりで書いたと言われています。当時、静月は結核にかかっており……」
ライトは自分の感性を初めて褒められたことが嬉しかった。『黒い夕顔』について話そうと思っていたことは、大きな感情にかき消されて忘れた。
「ほんとに?」
「ああ。お前の感性は嫌いじゃない。色々とこの時代のお前の好きなものを教えてくれないか?」
「うん!いっぱい、話聞いてほしい」
ライトの文字のフォントは3倍大きくなってノートの上で踊った。
昼休み、ライトはいつものように校舎の裏でひっそりとお弁当を食べる。小町とたくさん話したいことがある今日ばかりは、一緒に食べる友人がいない方がむしろ都合がいい。小町も人間の食べ物を食べることはできるようで、ライトからおかずを少しもらっていた。
「なかなか美味いじゃないか。お前の祖母は憎いが食べ物に罪はないからな。それにしても見習いイタコは誰かと一緒に食べたりしないのか?」
「友達いないもん。入学式の時に、うまく人と話せなくて、それからずっとぼっち。嫌なこと言ってくる男子に言い返してたら、最近は優しい子も腫れ物に触るような感じになっちゃって、1日誰とも話さないことも多いよ」
「だいぶ理不尽な話だな。やはりいつの時代も男というものは女を虐げるものなのか」
「小町も男の子にいじめられたの?生きてた時」
「まあ、そんなところだ……なんだ?私がなぜこの世に未練を残しているのか探ってるのか?」
「違うよ。あたしはイタコになるわけじゃないから。おばあちゃんのスパイをする気はないよ。ただ、昔から人付き合いが下手だから何を話したらいいか分からなくて」
「私もさ。読み物が好きなだけの内気な女だった。平安文学が特に好きだった。そういったものが好きな近所の仲間はいたが文学以外の話はあまりしなかったな」
「好きなものの話できるって幸せだね」
「そうだな。まあ、学校にも連れてきてくれたことだしお前の好きなものに終わったらいくらでも付き合うぞ」
ライトは小町の言葉に胸を躍らせた。



