パンケーキのホイップクリームとSNSのハッシュタグは盛れば盛るほど女子力が高い。それを金科玉条とするライトはインスタグラムに「夢を馬鹿にされた」「嫉妬された」「クラスメイトと喧嘩」「先生の呼び出し」「あたしは負けない」「応援してね」「あたしは悪くない」「絶対芸能人になる」と思いつく限りのハッシュタグをつけて投稿する。

「よしっ! 出陣!」

 スマートフォンをポケットに突っ込んで、職員室の担任の元に向かう。

「川井さん、何で呼び出されたか分かりますか?」

「クラスの子と喧嘩をしたからですか?」

「それについてはお互い手を出したわけではないし、喧嘩両成敗といいますからあなただけ呼び出すなんてことはありません。進路希望調査票のことです」

担任は進路希望調査票をバンっと音を立てて机に叩きつけた。名前の欄には「永久井麗兎」と書いてある。そして、第一志望の欄には枠を少しはみ出した大きな文字で「芸能人」と書かれていた。

「何と読むのかは分からないけれど提出物に偽名を書くのはいただけませんね」

「これ、トワイ・ライトって読むんです!偽名じゃなくて芸名で、東京行ったらこの名前で活動するんです!今もこの名前でインスタやってて、インフルエンサー目指してるんです! よかったら先生もフォローしてください!」

ニコニコと笑うライトと対照的に、担任は眉を吊り上げてライトを叱った。

「趣味は自由ですが、学校では川井夕子を名乗りなさい!それと、もう高校生なんですからもう少し現実的な将来を考えて再提出すること!」

 永久井麗兎、本名・川井夕子。東京に憧れる女子高生。永久井麗兎はインスタグラムで名乗っているハンドルネームだ。高校を卒業したら、東京に行ってアイドルの高遠結花のような芸能人になりたいと思っている。
 とはいえ、居住地を東京と偽り、都会っぽい書き込みをしてもどこか垢抜けないインスタは当然ほとんどフォロワーがいない。たまに、同級生から「東京在住とか嘘つくなよブス」と冷やかしの書き込みが来るひどい有様だ。

「トワイライトは痛すぎてやべえわ。俺の弟の中二病でももっとマシなレベル。お前1回頭病院で診てもらった方がいいんじゃねえのー?」

教室に戻るとおちゃらけた男子生徒が嘲笑する。ライトは普段は悪口を言われても、内気な性格ゆえ言い返すことはほとんどない。

「さっきのインスタもキモかったぞー。逆に才能だわ。あたしは負けなぁい、だってさ。いや、顔がもう負け組だろ」

しかし、インスタグラムはライトの生き甲斐である。アイデンティティを侮辱されたライトは激昂した。

「うるさい! 川井夕子のことはいくらバカにしてもいいけど、永久井麗兎のことはバカにすんな! あたしは東京で芸能人になるんだ! 永久井麗兎の名前は今から覚えとけ!」

ライトは悪口を言った男子生徒に掴みかかり、教室は騒然となった。

「で、また男の子と喧嘩をしたのかい。ばあちゃんは悲しいよ」

「向こうが先に悪口を言ったんだ。あたしがちょっと都会っ子だからって誹謗中傷はよくない。あたしは悪くない」

「死んだあんたのお母さんとお父さんに申し訳ないよ、まったく。ああ頼むから平和に過ごしておくれよ」

 家に帰ると祖母の説教が待っていた。交通事故で両親を亡くしたライトは、秋田の横手でイタコをしている祖母に育てられている。先ほどの喧嘩は現行犯ということで、からかった男子生徒、手を出したライトの双方が説教を受け、保護者に連絡が行った。

「別に平和じゃなくたって平気だもん。こんなんでへこたれてちゃ東京の荒波ではやっていけないからね!」

「何度も言っているけど東京に行くなんて許さないよ。夕子はばあちゃんの後を継いでイタコになるんだよ」

「絶対にイヤ!あたしは芸能人になるの!」

 内弁慶のライトは祖母とは口論の毎日だ。日常生活のことから進路のことまで顔を合わせば言い争っている。今日も互いに1歩も引かず、祖母が夕食の準備に取り掛かり、ライトが制服から私服に着替えようとしたのは1時間後のことだった。

「ああっ!おばあちゃん、またあたしの服隠したな!」

 祖母はライトが古着屋で買ってきた前衛的な服装を好まなかった。しかし、ここで諦めるライトではない。祖母の仕事中に、家じゅうの扉という扉を開けて捜索した。開けるなと言われてきた扉だろうと、立ち入り禁止の部屋だろうと気にしない。

 普段入らない部屋の押し入れの中にお札の貼ってある箱を発見する。ちょうど服が1着くらいなら入りそうな大きさだ。

「なーるほど、おばあちゃんはここに隠したんだなっ!あたしの目はごまかせないぞ!」

 ライトが箱を勢いよく開けると、部屋中が煙に包まれた。咳が止まらなくなり、ライトは制服の裾を口に当てて回避しようとする。

「ふう……ようやく出られた。あのイタコめ、覚えておけ」

ようやくまともに息ができるようになり、若い女の声が聞こえたと思うと、煙が晴れて猫又が現れた。

 尻尾が二股に割れた猫の妖怪、猫又。日本各地にそれにまつわる伝承があり、ライトの住む羽後地域も猫又伝説は存在した。ライトも教養として猫又の存在を知ってはいたが、突然の出現にはさすがに驚いて言葉を失った。

「お前さんもイタコか?が、まだ見習いと見える。封印を解いてくれたのか。感謝するぞ」

 猫又は高い声ではっきりとライトに語り掛けた。ライトは口をぱくぱくとしている。

「障子の向こうからイタコの匂いがする……。私を閉じ込めたイタコだ。すまないが、今すぐ私を匿ってくれないか?」

 猫又はそういって押し入れに隠れた。ライトは押し入れの扉を言われるがままに閉めた。

「随分と賑やかだねえ。って、夕子。その押し入れには触らないでおくれよ。危険な妖怪を封印している箱や、大事なお札が入っているんだ」

「妖怪?」

「ああ、夕子が生まれる少し前位にね。東京の吉田さんと言ったかな。ひいおじいさんくらいの世代から20歳を過ぎると災難に見舞われるようになるらしくてね。お祓いに来たら猫又が取り憑いていて……」

「猫又……そんなに悪い妖怪なの?」

「だいぶ長い間この世にとどまっていたから年月を経るごとにどんどん妖力を強めてきたようだったね。妖力が強すぎて当時のばあちゃんの力で祓うのは無理だったから封印することにしたのさ。
しかも、普通猫又は死んだ猫がなるものなんだけど、そこに封印した猫又は元は人間だったんだよ。しかも、ただの幽霊は人を殺すほどこの世に干渉する力はないはずなのに。わざわざ妖怪になってまで吉田さんを狙ったということは……相当な恨みがあったんだろうねぇ。
だから間違ってもこの押し入れには触ってはいけないよ。そもそもこの部屋には入らないように小さいころから言っているというのに」

「だったら、あたしの服返してよ!」

「あの変な格好で外を歩かれたらご近所さんの笑いものだよ」

「変じゃないよ! 結花ちゃんがノワールマチルダの『花』のMVで着てた服だよ!」

 ライトはノワールマチルダというアイドルグループの大ファンである。その中でも、高遠結花という同い年のメンバーを推している。最新シングル『花』では高遠結花が自身初となるセンターに抜擢され、MVのドラマでも主役を演じている。真似をしたくなるのは当然の心理で、お小遣いをはたいて結花と同じ服を買った。

「そんな俗世のことにばかり興味を持って……」

「俗じゃないよ! 結花ちゃんは文豪の末裔だし、『花』って曲は昔の名作小説から着想を得てるんだから! すっごく高尚なの。そこらのチャラチャラしたものと一緒にしないで」

「うーん、文豪ねえ。ごめんよ。ばあちゃんは学がないからお札の漱石さんしか知らないんだよ」

「いいから服返してよー! おばあちゃんの泥棒!」

 ライトは猫又のことをすっかり忘れて服の話に終始した。好きなもののことになると周りが見えなくなる性格は昔からだ。

 祖母との押し問答がしばらく続き、服は返すが家の中だけで着るという話に落ち着いたところで、祖母が台所に戻った。

「あの、おばあちゃんキッチンにいます。もう出てきていいんですけど、猫又さん悪霊なんですか?」

 押し入れを開け、小さな声で恐る恐る聞いてみた。

「人聞きの悪い。私は誰も殺していない。ちょっとした事故を全部私のせいにしてるだけさ。それより、お前さんの名は夕子というのかい」

「え、あ、まあ」

「はぁ。こんな垢抜けない見習いイタコと同じ名前か……。夕子と呼ぶのは癪だな。見習いイタコでいいな」

「なっ……ひどいです。夕子って呼ばないなら、ライトって呼んでください」

「ライト?お前さんのあだ名か?変な名前だな」

「あだ名っていうか……名乗ってる名前っていうか、ハンドルネームって言っても通じないですよね?」

「その言い方は知らないが、それくらいの年頃に本名以外の名を名乗ることくらいあるさ。ちょうどお前さんくらいの頃、私は小町と名乗っていたよ」

「小町……さん?」

「小町でいい。見習いイタコ、私を閉じ込めたイタコにはまともにしゃべれるのに、私に対しては随分と口数が少ないな。相当あのイタコに鬱憤がたまっているんじゃないか?どうだ、取引だ。お前さんは私を匿ってくれないか?その代わり私はお前さんが自由に生きられるように協力をする」

 人見知り、この場合は猫見知りを発揮してしまったライトに対して猫又はまくし立てた。

「なに、別にあのイタコを呪い殺そうってわけじゃない。そもそも私の妖力じゃあのイタコには勝てないよ。
例えば、今日みたいに物を隠されればその場所を教えてやることはできるし、多少であれば物にも触れるから目と手足が増えたようなものだ。便利に使ってくれて構わないさ。私の姿はお前さんとイタコ以外には見えないから、イタコからさえ匿ってくれればいい。
私がお前さんを裏切ったらあのイタコに助けを求めればいい。悪い話じゃないだろう?
私はただ、健康な体を持ちながら自由に生きられないお前さんの力になりたいだけさ」

 日頃、学校でも家でもストレスが溜まっているライトにとってそれは魅力的な提案だった。常識的に考えれば怪しいという次元どころの騒ぎではないが、ライトは少し考えた末に頷いた。

「じゃあ、よろしくお願いします」

こうして、同じ「夕子」という本名を持つイタコの孫・ライトと猫又・小町の奇妙な共同生活が始まった。