夕方前の日差しをレースカーテン越しに取り込む窓のそばで、デスクに向かい、便箋の上にペンを進める。

 昔、母に連れられて喫茶店に通っていた。店内は傾いた日差しのような色合いで、午前中の開店直後以外はいつ来ても暮れたような空気があった。

 そこにはコーヒーサイフォンがあって喫茶店として当然のようにコーヒーへこだわりを持ち、フードメニューはバタートーストとサラダ、プリンやバニラアイスなど、基本を抑えて古典的。
 それでいてカウンターにはよくわからないオブジェがあり、机上、床問わず隙間を埋めるように観葉植物が置かれ、チェーン店や若者の作る店のような、今っぽさや差別化のための個性とは違う形で、古典から逸脱し、差別化し、個性を放っていた。

 母はなぜこんな所に通っていたかと言うと、母は店長と昔馴染みで、紅茶を飲みながらの話をしに来ていたのだ。私としても、時折二人の話に巻き込まれるのは疲れたけど、来たらアイスやプリンなどのお菓子を食べさせてもらえるから、悪いものではなかった。

 それ以外のお客さんはライダーやヒッピーなど、店の内装に似て統一感のない様相だった。

 店はこの、よくわからない空気を好む人の心を惹きつけ、そんな人たちの溜まり場を提供してきたけど、私が連れられてから五年ほどして閉店を迎えることになった。

 それに際して、いつも髭を伸ばしボソボソと話す、いまいち感情の伺えない店長が、お客さんへの感謝として、小春日和に手紙を送れば、その人を思って何かをあげるという企画を立てた。

 要件は、SNSにある指定の投稿にいいねをし、手紙の封筒に今から配る藁を入れて送ること。

 期限はその投稿が消えるまで。

 この店に大して興味があった訳でもないのに、贈り物が謎となると俄然興味が湧いてきた。

 その時はパソコンもスマホも持っていないから、それを手に入れてアカウントを作ったらすぐに応募しようと思ったのだ。

 しかし中学に上がっていざパソコンを買ってもらうと、そのことを忘れゲームや動画にはまり込んでいた。

 高校生の時にふと思い出し、店の名前で検索して投稿を探すと、店のアカウントは消えていたけど、店宛の投稿に紐付けされていた店長の個人アカウントが残っていた。

 閉店後しばらくして使った痕跡があり、そこに指定の投稿が残っているのを見て安心した。
 そしてデジタルが当たり前になっていたから、手紙を送るのが億劫になって送らないままでいた。

 月日が経ち、SNSのサービス開始から十年以上経った今、使われていないアカウントを削除するというニュースが世間を駆け巡っていた。

 その期限は今年の末まで。

 机横のカレンダーが十一月を示している。
 最近の気候はと言うと、朝晩冷え込むようになったかと思えば、昼は陽気に包まれていた。少し前まで一定して冷えており、これが単なる朝晩の冷えとのコントラストとは思えない。小春日和の到来だ。

 ログインしていないならいいねに気付かれない可能性もあるけど、指定の投稿が消えるまでとあれば、これが最後のチャンスかもしれない。

 そのニュースで思い出し、重い腰を上げたのだった。

 手紙を送ることに決めたら、実家の自室から持って来た子ども時代そのままの棚を探していく。ここに入れたのは確かだ。

 片付けの時何かと脱線しがちな私だが、中から思い出のある物を引っ張り出しては脇に置く。
 二番目の引き出しに手を入れた時、一枚の写真が目に入った。中学生の修学旅行の写真だ。気怠そうに肩を斜めらせ、カメラから少し視線を外している。

 小学六年生の時に頑張って作った笑顔をおかしいと笑われたこと、授業でお互いの長所を伝え合うことになった時、冷静なところと言われたのを受け、カッコつけて笑わなくなった時期だ。

 この写真がやけに印象に残って集中が切れかけたけど、切り替えてその写真を脇に置くと、一心に漁り出した。

 そして見つけた、私の手に握られている。
 そっと入れてからほとんど手をつけてないとはいえ、引き出しの中にそのまま入れておいて、朽ちもせず、母にも捨てられることなく残っているのに感心した。

 その貴重な藁を忘れないようすぐに封筒に入れる。
 明日にも投函しよう。そう決めていた。