別荘に来て数日が経った午後、桐秋と千鶴は(あたた)かな光が差し込むサンルームで日向(ひなた)ぼっこをしつつ、ゆっくりとお茶を楽しんでいた。

 別荘に来てから、千鶴は目に見える仕事をしていない。

 掃除、洗濯、食事など、千鶴が離れでしていた奥向きのことは、管理人夫妻と通いのシェフが行ってくれている。

 よって、今の千鶴の役割は桐秋の話し相手だ。

 しかし話し相手といっても、ほとんどを千鶴がしゃべっていて、桐秋はそれに相槌(あいづち)を打っていることが多い。

 桐秋は、千鶴の何でもない話を聞きたがるのだ。

 千鶴は仕事をしないことに若干後ろめたい思いを抱えつつも、桐秋と普段より多くの時を過ごせることに喜びを感じている。

 千鶴は不意に、足元に感じた違和感に目をやった。

 どうやら、窓から入ってきた風にスカートがゆれ、足にあたっていたようだ。

 普段、着物を着ている時には感じない素肌の感覚に、身体がひっかかりを覚えたのだろう。

 千鶴が今身にまとっているのは、ひざ丈のワンピーススカート。

 桐秋は初日に友禅の振袖を贈って以来、千鶴が別荘でその日着る物を毎日用意してくれている。

 今日は、光沢(こうたく)のある絹でできた真っ白なワンピース。

 襟元(えりもと)胸元(むなもと)、袖にはレースがふんだんにあしらわれ、同じレースのリボンのついた上品な洋靴(ようぐつ)も一緒に用意されていた。

 連日続く、桐秋からの贈り物に最初は遠慮していた千鶴であったが、

『これは、私が自分で稼いだお金を自分のために使っている。

 完全なる私の趣味だ。君が私の選んだ服を着て、共に居てくれるだけで私はうれしい。
 だからどうか受け取って欲しい』

 そう桐秋に言われれば、千鶴は何も言い返せず、それからは丁重(ていちょう)に桐秋に礼を言って、着させてもらっている。

 最近は、こうしたおねだりを桐秋にされることが多い。別荘の部屋を決めた時のこともそうだ。

 そして、千鶴はそれに弱い。流されていることもわかっている。

 桐秋が願う願いはささやかで、決して千鶴を傷つけるものではない。

 むしろ桐秋より、千鶴が喜ぶものではないかとも思う。

 それでも桐秋がこんな形でも自分に甘えてくれていること、なにより、たいしたことではなくても、千鶴が叶えることで桐秋が喜んでくれていることが、千鶴もうれしい。

 ゆえに最後は千鶴もその願いを受け入れる。

 そんな身の丈以上の幸福を得てしまった千鶴は、自分にできることで桐秋をもっと喜ばせようと努力する。

 一番()っているのは髪型。

 別荘では奥向きのことを使用人に(ゆだ)ねている分、千鶴の朝はとてもゆっくりだ。

 その時間を有意義に使って、毎朝趣向(しゅこう)を凝らした、服に合う髪形を作る。

 今日は、ワンピースに合うようなお団子の束髪(そくはつ)

 左右に三つ編みにした髪をくるりと(ひつじ)の角のように、左右の耳のあたりに巻き付けて固定。

 その上をワンピースのレースと同じ素材のリボンで巻き付け、蝶々結(ちょうちょうむす)びにする。

 耳当(みみあ)てをしているような愛らしい髪型に出来上がった。

 全身を整え、姿見(すがたみ)の前で一周回り、おかしなところはないか確認する。

 丁寧に身支度を整え、毎朝、朝食の席で桐秋と顔を合わせると、桐秋は必ず、整えた髪と身につけた服を、優しい表情で褒めてくれる。

 そうして今日も千鶴は褒められた髪型と洋服をまといながら、午後の緩やかなひとときを桐秋と過ごす。



 お茶を飲み終え、桐秋は読書、千鶴は刺繍を行う。  

 千鶴は桐秋に贈るハンカチーフに、イニシャル刺繍を入れている。

 素晴らしいものを贈ってくれる桐秋へのせめてもの恩返し。

 互いが集中しているそこに生まれるのは、色めき落ちた葉が、地面の鮮やかな絨毯に同化する音さえひろう、静謐(せいひつ)な空間。

 半年ほど前までは静寂に寄る()なさを感じていた。

 しかし今は別々のことをして黙っていても、互いの息づかいを感じるだけで、相手の存在を憶え、安らぎを享受(きょうじゅ)できる。

 また、桐秋が別荘に来てから(かも)し出すようになった雰囲気は、一段と温かで柔らかく、寒くなる季節にあって陽だまりにいるような心地よさで千鶴を包んでくれている。

 何もかもが優しいサンルーム。

 そこで(うれ)いなく、桐秋への想いを込めた刺繍を(ほどこ)していた千鶴であったが、イニシャルの周りの蔦の細かい図柄に目の疲労を感じ、顔を上げた。

 見上げた先には庭の景色が映る。

 色づいた木々は赤や黄色に高揚(こうよう)しながらも、ぽつりぽつりと時折葉を散らしている。
 
 艶やかな色をまとっていればずっと美しいままなのに、次の季節に備え、それを一つずつ落としていく。

 (わび)しさを匂わす風景に、千鶴は寂しさと、いずれ訪れる冬には逆らえぬのだという底知れぬ恐ろしさを感じた。

 逸らすように庭の手前の方に目を向けると、そこも冬が近づいているためか、花が咲いている庭木は少ない。

 しかしその中で、白とも薄紅ともいえない淡い桃色を差しながら、ひっそりと、それでもこの寒さの中で凛と美しく咲いている花に目が留まる。

――どこかで見たことがある。でもどこで。

 頭には引っかかっていても、思い出すことの出来ない千鶴は、桐秋の方に顔を向けた。

 桐秋もちょうど庭の同じ花を見ているようだった。

 桐秋は千鶴が問う前に声を上げた。

「少し、庭を散歩しないか」