サンベルク皇帝を名乗る者は眩い光の中に消え、世の理の一部になった。ハインリヒをはじめとするサンベルク帝国の軍部は武器を手放し、戦意を喪失することになる。
空席となった王の席にはエレノアが座り、国の在り方を正した。そして、魔族を太陽の下へと導いたのだった。
「エレノア、エレノア、エレノアぁぁぁ~。ひどいのだ、ナットがキキミックの毛をむしっていじめてくるのだ~!」
その日、エレノアは自室にてそわそわしていた。女官長のキャロルがエレノアの髪型を整えていると、キキミックが泣きべそをかきながら部屋の中に入ってくる。
「見ろ! この辺りが禿げてしまっているのだ! 可哀想だと思わないか!」
「きっと悪気はないのでしょう」
「キャロル殿! 笑っている場合ではないのだぞ! キキミックは毛をむしりとられて腹を立てている! あの子どもめ、許さぬ!」
キキミックは一つしかない目玉をぎょろりとさせ、毛がなくなってしまった箇所を見せてくる。
「キキミック~! どこにいるの、出てきてよ! さっきはごめん、わざとじゃないんだ!」
すると、ばたばたと走りまわる音が聞こえてくる。しきりに警戒をするキキミックを見て、エレノアとキャロルは顔を合わせて笑った。
「ほら、そう頑固にならずに、仲直りをして」
「ううむ…」
「ああやって謝ってるじゃない。キキミック、あなたも本当は、ナットと仲良くしたいのでしょう?」
苦虫を食ったように俯くキキミックは、しばし黙り込んだあとにくるりと扉の方向を向いた。
「あ、あやつには……借りがある。仕方がない。今回は許してやるとするか」
キキミックはぶつぶつと呟き、エレノアの部屋をあとにする。エレノアとキャロルは、穏やかな気持ちでそれを見送った。
「よい世になりましたね――…女王殿下」
「ええ、本当に」
宮殿の外から賑やかな声が聞こえてくる。この日の城下町ではそこら中で楽器の音色が響き、明るい唄が聴こえる。エレノアが王位に就くと、これまで禁じられてきたさまざまな娯楽を解禁させたのだ。
行事というものがなかったサンベルク帝国において、この日は一年の中でもっともめでたい日となった。
「そ、それにしても…キャロル女官長? わ、私…どこか変じゃないかしら」
何がそれほどめでたいのか。それは、数時間後に控えている儀式のためだ。
伝統的な刺繍の入った純白の衣装を身にまとっているエレノアは、頬を赤く染める。
「お綺麗ですよ。オズワーズ殿も思わず見惚れてしまうでしょう」
「…そ、そうかしら。でも、このような衣装ははじめて着るものだから…似合っていないのでは」
「滅相もございません。とてもお似合いでございます」
エレノアは何度も鏡を見つめてはため息を落とした。
「聞こえるでしょう? ――皆が、あなた様とオズワーズ殿を祝福されております」
キャロルは窓の外を眺め、やわらかく微笑んだ。耳を澄ますと、聴こえてくるのは“タイヨウの唄”。人間も魔族も、同じ太陽を分かち合っている。
大空を飛び交う魔族と、その背に乗る人間。魔族の子に学問をとく人間。サンベルク帝国の空が赤く染まったあの日以来、人間と魔族は互いに協力しあい、生きるようになった。
エレノアは皆からの祝福をうれしく思いながらも内心どぎまぎしていた。今日、このあと民の前で祝言を挙げる手筈となっているからだ。
コンコン。
緊張をして落ち着かないエレノアがしきりに部屋の中をうろうろしていると、控えめに扉が鳴った。
「エレノア殿。準備はいかほどか」
扉の向こう側から聞こえてきたのはガストマの声であった。
「何かご不便はございませぬか。女王陛下」
続けて女騎士のターニャの声が聞こえてくる。エレノアの緊張はいよいよ最高潮まで高まった。
「え、ええ。問題ないわ。こちらも準備は整っているわ」
どのような顔でオズと向かい合えばよいものか。そわそわして落ち着かないエレノアを見つめ、キャロルはくすくすと笑った。
「どうかお幸せに。烏滸がましくもこのキャロル、あなた様を我が子のように、思っておりますよ」
「…キャロル女官長」
エレノアは瞳に涙を溜めてキャロルに抱き着いた。
――カランカラン。祝いの鐘が鳴る。
かつてともにあったはずの人間と魔族は、途方もない年月を憎みあい、そして、争いあってきた。
人間は私欲にまみれた存在に付き従い、ねじまげられた史実を信じた。魔族は人間を傲慢な生き物であるとし、陽の光が差さぬ森の中で強い怨恨を抱いていた。だが、ここでようやく、数千年ぶりに一つになったのだ。
エレノアが身に着けているベールを、人間の子のナットと魔族の子であるベスが手に取る。民たちが見上げる宮殿のバルコニーで、エレノアとオズが向かい合った。
頬を染めるエレノアと、穏やかな表情を浮かべるオズ。ターニャは騎士としての威厳を保つために涙を我慢しているようであったが、キャロルにおいてはハンカチで目元を拭っている。フィーネは口笛を吹いて祝福をする。純白の花嫁姿を前に、チムは「女神様みたい…!」ときらきらと目を輝かせた。
ガストマが誓約の言葉を口にすると、オズがエレノアの手をとり、悠然と告げる。
「永久に、愛すと誓おう」
エレノアは胸を熱くさせ、花のように表情を綻ばせる。
「私も、あなたを生涯愛すと誓います」
やがて唇が合わさると、民は大いに沸き立った。
「ぴきゃああああ!」と空気を読めない叫び声を上げたのはキキミックだ。どぎまぎとしながら、両手で顔を隠す毛玉のような生物をすかさずターニャが黙らせる。
ベスとナットはせっせと走り回り、バルコニーから祝いの花びらを振りまいた。
「ねえオズ」
呼べば、愛おしい気持ちが溢れる。
「なんだ」
「私今、とても幸せよ」
オズはしばしエレノアを見つめると、柔らかく口角を上げた。
「ああ」
「ほっ、本当にそう思ってる?」
「思っている。かつての憎しみは、とうに消えうせた」
エレノアはオズの胸に寄り添う。魔族の王は黒き翼であたたかく包み込んだ。
「オズ、あのね……これからは、優しい世界を作っていくの」
「約束しよう」
「そうして、私たちの子には決して寂しい思いはさせないわ。私たちは、子の成長をあたたかく見守ってあげるのよ」
少し前まではオズと未来を語り合えるとは、つゆも思わなかった。
エレノアは幸せを噛み締め、ゆっくりと瞳を閉じる。
「もう、離れない。離さない」
「ああ」
「オズワーズ。私はこれからもあなたとともに、生きてゆく」
祝いの花びらがひらひらと舞い降りる。
『――ありがとう、我らの願いを宿す子らよ』
青々てした木々が揺れると、あたたかく優しい声が聞こえてきたのだった。
空席となった王の席にはエレノアが座り、国の在り方を正した。そして、魔族を太陽の下へと導いたのだった。
「エレノア、エレノア、エレノアぁぁぁ~。ひどいのだ、ナットがキキミックの毛をむしっていじめてくるのだ~!」
その日、エレノアは自室にてそわそわしていた。女官長のキャロルがエレノアの髪型を整えていると、キキミックが泣きべそをかきながら部屋の中に入ってくる。
「見ろ! この辺りが禿げてしまっているのだ! 可哀想だと思わないか!」
「きっと悪気はないのでしょう」
「キャロル殿! 笑っている場合ではないのだぞ! キキミックは毛をむしりとられて腹を立てている! あの子どもめ、許さぬ!」
キキミックは一つしかない目玉をぎょろりとさせ、毛がなくなってしまった箇所を見せてくる。
「キキミック~! どこにいるの、出てきてよ! さっきはごめん、わざとじゃないんだ!」
すると、ばたばたと走りまわる音が聞こえてくる。しきりに警戒をするキキミックを見て、エレノアとキャロルは顔を合わせて笑った。
「ほら、そう頑固にならずに、仲直りをして」
「ううむ…」
「ああやって謝ってるじゃない。キキミック、あなたも本当は、ナットと仲良くしたいのでしょう?」
苦虫を食ったように俯くキキミックは、しばし黙り込んだあとにくるりと扉の方向を向いた。
「あ、あやつには……借りがある。仕方がない。今回は許してやるとするか」
キキミックはぶつぶつと呟き、エレノアの部屋をあとにする。エレノアとキャロルは、穏やかな気持ちでそれを見送った。
「よい世になりましたね――…女王殿下」
「ええ、本当に」
宮殿の外から賑やかな声が聞こえてくる。この日の城下町ではそこら中で楽器の音色が響き、明るい唄が聴こえる。エレノアが王位に就くと、これまで禁じられてきたさまざまな娯楽を解禁させたのだ。
行事というものがなかったサンベルク帝国において、この日は一年の中でもっともめでたい日となった。
「そ、それにしても…キャロル女官長? わ、私…どこか変じゃないかしら」
何がそれほどめでたいのか。それは、数時間後に控えている儀式のためだ。
伝統的な刺繍の入った純白の衣装を身にまとっているエレノアは、頬を赤く染める。
「お綺麗ですよ。オズワーズ殿も思わず見惚れてしまうでしょう」
「…そ、そうかしら。でも、このような衣装ははじめて着るものだから…似合っていないのでは」
「滅相もございません。とてもお似合いでございます」
エレノアは何度も鏡を見つめてはため息を落とした。
「聞こえるでしょう? ――皆が、あなた様とオズワーズ殿を祝福されております」
キャロルは窓の外を眺め、やわらかく微笑んだ。耳を澄ますと、聴こえてくるのは“タイヨウの唄”。人間も魔族も、同じ太陽を分かち合っている。
大空を飛び交う魔族と、その背に乗る人間。魔族の子に学問をとく人間。サンベルク帝国の空が赤く染まったあの日以来、人間と魔族は互いに協力しあい、生きるようになった。
エレノアは皆からの祝福をうれしく思いながらも内心どぎまぎしていた。今日、このあと民の前で祝言を挙げる手筈となっているからだ。
コンコン。
緊張をして落ち着かないエレノアがしきりに部屋の中をうろうろしていると、控えめに扉が鳴った。
「エレノア殿。準備はいかほどか」
扉の向こう側から聞こえてきたのはガストマの声であった。
「何かご不便はございませぬか。女王陛下」
続けて女騎士のターニャの声が聞こえてくる。エレノアの緊張はいよいよ最高潮まで高まった。
「え、ええ。問題ないわ。こちらも準備は整っているわ」
どのような顔でオズと向かい合えばよいものか。そわそわして落ち着かないエレノアを見つめ、キャロルはくすくすと笑った。
「どうかお幸せに。烏滸がましくもこのキャロル、あなた様を我が子のように、思っておりますよ」
「…キャロル女官長」
エレノアは瞳に涙を溜めてキャロルに抱き着いた。
――カランカラン。祝いの鐘が鳴る。
かつてともにあったはずの人間と魔族は、途方もない年月を憎みあい、そして、争いあってきた。
人間は私欲にまみれた存在に付き従い、ねじまげられた史実を信じた。魔族は人間を傲慢な生き物であるとし、陽の光が差さぬ森の中で強い怨恨を抱いていた。だが、ここでようやく、数千年ぶりに一つになったのだ。
エレノアが身に着けているベールを、人間の子のナットと魔族の子であるベスが手に取る。民たちが見上げる宮殿のバルコニーで、エレノアとオズが向かい合った。
頬を染めるエレノアと、穏やかな表情を浮かべるオズ。ターニャは騎士としての威厳を保つために涙を我慢しているようであったが、キャロルにおいてはハンカチで目元を拭っている。フィーネは口笛を吹いて祝福をする。純白の花嫁姿を前に、チムは「女神様みたい…!」ときらきらと目を輝かせた。
ガストマが誓約の言葉を口にすると、オズがエレノアの手をとり、悠然と告げる。
「永久に、愛すと誓おう」
エレノアは胸を熱くさせ、花のように表情を綻ばせる。
「私も、あなたを生涯愛すと誓います」
やがて唇が合わさると、民は大いに沸き立った。
「ぴきゃああああ!」と空気を読めない叫び声を上げたのはキキミックだ。どぎまぎとしながら、両手で顔を隠す毛玉のような生物をすかさずターニャが黙らせる。
ベスとナットはせっせと走り回り、バルコニーから祝いの花びらを振りまいた。
「ねえオズ」
呼べば、愛おしい気持ちが溢れる。
「なんだ」
「私今、とても幸せよ」
オズはしばしエレノアを見つめると、柔らかく口角を上げた。
「ああ」
「ほっ、本当にそう思ってる?」
「思っている。かつての憎しみは、とうに消えうせた」
エレノアはオズの胸に寄り添う。魔族の王は黒き翼であたたかく包み込んだ。
「オズ、あのね……これからは、優しい世界を作っていくの」
「約束しよう」
「そうして、私たちの子には決して寂しい思いはさせないわ。私たちは、子の成長をあたたかく見守ってあげるのよ」
少し前まではオズと未来を語り合えるとは、つゆも思わなかった。
エレノアは幸せを噛み締め、ゆっくりと瞳を閉じる。
「もう、離れない。離さない」
「ああ」
「オズワーズ。私はこれからもあなたとともに、生きてゆく」
祝いの花びらがひらひらと舞い降りる。
『――ありがとう、我らの願いを宿す子らよ』
青々てした木々が揺れると、あたたかく優しい声が聞こえてきたのだった。