女神オーディアが手をかざすと、エレノアの眼下に燃え行く城下町が現れた。暴れ狂う魔族、そして泣き叫ぶ人間の子。その両者を庇い立てるようにしているのは――ターニャとチムであった。

(ターニャ! チム!)

 さらには、ターニャがレイピアで動きを封じている魔族がフィーネであることも直感で理解した。

(そんな…フィーネまで…!)

 エレノアが強い憤りを抱いていると、視界は切り替わり、辺境の地ニールで知り合った友人、ナットが映る。大人たちから何かを庇っている。草むらでうずくまっているのは、なれ果てているキキミックだった。

 さらに視界が切り替わり、宮殿内で祈るキャロルがいる。さらに移り替わり、燃えゆく家屋をなぎ倒すガストマがいる。
 イェリの森には、首から下げている乱血薬を強く握りしめているベスの姿がある。太陽の光が差さぬ場所で、滅びゆく未来を待つものたちの姿がある。

(皆を…守らなきゃ)

 エレノアはオズの手をとった。

『人間の娘、そして我が同胞よ、ともに願え』

 魔神デーモスは粛然と告げる。

『さすれば、大地からの祝福は森羅万象に注がれる力となろう』
『そして、あの嫉妬の権化をあるべき場所に還すのです』

 エレノアが力強く頷くと、女神オーディアと魔神デーモスは敬虔に微笑み、光の中へ消えゆく。
 オズは紋章が浮かぶ右手を振り上げ、エレノアは瞳を閉じて祈りを込めた。太陽のごとき紅蓮の赤と、澄み切った空のごとき眩い碧がまじりあう。二つの力は一つになり、やがて、眩しい光が大地へと広がった。



 サンベルク皇帝を名乗る者は、突如現れた光の柱を愕然と見上げていた。そして眩い光とともに姿を現した、二つの影。
 葬ったはずの魔族の王と、己のものであるはずのエレノアが上空に浮かんでいる。

(そんな…馬鹿、な)

 正気を取り戻している魔族の王は、エレノアの肩を抱き右手をかざしていた。

「何をしている…! 奴から皇女殿下を奪還せぬか!」
「しかしながら、機体が…作業せぬのです!」
「なんだと…!?」

 指揮をとるハインリヒは部下に叱責をする。だが、サンベルク帝国軍部が所有する対魔族兵器のどれもが、突如として動きをとめたのだ。
 エレノアと対をなし、眩い光を放っているオズは、身動きのとれぬサンベルク帝国の兵士、そして、すべての元凶である男を見据えた。

「皇帝を名乗る者よ、おまえの企みはこの日をもって潰える」

 我を忘れていた魔族も、絶望に震えていた人間も、そのすべてが、まるで圧倒されるがごとく漆黒の王を地上より見上げていた。

「エレノア・ラ・サンベルクが命じます。サンベルク皇帝――…いいえ、この世の嫉妬を体現する者よ」

 エレノアが強く祈りをこめると、宝石のごとく瞳が碧く光った。

「誰もが他者に憧れ、それを妬むことはあるでしょう。己可愛さに他者を嫌悪することもあるでしょう。けれど、誰もが、ただの一人で生きることなどできない。生きとし生ける者はすべて繋がっていて、時に迷い、苦しみながらも、支え合って生きてゆく」

 エレノアとオズが作る神秘的な光に、傷ついた者たちの心は救済されてゆく。ある者は涙を流し、ある者は祈り、ある者は安らかに笑った。

「何を、言っているのだ。父である私に、忠義はないのか…?」
「もうあなたの思い通りにはさせない」
「待っ、待ってくれ、エレノア──っ!」
「生きる葛藤を放棄し、嫉妬に囚われた化身よ。今一度訪れる大地の均衡とともに、あるべきところへ、還りなさい」

 オズの右手から神々しい力が解き放たれた。やがて、大地の祝福が森羅万象に作用する力となる。
 荒れ果てていた土地に緑が生い茂り、色とりどりの花々が咲き誇る。赤く染まった空は、青々と輝く。

 なれ果てていた魔族は理性を取り戻し、本来の姿へと変貌を遂げる。傷ついた者の躰は癒え、死した者は息を吹き返したのだった。