シスターの説明を聞いて、子どもたちは口をそろえて「オーディア様可哀そう」と喘いだ。

「こーじょさまって、どんな人?」
「シスターはあったことある?」

 エレノアはこっそりと聞き耳を立てていただけだったのだが、そこではじめてドキリとする。

「いいえ、ここは辺境の地のニールです。皇女殿下は王都にいらっしゃいますから…とてもじゃないけれど、平民の私たちがお会いすることはできないでしょうねえ」
「えー! シスターも見たことないんだあ」
「こーじょさまってきれいなのかなー?」

 生まれてこの方、離宮での暮らしと祈りの儀式の往復しかしてこなかったエレノアにとって、サンベルクの民から己がどのように思われているのかを知る機会はなかった。

「皇女殿下は代々、白銀の髪に碧眼を宿していらっしゃるといいますね。女神オーディアの生き写しだともいわれています」
「へきがん…?」
「鮮やかな青空の色のことですよ、マルク」
「へえ~、すっごい! いいなあ! ぼくもいつかほんもののおひめさまを見てみたいなあ」
「そうですねえ、オーディア様を信じて、怠惰ない生活を送っていれば、いつかは王都に参ることができるかもしれませんねえ。だからどうか、精進するのですよ?」

 エレノアはなんだか申し訳なくなってその場でうつむいてしまった。

(伴侶を得て、健やかな女児を産まなければならないのに)

「エレノア皇女殿下、あまり立ち聞きしては怪しまれてしまいますよ」

 すると、女騎士のターニャがしびれを切らしたように声をかけてきた。少しだけ。少しだけでいい。馬に乗って気分転換ができたら王都に戻ろう。
 エレノアは慌ててマントのフードを被り、その場を去ったのだった。



「皇女殿下、またこちらにいらしたのですか?」

 サンベルク帝国東部の辺境ニールにて休暇をとって五日経過した。エレノアはすっかり乗馬に夢中になり、暇があれば町はずれの草原で駆け回っていた。

「あらターニャ、ごきげんよう」
「ご機嫌麗しゅうございます…」

 愛馬はレックスと名付けた。とても利口な馬であり、乗馬初心者ではありながらも主人の言うことをよく聞いてくれる。エレノアにとって動物と触れ合う機会は今までになかったため、己の手で餌をやったときの感動はすさまじいものだ。

「勝手に宿屋を抜け出されては困ります…!」
「ごめんなさい。レックスが寂しがると思って」
「ですが、ご自身のお立場を考えてくださらないと! なにかあったら皇帝陛下に示しがつきません!」
「大丈夫よ。ニールはとても穏やかな町だもの」
「ああ…もう、キャロル女官長はどうして放っておけなどとおっしゃるのか…」

 心配してくれるターニャに申し訳ないと思いながらも、エレノアは愛馬と広い大地を走り回ることが楽しくて仕方がなかった。連なる山々も、視界に収まりきらない青空も、草木の青々とした匂いも、新鮮だった。

「いいですか? くれぐれも馬から落ちてケガなどされないように!」
「分かっているわ!」
「本当ですね? これから私は、宰相殿の使者様に定期報告をしに参らなければなりませんので、皇女殿下のおそばについてはいられないのです!」

 女騎士のターニャが背筋を正し、必死にエレノアに伝えようとする。焦っているターニャをよそに、エレノアは目を輝かせながら手綱を握っていた。

「私のことはどうか気にせず! レックスはお利口さんだもの」
「…はあ、心配だ…」

 女騎士のターニャが後ろ髪を引かれながらこの場を去った。エレノアはこれを絶交の機会だと考え、普段よりも広い範囲を駆け回ることにした。

 予期せずに絶景に巡りあえたときの感動が、まるで宝探しをしているようで楽しいのだ。
 自らの足で大地を踏みしめ、自らの瞳であらゆる事物に触れる。それは、長らく離宮で過ごしていたエレノアが知らなかった世界だ。

(少しだけ、少しだけよ)

 エレノアはそうして、ニールの町のさらに東の草原へと馬を走らせた。