チムは顔を青白くさせて慟哭している。ターニャには乱血薬なるものが何であるのかが分からなかったが、禁薬であることは確かであった。
 獰猛な目をした魔族たちは、次々と城下町へと降り立ってゆく。そして、息のある人間に襲い掛かった。

 人間と同等の知性をもつチムとそれらは明らかに様子が異なっていた。我を忘れてひたすらに暴れ狂う怪物――。間違いなく人間の仇なのだろう。だが、ターニャには何故か、魔族たちが憎悪と悲しみを嘆いているように映ったのだ。

「こんな、あんまりだ…! みんな、目を覚まして! おれの声、聞こえないの!?」

 チムは血相をかえて魔族のそばへと駆け寄った。だが、理性を欠落させている魔族はチムの声を聞くどころか、大きな瞳をぎょろりと向けるのみであった。

「たしかに人間は憎いけど…、き、聞いてよ! エレノアやお師匠、キャロルみたいに、“いい”人間も、いるんだよ…!」
「…アア、グ、ハア…」
「あっ…、ああ」

 開いたままの口から唾液が垂れ流しになっている。息絶えた人間を放り投げ、今度は鋭い爪をチムへと振り下ろした。

「同胞の顔の分別もつかぬとは……愚か者め!」

 ターニャがすかさずレイピアを引き抜き、襲撃を阻止する。腰をぬかしているチムを顧みて、冷静に激を飛ばす。

「チム! おまえは何故、力を求めた! この惨劇を前にして、まさか怖気づいたとは言わせぬぞ!」
「…お、師匠」
「己が信じたものを守り抜くことが騎士の定め! 置いてゆかれたと嘆くのか? 声も届かぬ同胞とともに、滅びゆきたいか? このようなところで絶望などしてみろ、この動乱が収まったのち、おまえだけが魔族の尊厳を守護できる存在なのではないのか!」

 ターニャはレイピアを構え、魔族の拳をいなす。紅蓮の炎が巻き上がった。

 エレノアの身の安全が気がかりであったが、ターニャは忠義心溢れる騎士だ。
 一見すると淑やかでか弱い少女であるように見受けられるが、エレノアはただ守られるだけの姫ではない。

「そ、うだ。悲しいけど、残されたおれが、しっかり、しなくちゃ」
「ああ、おまえが皆を守るのだ!」

 ターニャは魔族を振り切り、チムを連れて息のある民を探してまわったのだった。