「それだけは許さない。エレノア、おまえはオーディアの再来。おまえの力は私だけのものだ」
「私はこの力を、もう二度と、あなたの私欲のために使ったりしない」
サンベルク皇帝を名乗る者の瞳に宿るのは強い嫉妬であった。生きていれば誰もが宿す感情の化身――それが、この者であるのだとエレノアは理解した。
「魔族の王などに奪わせてなるものか! この神秘の力は、永遠に私だけのものなのだ!」
(そんなこと、させない…!)
エレノアが踵を返す。その刹那、──…ドーンッ!と大きな地鳴りが生じた。
いや、爆発音と表現することが正しいか。足を止めて動揺するエレノアを見て、サンベルク皇帝を名乗る者は薄ら笑いを浮かべた。
嫌な予感がした。
ドーンッ………ドーンッ!
続けて鳴り響く衝撃音。建物が崩れ落ちる音。宮殿からそう離れていない場所から、民衆の悲鳴が聞こえてくるとエレノアは焦燥した。
「あの軍人は、使える駒であった」
軍人。エレノアは脳裏にハインリヒを思い浮かべる。胸騒ぎが止まらず、エレノアは己の予感が外れることを願った。
「すこし唆しただけであったが、よほどおまえに執着していたらしい」
「いったい、何を…」
「さあ。外に出て、惨劇を目にするがよい」
エレノアは血相を変えて大聖堂の門をこじ開けた。
やがて飛び込んできた光景に目を丸くする。鼻につく焦げた匂い。おぞましいほどの悲鳴。城下に広がっていたのは――火の海であった。
「ウ…アア!!」
「やめろ! くっ、来るな! ぎゃああああ!」
「アア……グア!」
轟轟と燃え盛る街。信じられないことに、ここにいるはずのない無数の魔族が血眼になって人を襲っていた。命乞いをする者の声も聞かず、蹂躙する光景。うなり声をあげ、荒々しく呼吸をし、肉体が何倍にも膨れ上がっている魔族のどれもが理性を保てていない。
(可笑しい。そんな、どうして)
それらはかつて一度目の当たりにした、なれ果てた獣そのものであったのだ。
ドーンッ、ドーンッ!
サンベルク帝国の対魔族兵器は鉄の雨を降らせ、魔族の群れを人間の住む街ごと蹴散らした。爆風が吹き荒れ、魔族も人間も悲鳴を上げて絶命してゆく。
「何故、王都にこのような数の魔族が…!?」
エレノアは身を乗り出して城下町を食い入るように見つめる。まるで地獄絵図だ。今に沈めなければならぬのに、この帝国の王は楽しそうに微笑んでいた。
「奴らは愚かにも、感情的な生き物だ」
「…何がいいたいの」
「無念を晴らすためには、我が身も惜しまない。単細胞な連中を率いる王などは、殊更におまえにはふさわしくない」
頭がかち割れるように痛んだ。もしや――という予感は外れてほしかった。だが、エレノアの意識に女神オーディアの怒りが干渉してくる。
――燃え盛る火の海の上空、飛行している対魔族兵器に視線が向いた。
煙を出して傾く巨体にしがみついている黒い物体がある。大きく、立派な翼。長く伸びる角。全身を覆う黒い体毛。何度砲撃を受けてもなお船体にしがみつき、低いうなり声を上げる獣がいた。
「あの軍人はね、エレノア…おまえの髪の束を魔族の王に送り、“処刑した”と伝えさせたそうだ」
(う、そ…よ)
「そうしたらどうだ。乱血薬なるものを含み、総出で我らを滅ぼしに来おった!」
エレノアは膝から崩れ落ちる。
今、己の視界で猛獣となり暴れているのは…オズであると思った。知的で冷静であったかつての面影はもうどこにもない。だが、月のような瞳がエレノアが愛した瞳そのものであるのだ。
「ヴア、ァッ…!!」
「あれが黒翼の王だ! かならず仕留めよ!」
――ドーンッ!
指揮をとるのはハインリヒであった。オズに向けて砲台が容赦なく向けられる。全身から血を流してもなお、オズは機体にしがみつき抵抗を続けていた。
「やめてっ…!!!」
エレノアは涙を嘆いた。
――ドーンッ!!
それでも鉄の雨がオズの躰目掛けて降り注ぐ。
「やめなさいっ…!!!」
(私は死んでいない…! 生きている! ここにいる!)
だが、エレノアの声は轟轟と燃え盛る音にかき消され届かない。乱血薬を使用した魔族は最後、なれ果てたのちにかならず死に絶えてしまう。
痛いほどにエレノアは理解していた。
「アア…! ヴぁ!」
「殺せ! まだ足りぬ!」
「……アアアア!」
「打てぇぇぇぇ!」
オズや魔族の民はエレノアの死を嘆き、報復を誓って秘薬を口にしたのだ。
何故またこのような運命を辿らねばならない? 心優しく情に厚い彼らがまた、悪しき存在に騙された。
(お願いよ…もう、やめて)
ひとつ、またひとつと砲撃を受けるオズは見るに堪えない傷を作る。だが、力をため込むと己を巻き込み、人間を乗せた対魔族兵器を爆破させた。
「やめてっ、…オズ!!」
「アアアアッ!」
「私はここよ! オズ!」
火の粉が飛び交う城下町に向けて、エレノアは叫んだ。
サンベルク皇帝を名乗る者は、あざけり笑う。
「じきに死ぬ。願うだけ無駄だよ」
「黙りなさい! よくも! よくも!」
「すべて諦めて、私と素晴らしい世を作ろう」
この者は己の国の民など微塵にも考えていないのだとエレノアは理解した。
城下町が燃え行く様を見ても胸を痛める気配がない。そればかりか、なれ果てた魔族に民が襲われているとしても穏やかに笑っているのだ。
「私はこの力を、もう二度と、あなたの私欲のために使ったりしない」
サンベルク皇帝を名乗る者の瞳に宿るのは強い嫉妬であった。生きていれば誰もが宿す感情の化身――それが、この者であるのだとエレノアは理解した。
「魔族の王などに奪わせてなるものか! この神秘の力は、永遠に私だけのものなのだ!」
(そんなこと、させない…!)
エレノアが踵を返す。その刹那、──…ドーンッ!と大きな地鳴りが生じた。
いや、爆発音と表現することが正しいか。足を止めて動揺するエレノアを見て、サンベルク皇帝を名乗る者は薄ら笑いを浮かべた。
嫌な予感がした。
ドーンッ………ドーンッ!
続けて鳴り響く衝撃音。建物が崩れ落ちる音。宮殿からそう離れていない場所から、民衆の悲鳴が聞こえてくるとエレノアは焦燥した。
「あの軍人は、使える駒であった」
軍人。エレノアは脳裏にハインリヒを思い浮かべる。胸騒ぎが止まらず、エレノアは己の予感が外れることを願った。
「すこし唆しただけであったが、よほどおまえに執着していたらしい」
「いったい、何を…」
「さあ。外に出て、惨劇を目にするがよい」
エレノアは血相を変えて大聖堂の門をこじ開けた。
やがて飛び込んできた光景に目を丸くする。鼻につく焦げた匂い。おぞましいほどの悲鳴。城下に広がっていたのは――火の海であった。
「ウ…アア!!」
「やめろ! くっ、来るな! ぎゃああああ!」
「アア……グア!」
轟轟と燃え盛る街。信じられないことに、ここにいるはずのない無数の魔族が血眼になって人を襲っていた。命乞いをする者の声も聞かず、蹂躙する光景。うなり声をあげ、荒々しく呼吸をし、肉体が何倍にも膨れ上がっている魔族のどれもが理性を保てていない。
(可笑しい。そんな、どうして)
それらはかつて一度目の当たりにした、なれ果てた獣そのものであったのだ。
ドーンッ、ドーンッ!
サンベルク帝国の対魔族兵器は鉄の雨を降らせ、魔族の群れを人間の住む街ごと蹴散らした。爆風が吹き荒れ、魔族も人間も悲鳴を上げて絶命してゆく。
「何故、王都にこのような数の魔族が…!?」
エレノアは身を乗り出して城下町を食い入るように見つめる。まるで地獄絵図だ。今に沈めなければならぬのに、この帝国の王は楽しそうに微笑んでいた。
「奴らは愚かにも、感情的な生き物だ」
「…何がいいたいの」
「無念を晴らすためには、我が身も惜しまない。単細胞な連中を率いる王などは、殊更におまえにはふさわしくない」
頭がかち割れるように痛んだ。もしや――という予感は外れてほしかった。だが、エレノアの意識に女神オーディアの怒りが干渉してくる。
――燃え盛る火の海の上空、飛行している対魔族兵器に視線が向いた。
煙を出して傾く巨体にしがみついている黒い物体がある。大きく、立派な翼。長く伸びる角。全身を覆う黒い体毛。何度砲撃を受けてもなお船体にしがみつき、低いうなり声を上げる獣がいた。
「あの軍人はね、エレノア…おまえの髪の束を魔族の王に送り、“処刑した”と伝えさせたそうだ」
(う、そ…よ)
「そうしたらどうだ。乱血薬なるものを含み、総出で我らを滅ぼしに来おった!」
エレノアは膝から崩れ落ちる。
今、己の視界で猛獣となり暴れているのは…オズであると思った。知的で冷静であったかつての面影はもうどこにもない。だが、月のような瞳がエレノアが愛した瞳そのものであるのだ。
「ヴア、ァッ…!!」
「あれが黒翼の王だ! かならず仕留めよ!」
――ドーンッ!
指揮をとるのはハインリヒであった。オズに向けて砲台が容赦なく向けられる。全身から血を流してもなお、オズは機体にしがみつき抵抗を続けていた。
「やめてっ…!!!」
エレノアは涙を嘆いた。
――ドーンッ!!
それでも鉄の雨がオズの躰目掛けて降り注ぐ。
「やめなさいっ…!!!」
(私は死んでいない…! 生きている! ここにいる!)
だが、エレノアの声は轟轟と燃え盛る音にかき消され届かない。乱血薬を使用した魔族は最後、なれ果てたのちにかならず死に絶えてしまう。
痛いほどにエレノアは理解していた。
「アア…! ヴぁ!」
「殺せ! まだ足りぬ!」
「……アアアア!」
「打てぇぇぇぇ!」
オズや魔族の民はエレノアの死を嘆き、報復を誓って秘薬を口にしたのだ。
何故またこのような運命を辿らねばならない? 心優しく情に厚い彼らがまた、悪しき存在に騙された。
(お願いよ…もう、やめて)
ひとつ、またひとつと砲撃を受けるオズは見るに堪えない傷を作る。だが、力をため込むと己を巻き込み、人間を乗せた対魔族兵器を爆破させた。
「やめてっ、…オズ!!」
「アアアアッ!」
「私はここよ! オズ!」
火の粉が飛び交う城下町に向けて、エレノアは叫んだ。
サンベルク皇帝を名乗る者は、あざけり笑う。
「じきに死ぬ。願うだけ無駄だよ」
「黙りなさい! よくも! よくも!」
「すべて諦めて、私と素晴らしい世を作ろう」
この者は己の国の民など微塵にも考えていないのだとエレノアは理解した。
城下町が燃え行く様を見ても胸を痛める気配がない。そればかりか、なれ果てた魔族に民が襲われているとしても穏やかに笑っているのだ。