エレノアは魔族の里での生活を巡らせる。

「私はこの目で確認したのです。彼らは本来、心暖かな種族。富める者も貧しい者も皆等しくあり、我々人間以上に絆やつながりを重んじていた。日々をたくましく生きるそんな彼らが、悪であるとは思えません」

 母親とはぐれてしまった子どもを一緒になって探してくれた。異常時には身分の差は関係なく助け合っていた。何より、人間であるエレノアですら受け入れてくれたのだ。

(どうかご理解いただきたい…)

 エレノアは己が目にした魔族の真実の姿を伝えた。だが、サンベルク皇帝は敬虔な眼差しを向けたまま表情を変えない。

「エレノア、騙されてはいけない。魔族は悪しき種族だ。そのような軽薄な生き方をしていているから、かの厄災を引き起こしたのではないのかね?」

 サンベルク皇帝は終始穏和な態度であるが、言葉の節々には鋭さがあった。エレノアの考えを受け入れる姿勢ではなく、愕然とした。

(どうして、父上…!)

 エレノアは喘いだ。緊張が張り詰め、足が何度も震える。
 父親だとはいえ、この国で最も位の高い人物に反論しているのだ。しかも、エレノアよりも何十倍も徳を積んでいるサンベルク皇帝に。
 エレノアが硬く唇を結ぶと、サンベルク皇帝はさらに告げる。

「とにかく、もう魔族に近づいてはいけないよ。今度はもう宮殿から出るのは控えなさい。父はエレノアが心配なのだよ」
「父上…!」

 サンベルク皇帝がエレノアの正面に立ち、そっと肩に触れる。優しく諭すような言い方であったが、エレノアは腑に落ちなかった。

(この国で最も貴きお人に抗うなど、無礼であると分かっている。けれど、私は)

「人間が生命の源なるものを奪ったから、魔族はなれ果てる道をたどるしかないのだと…聞いたのです!」
「…」
「それを返してもらえれば、魔族は人間を食わずに済むのだと聞いたのです! もし、人間と魔族の争いの種がそれなのであれば、返してやればいいのではないのですか? そうすれば、人間の脅威ではなくなる! 魔族を攻撃する必要もなくなるのです!」

 引き下がれない。ともに生きるとオズと約束をしたのだ。
 エレノアは自らを奮い立たせ、力強く叫んだ。

「私は、今まで何も知らずに生きてきました。それは、父上に大切に思われていたからこそであったのでしょう」

 幼少期のエレノアは孤独にさいなまれていた。父や母に甘えたくとも、これが己の使命なのだと理解することで我慢をしていた。自室の小さな窓から見える月と、本棚に並んでいる書物がエレノアのすべてだった。

「ですが、十六になり、世界の真実を知りました。私はわが国の民をもちろん愛している。そして魔族の民も愛している。サンベルク帝国の皇女として、どうにかともに生きる道を探りたいのです」

 イェリの森で魔族の王に出会った。離宮での暮らしでは得られなかった、絆、そして愛を得た。

「愛し子よ。皇女であるおまえが難しいことを考えずともよい。私はね、エレノアには良き伴侶を見つけて、はやく幸せになってほしいと思っているのだよ」

 サンベルク皇帝は穏やかに微笑む。エレノアはこぶしを握り、勇気を振り絞った。

「私は、魔族の王のオズワーズを伴侶に迎えたいと思っております」

 だがその刹那、サンベルク皇帝の顔から表情が消えた。

「それだけは駄目だ」

 これまでは温厚な様子であったサンベルク皇帝だったが、厳しく叱責するような口調になる。眉を吊り上げている姿をエレノアは目にしたことがなく、動揺した。

「ちち、うえ?」
「絶対にいけない。いいか? 絶対にだ」
「わ、私は、オズワーズを愛しております。彼以外の男性を伴侶に迎えるつもりはございません」
「魔族の王だけは、認められない。諦めなさい」
「いやです! 父上、どうか私の願いをお聞きください!」
「ならぬ! あの魔族の王はまた私から奪うつもりなのか……!」

 エレノアはサンベルク皇帝にすがったが、ついに聞き耳を立てることはなかった。
 慈悲深いサンベルク皇帝であれば、エレノアの気持ちを汲み取ってくれると期待していた分、目の前が真っ白になった。

 弱音を吐きたくない。ここで諦めてしまいたくない。
 サンベルク皇帝が去ったあとの大聖堂で、エレノアはしばらくその場に座り込んだ。