「人間とは、これからも争い続けるつもりなの?」
「ああ」
「やはり、憎いのね…?」
「そうだ」

 だが、オズはエレノアを手にかけない。

「きっと、許されないことよね。それでも私、オズのそばにいたいと思ってしまうの。支えたいと思ってしまうの。私がもしも人間でなかったのなら、好きなだけこうしていられるのにって」

 エレノアはオズの躰に回した手を解き、頬を染めて向かい合った。

「あなたに、傷ついてほしくない。あなたがいなくなることが、こんなにも怖い。無茶はしないでほしいなんて、烏滸がましいって分かっているけれど…どうにも止められないの」

 芽生えたこの気持ちの正体は恋であった。愛したい。愛されたい。オズを思えば、無限に強くなれる気がする。多くの者を巻き込み、荒波を産むことになろうともきっと揺るがない。
 亡き魔族の先王の墓で誓う。
 修羅の道を歩むことになろうと、この傷だらけの王の手を取りたい。

「俺の中に“魔神”が宿っているとしても、おまえは、拒まぬというのか」
「拒まない」
「帝国が祀る“女神”を手にかけた。憎くはないのか」
「何故か、そんなことは少しも思わないの。むしろ、イェリの森で祈るたびに、オーディア様はうれしそうで」

 それが何故なのか、エレノアには分からない。神話で伝え聞かされている内容は、女神オーディアが魔神デーモスにより滅ぼされたということ。

 それにより人間と魔族の間の溝は深まり、住む世界を分けるまでに至った。生まれてからこの方離宮で過ごしていたエレノアは、つい最近まで魔族が実在することすら知らずにいた。
 魔族は邪悪な生物であり、忌むべきだ――。太陽のごとき女神の死に世界が悲しんだとされているのにもかかわらず、エレノアの意識に入ってくる女神オーディアの声は、慈愛に満ちている。

 エレノアはすっと目を閉じ、ゆっくりと息を吐く。背後に女神オーディアの気配を感じつつ、口を開いた。

「魔神デーモスを宿し王、オズワーズ」

(――“会いたかった”)

 呼べば、エレノアの意識へと女神オーディアが語り掛ける。エレノアが言葉を発しているのに、女神オーディアの心情が被さってくる。きらきらと光る花々が風にのって揺れ、あたたかな風がエレノアとオズを包み込む。

「私はあなたの、力となりたい」

 この地に眠る魔族の先王も祝福しているようであった。

「ともに歩むと? 」
「ええ」
「片時も、離れぬつもりか」
「離れない」

 オズはエレノアの柔らかな髪に手を通す。己の手で壊してしまわぬように、繊細な触れ方だった。
 白糸のような髪を丁寧に梳き、咲いていた花を手折ってエレノアの髪に差し入れる。その場に腰を下ろしたオズにならい、エレノアは隣に座った。

「俺も存外、おまえを手放せぬ」

 触れられた箇所が熱を持つ。粛然たるオズが花を送ってくれるなどとは、考えもしなかったのだ。

「人間は憎いが、エレノア、おまえはそうではない」
「…オズ」

 月のような瞳が向けられる。

「先日は魔族の子どもを連れ、母親を探し回っていたと聞いた」
「…! それ、どこで」
「ガストマだ。人間の娘が、ずいぶんと出しゃばる」
「…もうっ、そんな言い方をしなくても。少しは褒めてくれてもいいじゃない」

 エレノアは不服に思い、むくれた。見返りを求めていたわけではないが、乙女心は複雑であった。

「ああ、よくやった」

 鼓膜を低く震わせるオズの声。エレノアの心に応えるように、そっと手のひらを重ねられる。エレノアは驚いて顔を上げると、思いのほか近くにオズの顔があった。

「えっと、あの、オズ」
「なんだ」
「…緊張する、わ。だめね、御父上が眠る聖なる場所で、このような…」

 何故オズの表情はぴくりとも動かないのか。エレノアは悔しく思う。
 オズは真意を探るように瞳を鈍く光らせた。

「構わぬ」
「え…」
「そんなおまえが、どうやら、愛おしい」

 ふわり、風が吹き抜ける。
 オズはエレノアの頬に触れると、傷をつけないように指の腹で肌の感触を確かめる。エレノアの体温がオズの冷たい指先に溶けていった。

 やがてその手が離れると、エレノアは名残惜しくなった。しばらくの間、宝石のごとく輝く花畑の中央で、何も語ることなく、エレノアとオズだけの時間を共有した。