エレノアは我にかえり、慌ててオズの胸もとから離れた。騒ぎ立てているのはキキミックであり、衝撃のあまり尻もちをついている。

(わ、私ったらいったい何を…!)

 赤面しつつオズを見やるが、当の本人は眉一つ動かさずにいつも通りであった。エレノアは極めて冷静沈着なオズを目の当たりにして落ち込んだ。

(人間の娘なんて、オズからすれば赤子同然よね…)

 何故、このようにひどく落胆しているのか。エレノアははじめての感情に戸惑いつつ、邪念を消すように頭を振った。

「にににに人間の娘と……オオオ、オズ様がっ!」
「あ、あの…キキミック?」
「なななななな、何をしてっ…! そんな! 破廉恥な!」
「お、落ち着いて、キキミック」
「わ、我らの王が…にっ、人間の娘にたぶらかされ――ふぎゃ!」

 キキミックは一つしかない目玉をぎょろぎょろさせる。すると、丸々とした毛玉のような躰が宙に浮く。

「…くどい」

 オズが指先を横に動かすと、キキミックが森の茂みの中に放り投げられた。

「キキミック!」

 エレノアは慌ててそれを追いかけ、草の中に埋まっているキキミックを見つけて抱き上げる。ケガはしていないようでホッと胸を撫でおろした。

「だ、大丈夫?」
「オズ様が」
「え?」
「オズ様が……キキミックに怒った。人間の娘が、横取りしたのだ!」

 はじめて会った時と比べると、過剰に拒絶する様子がなかったが、エレノアに向ける敵対心は相変わらずだ。エレノアとしては、できれば先ほどの出来事は触れてほしくはなかったのだが、どうにもキキミックの気が休まらないらしい。

「そっ、そんなこと、ないのよ? オズは、危ないところを助けてくれただけで」
「何故オズ様が人間を助けるのだ! ありえない! オズ様に何をしたのだ!」
「キキミック、本当にあの、その…そうよ、今日は何して遊ぶ? 私ね、町を歩いてみたいわ!」

 エレノアはとっさに誤魔化して話題を変えようとした。だが、キキミックは不服な表情を浮かべている。
 オズに助けを求めようとしたが、エレノアとキキミックをその場において森の中へ勝手に歩きはじめてしまった。

「むう…納得がいかぬ」
「キキミック、どうか機嫌をなおして?」
「サンドイッチはあるのか」
「あ、あるわ! あるある! たくさん持ってきたの!」

 キキミックを抱き締めたまま、オズのあとをついていく。愛馬にいい子にしているように声をかけてから、エレノアも森の深みへと入っていった。



「お初にお目にかかる、エレノア殿。我が名はガストマである」

 魔族の里の城内に連れられると、禍々しい深紅の目玉を三つ持った大男が待ち構えていた。全身が黒い体毛に覆われ、痩躯ながらに手足が長い。長い背中を丸めて、エレノアの顔をじいと見つめてくる。

 その容姿がエレノアを襲った魔族と酷似するところがあり、エレノアは少し足を震わせてしまった。

「あ、あの…はじめまして。ガストマ」

 キキミックをぎゅっと抱き締める。オズはガストマを一瞥した。

「町に出るようだ。ついていけ」
「町に、ですと? 正気か、我が君」
「それを被っていれば、気づかれぬ細工を施している」

 オズが示していたのはエレノアが被っているマントであった。人間独特の匂いも消されているため、よほどのことがないかぎりは魔族の民に紛れることができる――ということだが、キキミックのみでは不足するだろうということで、ガストマが派遣されることとなった。

(そうよね…オズは忙しいわよね)

 エレノアは内心、がっかりしていた。もう少しオズと話していたかったのだ。

「ですが…人間を……? 内部の情報を外へ漏らさぬとは言い切れますまい」
「であれば、そうさせぬよう、おまえが見ていろ」
「オズワーズ殿!」

 オズは羽織を翻し、屋敷の奥へと去ってしまう。残されたエレノアの前には、三倍ほどの身丈の差のあるガストマがいる。血走った獰猛な瞳がぎょろりと向けられると、エレノアの躰は強張った。

「はあ、いったいどのような風の吹き回しか。あの人間嫌いのオズワーズ殿が」
「まったくもってその通りだ。大方、この娘にそそのかされたのやもしれぬ!」
「ちょっと! キキミック? 誤解よ!」
「そうとしか考えられぬ!」
「……しかしながらキキミック、そういうおまえも、ずいぶんと懐いているようだが?」

 エレノアの腕の中に抱かれているキキミックは、ハッとしたように慌てた。