数里進むと、森の中に集落が見えた。サンベルク帝国の王都のような華やかさはなく、昔ながらの伝統的を重んじるような雰囲気。まだ見ぬ世界を肌で感じ、エレノアはどきどきと胸を高鳴らせた。
ほんのりとした提灯の灯り。古びた家屋。あのあたりは商店街であるのか、人間とは姿形がことなる生物がぞろぞろと歩いている。
顔がどこにあるか判別できないような黒い鬼のような生物に、トカゲのような鱗が目立つ生物。キキミックのように丸々とした毛むくじゃらの子どもが走っている風景もあった。
エレノアは思わずため息を漏らした。ここで、人類とは異なる種族が生きている。これは――…陽の光の当たらない、魔族の国。
エレノアの華奢な躰は吹き付ける猛烈な風に吹き飛ばされそうだった。だが、オズの腕は頼もしい。眼下に広がる集落を食い入るように眺めながら、エレノアはオズの硬く冷たい鱗の胸もとへと手を添えた。
エレノアの白銀の髪が流れるように宙を舞う。オズは氷のような瞳をエレノアへと向ける。
「これ…は…」
そして、先ほどから里中に響き渡っているものは――…。
「民謡だ」
「民謡…?」
見れば、広場で魔族たちが集まり、木製の何かをもって陽気に口ずさんでいる。何故か分からないが、胸の中にすっと溶けてくるような温かさがある。
はじめ、エレノアにはそれが何か検討もつかなかった。鬼のような躰をした魔族たちが、広場の中心で踊っている。酌を片手に、大らかな笑い声。サンベルク帝国内ではこのような場面を目にしたことはなかった。
「タイヨウの唄だ」
「うた…? これが……うた。はじめて、聴いたわ」
エレノアは目を閉じて、独特な音の流れを鼓膜に焼き付ける。
厳粛主義を重んじるサンベルク帝国では、怠慢につながるという理由から娯楽行為は禁止されている。
音楽もその一つであり、エレノアは生まれてこの方耳にしたことがなかった。
今から百年くらい前まではサンベルク帝国でも音楽というものは存在していたようだが、時代の流れにより姿を消していった。
外国から違法に仕入れたレコードを所持していた者が逮捕されることは稀にあるらしいが、善良な民のほとんどは音楽がどのようなものかを知らずに育つ。
エレノアにとっては、この唄が愚かしさを生む材料になるとは思えなかった。
「すごい……こんなに、素敵なものだなんて」
「イェリの森には、陽が差さぬ。だからこうして、昼間に、唄う」
空をも覆いつくす深い森。エレノアは神秘的で、とてもあたたかい民謡を耳にしながら、少しだけ切なくなった。
「唄には、気持ちが宿るのね。願いや夢が……こんなにもありありと、伝わってくる」
サンベルク帝国では、昼間から民衆が広場に集まって騒ぎたてることはまずない。年間行事も祈り日以外存在せず、それこそ特別な日でも何でもない日に友人と集って酒を酌みかわすこともないのだ。
サンベルク帝国の民はその厳粛さを誇りとしている。真面目に生きている者が女神オーディアからの加護を授かるのだとされているからだ。それなのに、魔族の里では王自ら容認している。
「あれは、何かしら…」
広場で魔族たちが肩を組んで音を刻んでいる。あれが楽器というものだろうか。金属製の何かを口に咥えた者が、パッパラー!と快活な音を鳴らすのだから驚いてしまった。
「び、びっくりしたわ……!」
「ただの、ラッパだ」
「ラッパ……」
ふわり、風が吹く。空中を飛んでいるオズにしがみつくと、広場の付近まで下降してくれているようであった。
「オ、オズ様いけません…! 里の民に、その娘を見せるわけには…!」
「――細工をしている。問題ない」
「ああ、もうっ…! お待ちを、オズワーズ様ぁぁ!」
慌てた様子のキキミックが私たちのあとをついて飛んでくる。落ちかけるマントを深くかぶって、できるだけ周囲に悟られないようにエレノアは気をつかった。
「ああ~、永久に、我らのぉ~、陽がのぼらん~」
「ああ、よいしょ!」
「碧空のもと~、手をつなぎぃ~、約束したもう~」
鋭いくちばしをもった鬼のような男たちが酌を片手に口ずさんでいる。エレノアの倍以上の体躯。それこそ人間など丸飲みできてしまうほどの巨体であり、目玉は三つついている。
彼らは、オズのような人間らしい顔立ちはしていなかった。いや、王であるオズの容姿こそが特殊なのか。
恐れを抱いていないといえば嘘になる。だが、エレノアは、それでも彼らのこと――魔族を知りたいと思った。
「魔族は…音楽が、好きなのね…」
低い位置で飛んでくれたオズは、エレノアの問いかけに何も答えなかった。
「魔族はやはり、まだ、恐ろしい……けれど」
「…」
「こんなにも、あたたかいものを愛している……そんな彼らを、とても悪い種族だとは思えないわ」
ざわざわと森が薙ぐ。弦がはじかれる音。ラッパが吹かれる音。笛の奏でる優しい音。それらが混ざり合って作られたものは、不思議と、はじめて音楽に触れるエレノアの胸の中にしみ込んできた。
「…そうか 」
オズはエレノアを一瞥すると、再び上昇してさらなる森の深みへと進んでいった。
ほんのりとした提灯の灯り。古びた家屋。あのあたりは商店街であるのか、人間とは姿形がことなる生物がぞろぞろと歩いている。
顔がどこにあるか判別できないような黒い鬼のような生物に、トカゲのような鱗が目立つ生物。キキミックのように丸々とした毛むくじゃらの子どもが走っている風景もあった。
エレノアは思わずため息を漏らした。ここで、人類とは異なる種族が生きている。これは――…陽の光の当たらない、魔族の国。
エレノアの華奢な躰は吹き付ける猛烈な風に吹き飛ばされそうだった。だが、オズの腕は頼もしい。眼下に広がる集落を食い入るように眺めながら、エレノアはオズの硬く冷たい鱗の胸もとへと手を添えた。
エレノアの白銀の髪が流れるように宙を舞う。オズは氷のような瞳をエレノアへと向ける。
「これ…は…」
そして、先ほどから里中に響き渡っているものは――…。
「民謡だ」
「民謡…?」
見れば、広場で魔族たちが集まり、木製の何かをもって陽気に口ずさんでいる。何故か分からないが、胸の中にすっと溶けてくるような温かさがある。
はじめ、エレノアにはそれが何か検討もつかなかった。鬼のような躰をした魔族たちが、広場の中心で踊っている。酌を片手に、大らかな笑い声。サンベルク帝国内ではこのような場面を目にしたことはなかった。
「タイヨウの唄だ」
「うた…? これが……うた。はじめて、聴いたわ」
エレノアは目を閉じて、独特な音の流れを鼓膜に焼き付ける。
厳粛主義を重んじるサンベルク帝国では、怠慢につながるという理由から娯楽行為は禁止されている。
音楽もその一つであり、エレノアは生まれてこの方耳にしたことがなかった。
今から百年くらい前まではサンベルク帝国でも音楽というものは存在していたようだが、時代の流れにより姿を消していった。
外国から違法に仕入れたレコードを所持していた者が逮捕されることは稀にあるらしいが、善良な民のほとんどは音楽がどのようなものかを知らずに育つ。
エレノアにとっては、この唄が愚かしさを生む材料になるとは思えなかった。
「すごい……こんなに、素敵なものだなんて」
「イェリの森には、陽が差さぬ。だからこうして、昼間に、唄う」
空をも覆いつくす深い森。エレノアは神秘的で、とてもあたたかい民謡を耳にしながら、少しだけ切なくなった。
「唄には、気持ちが宿るのね。願いや夢が……こんなにもありありと、伝わってくる」
サンベルク帝国では、昼間から民衆が広場に集まって騒ぎたてることはまずない。年間行事も祈り日以外存在せず、それこそ特別な日でも何でもない日に友人と集って酒を酌みかわすこともないのだ。
サンベルク帝国の民はその厳粛さを誇りとしている。真面目に生きている者が女神オーディアからの加護を授かるのだとされているからだ。それなのに、魔族の里では王自ら容認している。
「あれは、何かしら…」
広場で魔族たちが肩を組んで音を刻んでいる。あれが楽器というものだろうか。金属製の何かを口に咥えた者が、パッパラー!と快活な音を鳴らすのだから驚いてしまった。
「び、びっくりしたわ……!」
「ただの、ラッパだ」
「ラッパ……」
ふわり、風が吹く。空中を飛んでいるオズにしがみつくと、広場の付近まで下降してくれているようであった。
「オ、オズ様いけません…! 里の民に、その娘を見せるわけには…!」
「――細工をしている。問題ない」
「ああ、もうっ…! お待ちを、オズワーズ様ぁぁ!」
慌てた様子のキキミックが私たちのあとをついて飛んでくる。落ちかけるマントを深くかぶって、できるだけ周囲に悟られないようにエレノアは気をつかった。
「ああ~、永久に、我らのぉ~、陽がのぼらん~」
「ああ、よいしょ!」
「碧空のもと~、手をつなぎぃ~、約束したもう~」
鋭いくちばしをもった鬼のような男たちが酌を片手に口ずさんでいる。エレノアの倍以上の体躯。それこそ人間など丸飲みできてしまうほどの巨体であり、目玉は三つついている。
彼らは、オズのような人間らしい顔立ちはしていなかった。いや、王であるオズの容姿こそが特殊なのか。
恐れを抱いていないといえば嘘になる。だが、エレノアは、それでも彼らのこと――魔族を知りたいと思った。
「魔族は…音楽が、好きなのね…」
低い位置で飛んでくれたオズは、エレノアの問いかけに何も答えなかった。
「魔族はやはり、まだ、恐ろしい……けれど」
「…」
「こんなにも、あたたかいものを愛している……そんな彼らを、とても悪い種族だとは思えないわ」
ざわざわと森が薙ぐ。弦がはじかれる音。ラッパが吹かれる音。笛の奏でる優しい音。それらが混ざり合って作られたものは、不思議と、はじめて音楽に触れるエレノアの胸の中にしみ込んできた。
「…そうか 」
オズはエレノアを一瞥すると、再び上昇してさらなる森の深みへと進んでいった。