翌日。エレノアは腕まくりをして台所に立っていた。今日の午後にイェリの森へ行き、オズにサンドイッチを振舞おうと考えたためだ。
 人間が食すものが果たして魔族の口にあうものか分からなかったが、エレノアはオズに気に入ってもらいたくて腕によりをかけてパンをカットした。

 花嫁修業の一環として乳母に包丁の使い方を教わっていてよかった。食パンに新鮮なトマトとレタス、スクランブルエッグを挟んで、ランチバックの中に詰め込む。

(食べてくれるといいな)

 エレノアは今朝目覚めたときから、どことなくそわそわして落ち着かなかった。
 たとえ家臣に咎められようと、会いに行きたい気持ちが抑えられない。

「あらあらあら? 今日はずいぶんと荷物が多いのですねえ」

 ターニャが見ていない隙にエレノアは外出しようとした。紅茶を飲みながらのんびりと声をかけてきたのは女官長のキャロルであった。
両手に下げている手ぬぐいの中には、張り切って大量に作りすぎたサンドイッチが入っている。エレノアはとっさに誤魔化すように笑った。

「レ、レックスのご飯が入っているのよ」
「まあ、すっかり仲良しですねえ」
「ええ。とてもいい子よ、レックスは」

 相手がキャロルであったとしても、今から魔族に会いに行きますだなんて言えたものではない。エレノアはしらを切っていることについて心の中で謝った。

「ふふふ、さては何かよいことがありましたね?」
「えっ!」
「先日はマントをどこかに忘れて戻られるし、今朝はそわそわと落ち着きがありませんから」

 だが、キャロルは鋭い観察眼を持っていた。まんまと言い当てられてしまったエレノアは苦し紛れに視線をさまよわせた。

「べ、べつに普段と変わりません…」
「ふふふ、分かりやすい皇女殿下」
「と…とにかく、こ、これは…とくに何でもないから!」

 己がすべきことに手をつけずに何をしているのだと責め立てられてもおかしくはない。サンベルクの民はこうしている間も、女神オーディアの加護を信じて毎日を精一杯生きている。
 伴侶候補を真剣に考えねばならないというのに、エレノアの気持ちはイェリの森へと向いていた。

「それにしても、キャロルは安心いたしました」
「え…?」
「離宮より出られた当初、エレノア皇女殿下は常に張りつめた表情を浮かべておられましたから」

 はやいところ外に出てしまおうとしたが、エレノアの足は止まった。キャロルはどこか憂いを浮かべたような、ほっと安堵したようなどちらともいえない顔をしている。

「この国の皇女の宿命は代々、とても華やかでありながらも、とても寂しくもあります」

 エレノアは幼い頃に過ごした狭い自室を思い浮かべた。サンベルク帝国の皇女は代々、生まれ落ちたその時から実の母親のそばを離れ、乳母とともに離宮へと隠される。外界のあらゆる脅威から守られ、女神オーディアとのつながりを強固にするのだ。
 そして、十六になると子をなすために世に放たれる。子を産むとしだいに女神オーディアへ祈りが届かなくなり、“大地の姫君”としての役目を終える。

 エレノアの母は、エレノアを産み落としたあとに息をひきとった。もし今も存命であったのなら、と思わずにはいられなかった。

「国民を愛することは大切ですが、また、誰か一人でもいい…心から愛せる人を見つけていただきたいのです」
「キャロル女官長…」
「そして、孤独など感じぬほどに、心から愛されていただきたいと思っておりますよ」