そして、エレノアを食らうことなく、静かに目を閉じた。
オズが受け入れてくれたのだと思うと、急にどきどきと胸が鳴る。
「オ、オズの翼はとても大きいのね」
(傷がはやく癒えるように休ませてやらねばならないのに、これでは邪魔者だわ)
この翼に包まれて眠ったのならきっとあたたかいのだろう…などと考えてしまった己を恥じる。
「空を飛ぶこともできるの?」
膝を両手で抱えて座り込んでいるエレノアに、オズはそろりと横目を向けた。
「できる」
「まあ…すごい! きっとオズは天高く飛ぶのでしょうね」
「何故、おまえが喜ぶ」
「だって、素晴らしいもの。私は大空を翔ることはできないのだから」
エレノアは青空に広がる黒翼を想像して胸を躍らせる。事実、魔族が人間を襲う獣であるとしても、その光景が神秘的であることに変わりはないような気がした。
「理解できぬ」
ひらひらと光る鱗粉が舞う。
「帝国の娘よ、人間のそれはやがて底の見えぬ強欲となる」
オズは冷徹な瞳を刃のごとくエレノアへと向けた。
「憧れは劣等感を植え付け、嫉妬を産み、恐怖を産み、やがて、力でねじ伏せようとする」
「…そんな」
「約束など、忘れる」
端然と吐き落された言葉にエレノアははっとした。
「やはり、この傷は人間がつけたものなのね」
オズは何も言わずに、ただ表情のない顔を向けてくるだけであった。エレノアは無知な己を再度恥じた。
「ごめんなさい…」
「何故、おまえが謝る」
「だって、人間があなたに酷いことを」
「おまえが謝ろうと、この憎しみは消えぬ」
「そう…よね」
どうしたら、オズがそのような孤独な目をしなくて済むようになるのか。エレノアは己がそのことばかりを考えている事実に驚いた。
「人間と魔族は、今も争っているのね」
「そうだ」
「それは、どのくらいの間?」
「二千年。絶え間なく」
「二千年…」
するとやはり、神話の自体から人間と魔族はいがみあっているということになるのだろう。気が遠くなるような年月を憎みあっているなど、これほど悲しいことはないとエレノアは思った。
(離宮に籠っていたとはいえ、何も知らなかったなんて…)
サンベルク皇帝はあえてエレノアに教育を施さなかったのか。
乳母も乳母で昔話のように伝え聞かせてくるのだから、自分とは縁遠いものだと勝手に決めつけてしまっていた。せめて、自ら学んでおくべきであったと後悔をする。
「互いに手をつなぐことは…できないのかしら」
何よりもオズがこれ以上傷ついてほしくないと思ってしまった。また戦場に戻れば、今度こそ死んでしまうかもしれない。
月のような美しい男は静かに横目を向けてきた。
「私はあなたともっと仲良くなりたい」
「仲良く?」
「ええ、そうよ。また明日もここに遊びにくるわ」
オズはさも嫌そうに眦を吊り上げるが、エレノアの決心がくつがえることはなかった。
「懲りぬ娘だ」
「もう、私にはエレノアという名前があると申し上げました」
「…ふん」
ひらひらと飛ぶ蝶がエレノアとオズを取り囲む。魔族の治癒力はすさまじく、薬草の効果があったようであった。
明日は何か食べ物をこしらえてこよう。それから、それから…と考えを巡らせ、思い出したように懐中時計を取り出した。
「あ…そろそろ戻らなくては。ターニャに怒られてしまうわ」
口惜しく思いながら立ち上がると、オズはゆっくりと腰を上げた。エレノアはオズが立ち上がった姿をはじめて目にしたが、頭数個分の差ができるほどに長身であった。
大きな翼があるためふっくらとした体であるのかと思えば、胴や脚に関しては驚くほどに細見だった。
ふわり、烏のような黒の翼が広げられる。
きらきらと光る小川を背景に立つオズは、ため息がでるほどに美麗だった。
オズが受け入れてくれたのだと思うと、急にどきどきと胸が鳴る。
「オ、オズの翼はとても大きいのね」
(傷がはやく癒えるように休ませてやらねばならないのに、これでは邪魔者だわ)
この翼に包まれて眠ったのならきっとあたたかいのだろう…などと考えてしまった己を恥じる。
「空を飛ぶこともできるの?」
膝を両手で抱えて座り込んでいるエレノアに、オズはそろりと横目を向けた。
「できる」
「まあ…すごい! きっとオズは天高く飛ぶのでしょうね」
「何故、おまえが喜ぶ」
「だって、素晴らしいもの。私は大空を翔ることはできないのだから」
エレノアは青空に広がる黒翼を想像して胸を躍らせる。事実、魔族が人間を襲う獣であるとしても、その光景が神秘的であることに変わりはないような気がした。
「理解できぬ」
ひらひらと光る鱗粉が舞う。
「帝国の娘よ、人間のそれはやがて底の見えぬ強欲となる」
オズは冷徹な瞳を刃のごとくエレノアへと向けた。
「憧れは劣等感を植え付け、嫉妬を産み、恐怖を産み、やがて、力でねじ伏せようとする」
「…そんな」
「約束など、忘れる」
端然と吐き落された言葉にエレノアははっとした。
「やはり、この傷は人間がつけたものなのね」
オズは何も言わずに、ただ表情のない顔を向けてくるだけであった。エレノアは無知な己を再度恥じた。
「ごめんなさい…」
「何故、おまえが謝る」
「だって、人間があなたに酷いことを」
「おまえが謝ろうと、この憎しみは消えぬ」
「そう…よね」
どうしたら、オズがそのような孤独な目をしなくて済むようになるのか。エレノアは己がそのことばかりを考えている事実に驚いた。
「人間と魔族は、今も争っているのね」
「そうだ」
「それは、どのくらいの間?」
「二千年。絶え間なく」
「二千年…」
するとやはり、神話の自体から人間と魔族はいがみあっているということになるのだろう。気が遠くなるような年月を憎みあっているなど、これほど悲しいことはないとエレノアは思った。
(離宮に籠っていたとはいえ、何も知らなかったなんて…)
サンベルク皇帝はあえてエレノアに教育を施さなかったのか。
乳母も乳母で昔話のように伝え聞かせてくるのだから、自分とは縁遠いものだと勝手に決めつけてしまっていた。せめて、自ら学んでおくべきであったと後悔をする。
「互いに手をつなぐことは…できないのかしら」
何よりもオズがこれ以上傷ついてほしくないと思ってしまった。また戦場に戻れば、今度こそ死んでしまうかもしれない。
月のような美しい男は静かに横目を向けてきた。
「私はあなたともっと仲良くなりたい」
「仲良く?」
「ええ、そうよ。また明日もここに遊びにくるわ」
オズはさも嫌そうに眦を吊り上げるが、エレノアの決心がくつがえることはなかった。
「懲りぬ娘だ」
「もう、私にはエレノアという名前があると申し上げました」
「…ふん」
ひらひらと飛ぶ蝶がエレノアとオズを取り囲む。魔族の治癒力はすさまじく、薬草の効果があったようであった。
明日は何か食べ物をこしらえてこよう。それから、それから…と考えを巡らせ、思い出したように懐中時計を取り出した。
「あ…そろそろ戻らなくては。ターニャに怒られてしまうわ」
口惜しく思いながら立ち上がると、オズはゆっくりと腰を上げた。エレノアはオズが立ち上がった姿をはじめて目にしたが、頭数個分の差ができるほどに長身であった。
大きな翼があるためふっくらとした体であるのかと思えば、胴や脚に関しては驚くほどに細見だった。
ふわり、烏のような黒の翼が広げられる。
きらきらと光る小川を背景に立つオズは、ため息がでるほどに美麗だった。