からっと晴れた気持ちのいい昼下がり。私・李鈴風は朝に干した洗濯ものを取り込んで仕分け場に戻っているところだった。
ここは、秦明国の王宮にある後宮。私はここで洗濯係を担っている下っ端宮女だ。家柄も身よりもない私は、遠い親戚夫婦の家に住まわせて貰っていたのだけど、とうとう食い扶持に困った彼らに後宮に売り飛ばされてしまった。
今も、私の給金の一部は彼らに支払われているらしいけど、私にはどうすることもできない。
毎日毎日、後宮で出る洗濯ものを洗って干して取り込んで。
その繰り返しの日々を送っていた。――そんなある日のこと。
――ヒヒイィィン!
「――危ないっ!」
乾いた洗濯ものをいっぱいに詰めた籠を抱えた私は、馬の嘶きとその声に弾かれるようにして振り向いた。
「え……」
砂埃を巻き上げて駆けてくる馬車が、視界いっぱいに映る。
避けられないっ! ぶつかる!
「いや――――!」
恐怖に目を閉じてその場にしゃがみ込んだ瞬間、頭に衝撃が走った。
私、知ってる。
この光景を、前にも一度体験している。
そう感じた瞬間、ものすごい量の記憶の数々が頭になだれ込んできた。映像となった情報がとめどなく濁流のように押し寄せ、私の脳内は混乱を極める。
見たこともない人や建物、景色に乗り物、時には誰のものかわからない声も頭に響き、知らない記憶が勝手に溢れてくる。その得体の知れない恐怖に、私は目も開けられない。
そして、数ある場面の中から一つの断片が取り出され、閉じた瞼の裏に映し出された。
*
「――危ないっ!」
すぐ近くで響いた切羽詰まった声にハッとする。
顔をあげると、ほんの数メートル先にサングラスにマスク、帽子、と怪しさマックスの男がこちらに向かって走ってくる姿が目に入った。
その手には女性もののバッグが握られているのを見て、ひったくりだと判断したまでは良い。けれど、私はそこからどうすれば良いのか、立ち止まっておろおろとしながら、ひったくりを捕まえてくれそうな人がいないか周囲を見渡す。
残念ながら誰もいなかった。
こ、こんなことって、ある?
あぁそっか、だからひったくり犯が現れるのか。
なんて妙に納得している間にも、ひったくり犯は走っていて、私との距離はどんどん短くなっていた。歩道はとても狭くて逃げ場がなく、間違いなくこのまま行けば犯人とぶつかってしまう。
「えっ……えぇ……けっ、警察! 警察呼びますよ!」
そう叫んで手にしたスマホを操作するも、110番なんてかけたことない私は緊張で指がふるふると震えてうまく押せない。こんなことなら、柔道でも極めておくんだった。そうしたら、ここで犯人を一本背負いして警察に突き出せるのに。
「どけっ!」
「ひいっ」
走る速度を緩めることなく走ってきた犯人に私はあえなく飛ばされてしまった。アスファルトに盛大に倒れ込み、痛みに顔をゆがめた――のもつかの間、耳をつんざく車のクラクション音に顔をあげた私の目に映ったのは、眼前に迫る赤い車の車体。
あ、終わった。
そう頭の中で理解した私の意識は、そこでプツリと断絶した。