「お母さん、お婆ちゃんてどんな人だった?」
夜中、施設から容態急変の緊急連絡を受け家族が駆けつけたとき、茜音は既に覚めることのない眠りについた後だった。
苦しむこともなく、いつもどおりに就寝を迎えたかと思えば、数分後に念のためにつけておいたバイタルモニターの警報が鳴ったという。
その言葉どおり、揺すれば目を開きそうな顔だった。
予想していたとは言え、家族が慣れない準備に取りかかろうとしたときに、1冊のノートを渡されて、改めて茜音の手際の良さを思い知らされた。
まだ自分で出歩けたこの数年の間に、茜音は相続の件だけでなく、自分が旅立つための準備を、段取りや費用の支払いも全て済ませてあったから。
彼女が自分で用意していた葬儀は本当にささやかなもの。家族と数人の友人に見送られての旅立ちだった。
「お婆ちゃんかぁ……。子供が好きだったし、家族を凄く大事にした人。昔、ものすごく苦労したって聞いたことがある」
朋美は茜音にとっての初孫にあたる。
その朋美が中学受験を受け、合格の報告を伝えたとき、その時の茜音は涙を流して喜び、「頑張った分、これから楽しいことがあるよ」とこれまで聞いたことがないような柔らかい声で耳元に囁いてくれた。
その時の写真が彼女の遺影になったのだけど、顔は血色もよく、十年近く若返ったように写っている。
茜音は自分の苦労のことは子や孫たちにはあまり話さなかった。
自分のことを話せば、家族にも迷惑がかかる。そう決めて、彼女の過酷な人生のことは自身の代で終わらせたのだとあとで知った。
「こんなに早く逝っちゃうなんて……」
「お爺ちゃんが迎えに来たんだよ。きっと。本当に好きだったんだね」
茜音の少ない荷物の中に一冊の古いアルバムがある。整理した私物の中で、唯一「最後まで手元に置かせてほしい」と施設に持ってきた物だ。
幼い時から昨年の最後の旅行までの写真。そのほとんどが健と二人で写っている。いつも寄り添って生きてきた二人だから。
きっと、天国で再会して見守ってくれるだろう。
「これはお婆ちゃんの宝物だから」と棺の中の手元に持たせた。
「お葬式の時に、菜都実さんも佳織さんも言ってたわ。お婆ちゃんは友だちみんなで会う約束をしたんですって。それがずっと未来でも。だから、そのお願いをかなえてあげなくちゃね」
「どうやって?」
朋美が茜音の昔話を聞くことはほとんど無かったので、その本当の意味を知らされていなかったのだろう。
「朋美も、みんなが幸せになっていれば、またどこかで生まれ変わって会えるチャンスがあるって。だから、みんな幸せになるのよって。お母さんも昔の話を聞いたのはお爺ちゃんが亡くなってからのことだったわ」
誰が聞いても無謀とも言えた約束を叶えた少女時代。
どんな約束でも、想いを忘れない限り果たすことが出来るというのが、あの茜音と関わりを持ったメンバーに共通するポリシーだ。
「さて、明日からまたお仕事と学校に戻るわよ」
松木家のダイニング横のテーブルに並べられた二人の写真は、そんな家族をそっと笑顔で見守っているように見えた。