紫珠様に連れてこられた場所は、宮女の姿は見当たらなかった。
代わりに、性がさっぱりわからない人が、つかつかと歩いているのが見て取れる。宦官たちだ。
長い廊下から室内が見える。
どこもかしこも墨の匂いが漂い、紙束をたくさん書いているのが見えた。仕事がかなり忙しいんだろう。
「あのう……」
「後宮の管理者たちの根城だな、ここは」
私は少しだけ目を細めて紙束を見た。どうも帳簿らしい。あれか、妃様たちの世話は宮女たちがやっているけれど、霞だけでは後宮の管理は務まらない。
物資調達やら買い出しやら、どこの修繕、どこの増築などなどの計算をここでやっているということか。そりゃたしかに後宮の管理者の根城って表現にもなる。
そして廊下が途切れた場所。
空き部屋だった。しかし簡素な寝床や棚、調度品はある。
「すまないな。ここがお前の寝床になる」
「はあ……私、一応妃ってことになってるんですけど、ここに連れて帰ってきていいんですか?」
「どのみちくそ親父は下半身でしか物を考えない。渡りで若い妃と戯れられないんだったら、屋敷持ちの妃のところに行くから、わざわざ呼び出したりなんかは当面できないさ。どのみち、宦官たちには既に根回ししている。お前の所在もしばしは誤魔化しておくさ」
「はあ……それにしても、皇帝陛下、お父上ですよね? すごい言いようですけど……」
「その親父から逃げ出そうとしたのはどこの誰だ?」
「うっ……」
反論できない。一番下の妃が、初っ端から渡りを受けるなんておっそろしいこと、普通に嫌だったから逃げ出したんだもの。
私が視線を逸らす中、紫珠様は「適当に座れ」と椅子を引っ張り出してきて進めてきて、自分も座り出した。私もおずおずと腰掛ける。
「それで、吉兆商店の娘だということは、首都住まいだと思うが。都を見てどう思う?」
そう凜とした眼差しで尋ねられた。
美しく華があるだけの人ではないのだろう。女装しているだけでは、この人の聡明さは隠せそうもない。
私はしばらく考えてから、口を開いた。
「……女がひとりで外を出歩けません。既婚者以外は皆後宮に入れられると、未婚者は男装をほぼ家族から義務づけられます」
「ふむ」
「姉もそれが原因で逃げました。既に我が家を継ぐ予定だったのに。皇帝陛下、どうにかならないんですか?」
「くそ親父。やっぱりか」
そう言いながら機嫌悪そうに紫珠様は膝をついた。
「親父は政治に興味がない。官吏に全て任せている」
「それは……なら、税は? この数年、増税で皆苦しんでいます」
「親父が政治に興味ないばかりに、官吏に相当貪られているよ。おまけに親父には女を宛がっておけばいいと判断されて、各地から美女を集めてきては後宮に放り込んでいる。まさしく酒池肉林だな」
「そんな……」
「そんなんだから、後宮内で一度流行り病があった際、俺以外の世継ぎは皆死んだ。だというのに、まともに世継ぎもつくらず、女と遊んでばかりだ。ふざけているのか?」
思わず絶句する。
肉親から「ふざけている」と言われる皇帝陛下はどうなのか。でも、私が首都で見てきた話を考えても、とてもじゃないが政治がまともじゃないことだけは嫌でもわかった。
紫珠様は続けた。
「だから親父を殺す。その手伝いをして欲しい」
「……私を妃にするっていうのは、どういう意味で?」
「お前、名は?」
「……丁香です」
「そうか。丁香。お前はたしか吉兆商店の娘だな? 帳簿は読めるか?」
いきなり尋ねられて、思わず面食らった。
元々店を継ぐのは姉だったが、今のご時世なにがあるかわからない。流行り病のせいで誰がいつぽっくりいくかもわからないからと、私も帳簿の読み書きは普通に習っていた。
「……習っています」
「国の立て直しには、一度この国を完膚なきまでにぶっ壊さないといけない。そのとき、完全にぼろぼろになってから人材集めだと時間がかかるからな。官吏たちを追い出したあとのこの国の財政を任せられる人間が欲しい」
「それで……私を? 他の妃様たちはどうなんですか。私よりもよっぽど妃教育を受けてきているはずですけど」
実際問題、後宮で下っ端妃は宮女とほぼ同格だとしても、各地のお偉いさんの娘だった場合は、最初から後宮に入れて、家の便宜を謀るために都合すべく、妃教育を受けてから送り出すのが普通のはずだ。当然ながら教養は、家で帳簿を習いつつも剣術に励んでいた私よりもよっぽど上だと思うけれど。
それを紫珠様が腕を組んで笑う。
「ひとつ。現状詩歌は国の立て直し急務の場合はそぐわない。実務ができる丁香のほうがましだ。ひとつ。護衛術ができたほうがいい。さすがに一騎当千は無理だとしても、一対一ならまだ自己防衛できるだろう」
「そんな理由でですか……」
「どうする? まあ、どのみち書類に細工を施した以上、そう簡単に返す訳にはいかんがなあ」
それ、どう考えても私に選択肢はなくないか。でも、まあ。
いきなり皇帝暗殺に巻き込まれかけている私は、少しだけ考える。皇太子がこの国の立て直しのために、急いで皇帝を殺して代替わりをした場合、増税に継ぐ増税で喘いでいる首都。首都はまだましなほうで、郊外はもっと悲惨なことになってると聞く。お父様も商売で首都の外に出た際、貧困や餓死の危機を感じるということは言っていたはずだ。
「……あなたを皇帝にした場合、増税はもう少しなんとかなりますか?」
「どの道、金食い虫を全部潰して回らないと、民の信心は戻らないだろうさ」
「一番の金食い虫、ここじゃありませんか?」
私は後宮全域を指差して言った。
……女が男装しないと道を出られないほど、見目麗しかったら即後宮に放り込むって、どうなっているんだよ。そもそも。
私がちょっとだけしゃべった宮女たちも、皆顔立ちの綺麗な人たちで、ほぼほぼここに無理矢理連れてこられた人たち……最悪の場合下の妃の可能性が高い。そんな死んでも後宮から出られない状態、どれだけの維持費がかかってるんだ。
「あなたが皇帝になった暁には、後宮を取り潰してくださいますか? 世継ぎが必要だというのは、そんなことはわかっています。ただ、これだけ後宮に女を入れ、その管理のために宦官まで放り込むなんて。宦官たちだって、ここで高級管理のために計算をするよりも、朝廷で仕事を腐った官吏たちに替わって仕事を手伝ってくれたほうが、まだマシまではあります」
正直、皇帝が存命の間、後宮内に留めるというのなら、かろうじてわかるものの。皇帝が死んでからも出家させた挙げ句に後宮内の寺に全員放り込んで一生軟禁っていうのの意味がわからない。
おまけにここは女が多いために維持費が馬鹿にならない。いやいや連れてこられた人たちなんて、地元に帰らせたほうが節約にだってなる。
というか、ここに来たばかりの私ですら、駄目出しできる点が多過ぎるのはおかしいだろう。
私が一気に捲し立てたのを聞いて、とうとう紫珠様は声を上げて笑いはじめた。
「ははははは……! ずいぶんとこてんぱんだな?」
「こてんぱんにだって言いたくもなりますよ……」
「でもやはり気に入った。お前は親父の暗殺計画に加わってもらう」
「ですけど……」
私はちらりと部屋の扉を見た。扉の向こうには、きっと宦官たちがそろそろ仕事を治めて床に就く頃だろう。
「……いったい味方って誰なんですか? ここに私を連れてきたってことは、宦官たちは……」
「全員ではないがな」
それに私は押し黙る。
「……全員じゃないんですか」
「あの色ぼけ親父だが、あんなんでも槐国では一番価値のある傀儡だ。利用価値があると思っている妃だって、その妃に足繁く通って関係を持っている宦官だっている」
「ひっ……」
あけすけな言葉に、私は絶句した。
宦官は去勢した関係なのか、性差があやふやになって艶めかしくなっている者も大勢いる。見目麗しい者だった場合は、それを利用して妃に取り入ろうとする者だっているだろうが……いるだろうがー、聞きたくなかったなー。
「それ、駄目じゃないですか……」
「宦官にだって敵がいると言ったんだ。同時に、妃にだって味方がいる」
その言葉に、少し目を見開いた。
……私たちのように、ほぼ無理矢理後宮に放り込まれたような人間だったらいざ知らず、妃教育を受けた上で後宮に入った人間に、皇帝を全否定できるような人なんているんだろうか。
紫珠様は続けた。
「だから、明日にはその妃に会ってきて欲しい。顔合わせと、情報交換のためにな」
「紫珠様だって女装なさってるじゃないですか……今日来たばかりの私にひとりで行けと?」
「残念だが、親父を殺すために根回しをいろいろしなくてはならなくってなあ。寂しいだろうが、ひとりで我慢して行ってきてくれ」
そう言いながら、私の頭をわしゃわしゃと撫でた。誤魔化されているような気がするが。
今日は後宮に来て早々、渡り宣告、逃亡、火事、暗殺計画で、はっきり言ってお腹いっぱいが過ぎる。もう頭が回らなくなったから寝たい。
「……わかりました。それでは一旦それに乗ります」
「それがいい。ここは親父の後宮だからな。いくら親父の息子だと言っても、俺だけでは切り崩すことは不可能だ。頼りにしているぞ」
「……わかりました。おやすみなさい」
やっとのことで帰って行った紫珠様を見送りつつ、私はどうにか寝台に潜り込んだ。
そりゃそうか……。後宮は本来、皇帝の次世代の子作りの場であって、酒池肉林を行う場所ではない。いくら血筋だからって、女装でもしてなかったら平然と動き回ることもできないんだろう。
大変なことに巻き込まれたような気がする。それと同時に、少しだけ楽しみに思えた。
もし、女の身なりで町を歩き回れるようになったら、度重なる増税で萎びてしまった首都だって、ちょっとは活気が取り戻せるんじゃないだろうか。後宮さえ。後宮さえ潰してしまったら。
やろうとしていることはとんでもないことなのに、まるで劇団の演目を見るかのようなわくわく感が胸を占めた。それを感じながら眠りにつけるんだから、私も存外に図太い。
代わりに、性がさっぱりわからない人が、つかつかと歩いているのが見て取れる。宦官たちだ。
長い廊下から室内が見える。
どこもかしこも墨の匂いが漂い、紙束をたくさん書いているのが見えた。仕事がかなり忙しいんだろう。
「あのう……」
「後宮の管理者たちの根城だな、ここは」
私は少しだけ目を細めて紙束を見た。どうも帳簿らしい。あれか、妃様たちの世話は宮女たちがやっているけれど、霞だけでは後宮の管理は務まらない。
物資調達やら買い出しやら、どこの修繕、どこの増築などなどの計算をここでやっているということか。そりゃたしかに後宮の管理者の根城って表現にもなる。
そして廊下が途切れた場所。
空き部屋だった。しかし簡素な寝床や棚、調度品はある。
「すまないな。ここがお前の寝床になる」
「はあ……私、一応妃ってことになってるんですけど、ここに連れて帰ってきていいんですか?」
「どのみちくそ親父は下半身でしか物を考えない。渡りで若い妃と戯れられないんだったら、屋敷持ちの妃のところに行くから、わざわざ呼び出したりなんかは当面できないさ。どのみち、宦官たちには既に根回ししている。お前の所在もしばしは誤魔化しておくさ」
「はあ……それにしても、皇帝陛下、お父上ですよね? すごい言いようですけど……」
「その親父から逃げ出そうとしたのはどこの誰だ?」
「うっ……」
反論できない。一番下の妃が、初っ端から渡りを受けるなんておっそろしいこと、普通に嫌だったから逃げ出したんだもの。
私が視線を逸らす中、紫珠様は「適当に座れ」と椅子を引っ張り出してきて進めてきて、自分も座り出した。私もおずおずと腰掛ける。
「それで、吉兆商店の娘だということは、首都住まいだと思うが。都を見てどう思う?」
そう凜とした眼差しで尋ねられた。
美しく華があるだけの人ではないのだろう。女装しているだけでは、この人の聡明さは隠せそうもない。
私はしばらく考えてから、口を開いた。
「……女がひとりで外を出歩けません。既婚者以外は皆後宮に入れられると、未婚者は男装をほぼ家族から義務づけられます」
「ふむ」
「姉もそれが原因で逃げました。既に我が家を継ぐ予定だったのに。皇帝陛下、どうにかならないんですか?」
「くそ親父。やっぱりか」
そう言いながら機嫌悪そうに紫珠様は膝をついた。
「親父は政治に興味がない。官吏に全て任せている」
「それは……なら、税は? この数年、増税で皆苦しんでいます」
「親父が政治に興味ないばかりに、官吏に相当貪られているよ。おまけに親父には女を宛がっておけばいいと判断されて、各地から美女を集めてきては後宮に放り込んでいる。まさしく酒池肉林だな」
「そんな……」
「そんなんだから、後宮内で一度流行り病があった際、俺以外の世継ぎは皆死んだ。だというのに、まともに世継ぎもつくらず、女と遊んでばかりだ。ふざけているのか?」
思わず絶句する。
肉親から「ふざけている」と言われる皇帝陛下はどうなのか。でも、私が首都で見てきた話を考えても、とてもじゃないが政治がまともじゃないことだけは嫌でもわかった。
紫珠様は続けた。
「だから親父を殺す。その手伝いをして欲しい」
「……私を妃にするっていうのは、どういう意味で?」
「お前、名は?」
「……丁香です」
「そうか。丁香。お前はたしか吉兆商店の娘だな? 帳簿は読めるか?」
いきなり尋ねられて、思わず面食らった。
元々店を継ぐのは姉だったが、今のご時世なにがあるかわからない。流行り病のせいで誰がいつぽっくりいくかもわからないからと、私も帳簿の読み書きは普通に習っていた。
「……習っています」
「国の立て直しには、一度この国を完膚なきまでにぶっ壊さないといけない。そのとき、完全にぼろぼろになってから人材集めだと時間がかかるからな。官吏たちを追い出したあとのこの国の財政を任せられる人間が欲しい」
「それで……私を? 他の妃様たちはどうなんですか。私よりもよっぽど妃教育を受けてきているはずですけど」
実際問題、後宮で下っ端妃は宮女とほぼ同格だとしても、各地のお偉いさんの娘だった場合は、最初から後宮に入れて、家の便宜を謀るために都合すべく、妃教育を受けてから送り出すのが普通のはずだ。当然ながら教養は、家で帳簿を習いつつも剣術に励んでいた私よりもよっぽど上だと思うけれど。
それを紫珠様が腕を組んで笑う。
「ひとつ。現状詩歌は国の立て直し急務の場合はそぐわない。実務ができる丁香のほうがましだ。ひとつ。護衛術ができたほうがいい。さすがに一騎当千は無理だとしても、一対一ならまだ自己防衛できるだろう」
「そんな理由でですか……」
「どうする? まあ、どのみち書類に細工を施した以上、そう簡単に返す訳にはいかんがなあ」
それ、どう考えても私に選択肢はなくないか。でも、まあ。
いきなり皇帝暗殺に巻き込まれかけている私は、少しだけ考える。皇太子がこの国の立て直しのために、急いで皇帝を殺して代替わりをした場合、増税に継ぐ増税で喘いでいる首都。首都はまだましなほうで、郊外はもっと悲惨なことになってると聞く。お父様も商売で首都の外に出た際、貧困や餓死の危機を感じるということは言っていたはずだ。
「……あなたを皇帝にした場合、増税はもう少しなんとかなりますか?」
「どの道、金食い虫を全部潰して回らないと、民の信心は戻らないだろうさ」
「一番の金食い虫、ここじゃありませんか?」
私は後宮全域を指差して言った。
……女が男装しないと道を出られないほど、見目麗しかったら即後宮に放り込むって、どうなっているんだよ。そもそも。
私がちょっとだけしゃべった宮女たちも、皆顔立ちの綺麗な人たちで、ほぼほぼここに無理矢理連れてこられた人たち……最悪の場合下の妃の可能性が高い。そんな死んでも後宮から出られない状態、どれだけの維持費がかかってるんだ。
「あなたが皇帝になった暁には、後宮を取り潰してくださいますか? 世継ぎが必要だというのは、そんなことはわかっています。ただ、これだけ後宮に女を入れ、その管理のために宦官まで放り込むなんて。宦官たちだって、ここで高級管理のために計算をするよりも、朝廷で仕事を腐った官吏たちに替わって仕事を手伝ってくれたほうが、まだマシまではあります」
正直、皇帝が存命の間、後宮内に留めるというのなら、かろうじてわかるものの。皇帝が死んでからも出家させた挙げ句に後宮内の寺に全員放り込んで一生軟禁っていうのの意味がわからない。
おまけにここは女が多いために維持費が馬鹿にならない。いやいや連れてこられた人たちなんて、地元に帰らせたほうが節約にだってなる。
というか、ここに来たばかりの私ですら、駄目出しできる点が多過ぎるのはおかしいだろう。
私が一気に捲し立てたのを聞いて、とうとう紫珠様は声を上げて笑いはじめた。
「ははははは……! ずいぶんとこてんぱんだな?」
「こてんぱんにだって言いたくもなりますよ……」
「でもやはり気に入った。お前は親父の暗殺計画に加わってもらう」
「ですけど……」
私はちらりと部屋の扉を見た。扉の向こうには、きっと宦官たちがそろそろ仕事を治めて床に就く頃だろう。
「……いったい味方って誰なんですか? ここに私を連れてきたってことは、宦官たちは……」
「全員ではないがな」
それに私は押し黙る。
「……全員じゃないんですか」
「あの色ぼけ親父だが、あんなんでも槐国では一番価値のある傀儡だ。利用価値があると思っている妃だって、その妃に足繁く通って関係を持っている宦官だっている」
「ひっ……」
あけすけな言葉に、私は絶句した。
宦官は去勢した関係なのか、性差があやふやになって艶めかしくなっている者も大勢いる。見目麗しい者だった場合は、それを利用して妃に取り入ろうとする者だっているだろうが……いるだろうがー、聞きたくなかったなー。
「それ、駄目じゃないですか……」
「宦官にだって敵がいると言ったんだ。同時に、妃にだって味方がいる」
その言葉に、少し目を見開いた。
……私たちのように、ほぼ無理矢理後宮に放り込まれたような人間だったらいざ知らず、妃教育を受けた上で後宮に入った人間に、皇帝を全否定できるような人なんているんだろうか。
紫珠様は続けた。
「だから、明日にはその妃に会ってきて欲しい。顔合わせと、情報交換のためにな」
「紫珠様だって女装なさってるじゃないですか……今日来たばかりの私にひとりで行けと?」
「残念だが、親父を殺すために根回しをいろいろしなくてはならなくってなあ。寂しいだろうが、ひとりで我慢して行ってきてくれ」
そう言いながら、私の頭をわしゃわしゃと撫でた。誤魔化されているような気がするが。
今日は後宮に来て早々、渡り宣告、逃亡、火事、暗殺計画で、はっきり言ってお腹いっぱいが過ぎる。もう頭が回らなくなったから寝たい。
「……わかりました。それでは一旦それに乗ります」
「それがいい。ここは親父の後宮だからな。いくら親父の息子だと言っても、俺だけでは切り崩すことは不可能だ。頼りにしているぞ」
「……わかりました。おやすみなさい」
やっとのことで帰って行った紫珠様を見送りつつ、私はどうにか寝台に潜り込んだ。
そりゃそうか……。後宮は本来、皇帝の次世代の子作りの場であって、酒池肉林を行う場所ではない。いくら血筋だからって、女装でもしてなかったら平然と動き回ることもできないんだろう。
大変なことに巻き込まれたような気がする。それと同時に、少しだけ楽しみに思えた。
もし、女の身なりで町を歩き回れるようになったら、度重なる増税で萎びてしまった首都だって、ちょっとは活気が取り戻せるんじゃないだろうか。後宮さえ。後宮さえ潰してしまったら。
やろうとしていることはとんでもないことなのに、まるで劇団の演目を見るかのようなわくわく感が胸を占めた。それを感じながら眠りにつけるんだから、私も存外に図太い。