私は後宮に足を踏み入れる前も、特に寺院には足を踏み入れたことがなかった。だからこそ、出家した女性たちに会うこともなかった訳だけれど。
そこでは、後宮にいた妃たちよりも明らかに落ち着いた……というよりも地味……着物を着た女性たちが、静かに廟の掃除をしたり、手を合わせたりしていた。どこかで香が焚き込められているようだけれど、場所は確認取れなかった。
私はきょろきょろと辺りを見回すと、ここにいる比較的若い女性に声をかけた。
「すみません。ここに皇后様がいらっしゃるとお伺いしたのですが……」
「何用ですか?」
途端に彼女は顔をしかめられた。
後宮内でも死んだものとして扱われていた皇后様は、寺院内でも禁忌に近いんだろうか。私は必死で言葉を紡ぎ出す。
「いえ、お薬を医局から持ってきたのです。皇后様にとのことですが、どちらもお送りすればよろしいでしょうか?」
「ああ……医局の方ですか。ご案内します」
多少態度が軟化したらしい女性は、静かに歩いて行った。彼女はたびたび外の様子を聞きたがった。
「後宮内では、なにか噂がございますか?」
「そうですね……皇帝陛下がなにかとお渡りに使っていた屋敷が燃えました」
「ああ……あそこはもう取り壊してしまったほうがよろしいかと」
どうも私が後宮に送られて初めて突っ込まれた屋敷の悪評は、ここに入れられた方々もご存じのようだ。それにしても。皇后様はともかく、ここに入れられている出家した女性たちは、先代の皇帝陛下……つまりは紫珠様のおじいさまに当たる……の代の妃様たちのはずだけれど、どうしてこんな若い方がここに入れられているんだろうか。
私は尋ねた。
「ところで、あなたはいつからこの寺社に?」
「先代の皇帝陛下は立派な方だったと聞き及んでいますが、現在の皇帝陛下はとんでもない方です。すっかりと官吏に骨抜きにされてしまい、傍若無人に振る舞います。あの方は、恥というものを知らないのです」
「ええっと……」
皇帝陛下を暗殺しようとしていた方が言う話ではないが、彼女はなかなかに手厳しい。私は少しばかり驚いて彼女の話を聞いていたら、彼女は続ける。
「皇帝陛下は、自分が邪魔だと判断したもの、自分の治政を邪魔すると判断したものを、次から次へと出家させたり、追放処分にしたりしました。官吏たちは彼がなにも考えていないのをいいことに好き勝手して暴利を貪り、民も後宮も地獄へと変わってしまいました……後宮は女の園であり、ここでは食事にも困らないはずなのに、心身を病んだ末に職務に励むことができず、結果として出家を望んだ女たちが、こうしてここに入ることになりました。私も病んだ末に、こうして自ら現世から離れて、廟を弔うことで職務を許してもらいました」
「ああ……そういうことですか」
要は彼女は、皇帝陛下の妃……おそらくは急に入れられた下級妃だったのだろう……だったのを、渡りを断るために出家してしまったのだろう。なるほど……後宮で渡りを拒否するために出家してしまった人もいるんだな。本当にあの皇帝陛下、しょうもない人だなと呆れてしまうけれど、それはさておいて。
「しかし皇后様は、皇帝陛下に唯一意見できる方のはずですのに。彼女は子が原因で口を閉ざさざるを得なかったんでしょうか?」
私の言葉に、彼女は振り返った。どうも彼女も、皇后様の実子が凶兆の子だということを知っていたようだ。
「……ご存じでしたか」
「一応、医局で資料整理の手伝いをしていましたから。それで……凶兆の子はどこにいらっしゃるかご存じですか?」
「私もさすがにそれまでは……着きました。ここが皇后様のおわす場所です」
寺院の中で、ひときわ綺麗な部屋だった。そこで地味な着物を着た女性が正座をして手を合わせているのが見えた。ここは色彩に欠けている場所だけれど、彼女の周りだけは異様に極彩色のような光景に見まごうばかりの美しさを放っている。これが皇后だった彼女の持つ華やかさだろう。地味な着物程度では、彼女の美しさを衰えさせることはできない。
「失礼します。医局より参りました。お薬を届けに伺ったのですが」
「まあ……ありがとうございます」
私は石楠さんから持たされた薬の入った袋を差し出すと、彼女はそれを丁寧に受け取ってくれた。綺麗な人だけれど、手は異様に荒れていた……あれだ、出家した以上、宮女たちに身の回りの世話をさせる訳にはいかず、当然拭き掃除なども自分で行わないといけないのだから、こうして皇后様も自分のことは自分でやっていたのだろう。
私はおそるおそる尋ねた。
「あの……私は先日から医局に詰めているものですが」
「どうなさいましたか?」
「医局にて、皇后様のお子様の資料が出てきて、それを読んでいましたが……そこにはお子様がどうなったのかが書かれていませんでした。皇后様共々なかったことにされたんだろうとはお伺いしましたが。あの御子がはどうなさったのでしょうか?」
「……あの子は、本来殺される天命にありました」
「あ……」
「凶兆の子。あの子には陰陽共にあらず、そのおかげでこの子がいたら不幸になると、後宮から寺院に移された際に処刑されるところでしたが……私はあの子を託しました。もしあの子がこの国に凶兆をもたらすのならば……陛下の世を終わらせてくれると思ったので」
「それは……ならば、託したのはいったい……」
「彼女は既に亡くなりましたが、彼女の子があの方の権限全てを使って隠してくださりました……今は宦官棟にいると聞いております」
そこで私は、やっとバラバラになっていたものが繋がったのを感じた。
春妃の占いに出た、吉兆の二重螺旋の天命。敵か味方かわからぬ内通者。そして皇后様の実子であり……紫珠様のきょうだい。
「……お話はわかりました。この国が壊れるかどうかはわかりません。ですが。私は私の持てる力全てを使って、成し遂げたいと思います」
私は頭を下げると、急いで寺院を後にした。
急いで宦官棟へと戻らなければならなかった。
そこでは、後宮にいた妃たちよりも明らかに落ち着いた……というよりも地味……着物を着た女性たちが、静かに廟の掃除をしたり、手を合わせたりしていた。どこかで香が焚き込められているようだけれど、場所は確認取れなかった。
私はきょろきょろと辺りを見回すと、ここにいる比較的若い女性に声をかけた。
「すみません。ここに皇后様がいらっしゃるとお伺いしたのですが……」
「何用ですか?」
途端に彼女は顔をしかめられた。
後宮内でも死んだものとして扱われていた皇后様は、寺院内でも禁忌に近いんだろうか。私は必死で言葉を紡ぎ出す。
「いえ、お薬を医局から持ってきたのです。皇后様にとのことですが、どちらもお送りすればよろしいでしょうか?」
「ああ……医局の方ですか。ご案内します」
多少態度が軟化したらしい女性は、静かに歩いて行った。彼女はたびたび外の様子を聞きたがった。
「後宮内では、なにか噂がございますか?」
「そうですね……皇帝陛下がなにかとお渡りに使っていた屋敷が燃えました」
「ああ……あそこはもう取り壊してしまったほうがよろしいかと」
どうも私が後宮に送られて初めて突っ込まれた屋敷の悪評は、ここに入れられた方々もご存じのようだ。それにしても。皇后様はともかく、ここに入れられている出家した女性たちは、先代の皇帝陛下……つまりは紫珠様のおじいさまに当たる……の代の妃様たちのはずだけれど、どうしてこんな若い方がここに入れられているんだろうか。
私は尋ねた。
「ところで、あなたはいつからこの寺社に?」
「先代の皇帝陛下は立派な方だったと聞き及んでいますが、現在の皇帝陛下はとんでもない方です。すっかりと官吏に骨抜きにされてしまい、傍若無人に振る舞います。あの方は、恥というものを知らないのです」
「ええっと……」
皇帝陛下を暗殺しようとしていた方が言う話ではないが、彼女はなかなかに手厳しい。私は少しばかり驚いて彼女の話を聞いていたら、彼女は続ける。
「皇帝陛下は、自分が邪魔だと判断したもの、自分の治政を邪魔すると判断したものを、次から次へと出家させたり、追放処分にしたりしました。官吏たちは彼がなにも考えていないのをいいことに好き勝手して暴利を貪り、民も後宮も地獄へと変わってしまいました……後宮は女の園であり、ここでは食事にも困らないはずなのに、心身を病んだ末に職務に励むことができず、結果として出家を望んだ女たちが、こうしてここに入ることになりました。私も病んだ末に、こうして自ら現世から離れて、廟を弔うことで職務を許してもらいました」
「ああ……そういうことですか」
要は彼女は、皇帝陛下の妃……おそらくは急に入れられた下級妃だったのだろう……だったのを、渡りを断るために出家してしまったのだろう。なるほど……後宮で渡りを拒否するために出家してしまった人もいるんだな。本当にあの皇帝陛下、しょうもない人だなと呆れてしまうけれど、それはさておいて。
「しかし皇后様は、皇帝陛下に唯一意見できる方のはずですのに。彼女は子が原因で口を閉ざさざるを得なかったんでしょうか?」
私の言葉に、彼女は振り返った。どうも彼女も、皇后様の実子が凶兆の子だということを知っていたようだ。
「……ご存じでしたか」
「一応、医局で資料整理の手伝いをしていましたから。それで……凶兆の子はどこにいらっしゃるかご存じですか?」
「私もさすがにそれまでは……着きました。ここが皇后様のおわす場所です」
寺院の中で、ひときわ綺麗な部屋だった。そこで地味な着物を着た女性が正座をして手を合わせているのが見えた。ここは色彩に欠けている場所だけれど、彼女の周りだけは異様に極彩色のような光景に見まごうばかりの美しさを放っている。これが皇后だった彼女の持つ華やかさだろう。地味な着物程度では、彼女の美しさを衰えさせることはできない。
「失礼します。医局より参りました。お薬を届けに伺ったのですが」
「まあ……ありがとうございます」
私は石楠さんから持たされた薬の入った袋を差し出すと、彼女はそれを丁寧に受け取ってくれた。綺麗な人だけれど、手は異様に荒れていた……あれだ、出家した以上、宮女たちに身の回りの世話をさせる訳にはいかず、当然拭き掃除なども自分で行わないといけないのだから、こうして皇后様も自分のことは自分でやっていたのだろう。
私はおそるおそる尋ねた。
「あの……私は先日から医局に詰めているものですが」
「どうなさいましたか?」
「医局にて、皇后様のお子様の資料が出てきて、それを読んでいましたが……そこにはお子様がどうなったのかが書かれていませんでした。皇后様共々なかったことにされたんだろうとはお伺いしましたが。あの御子がはどうなさったのでしょうか?」
「……あの子は、本来殺される天命にありました」
「あ……」
「凶兆の子。あの子には陰陽共にあらず、そのおかげでこの子がいたら不幸になると、後宮から寺院に移された際に処刑されるところでしたが……私はあの子を託しました。もしあの子がこの国に凶兆をもたらすのならば……陛下の世を終わらせてくれると思ったので」
「それは……ならば、託したのはいったい……」
「彼女は既に亡くなりましたが、彼女の子があの方の権限全てを使って隠してくださりました……今は宦官棟にいると聞いております」
そこで私は、やっとバラバラになっていたものが繋がったのを感じた。
春妃の占いに出た、吉兆の二重螺旋の天命。敵か味方かわからぬ内通者。そして皇后様の実子であり……紫珠様のきょうだい。
「……お話はわかりました。この国が壊れるかどうかはわかりません。ですが。私は私の持てる力全てを使って、成し遂げたいと思います」
私は頭を下げると、急いで寺院を後にした。
急いで宦官棟へと戻らなければならなかった。



