定期検診の手伝いをすることになったものの、わかったことがいくつかある。
上級妃は基本的に自分付きの宮女を連れての後宮入りだから、皆に面倒を見てもらい充分なほどに健康だから、せいぜい食べ過ぎに気を付けるようにと胃薬を医師たちが処方するだけで済んだものの。
下級妃たちのほとんどが栄養失調だったということだ。下級妃のほとんどは望んでなくとも後宮に入れられた人々なのだから、ほぼなし崩し的に行われたお渡りからはじまって、慣れない仕事、覚えないといけない習慣などなどの精神的苦痛が原因で、満足に食事が喉に通らなくなってしまっているのだった。
「これ……なんとかする方法ってないんでしょうか?」
その日の区分を終えた私が訴えると、石楠さんが悲しげに言う。
「今の陛下になるまでは、ここまで悲惨なことはありませんでしたが。そもそも精神的苦痛が原因で食事に喉を通らなくなるようなことが後宮でまかり通るのがおかしいのです」
「そりゃそうなんですけど。でも現に今そうなっていますよね?」
「本来、後宮は由緒正しい妃教育の行き届いた人々が、それぞれの家の名誉と国のために競い合いながらそれぞれの宮女たちを育てる場。間違っても陛下の酒池肉林の場ではありませんし、それを増長させるべき場所ではないんです」
「結局は皇帝陛下が悪いんじゃないですかぁ……」
そんな期間限定で医局に詰めないといけない人たちにまでそう評価されるって、どれだけ悪評積み重ねるんだ。そもそもこの人がここまで不審を募らせていたら、普通に反感食らいそうなのに、官吏がこの人を増長させてしまっている。無茶苦茶じゃないか。
私が憤慨していると、泡桐さんは溜息をついた。
「そんなの誰だってわかってる話だ」
「あの人そのまま野放しにしてて、どうして反乱起こされないって思ってるんですか……官吏の人たちは……」
「梨妃が正一品にいる限り、自分たちを陥れることはできないって高を括ってるんだろうさ」
「それって……」
たしか黄精さんの話だったら、梨妃の実家が軍を掌握しているんだったか。つまりは反乱を起こしてもすぐ鎮圧できるって踏んでいる訳だ。どこまでも薄汚い。
石楠さんも困った顔をして頷く。
「なんとかしたいって気持ちは皆同じはずなんですが……皆が皆、自分のこと以外考えられなくなっているのが、この後宮の荒れている原因だと思いますよ」
「……そうなんですね」
とりあえず下級妃たちには、少しでも栄養を取れるようにと干し棗を処方するのでせいぜいだった。
ただひとつだけわかったことがある。
前の暗殺が失敗したときも、梨妃の屋敷でだった。あそこは女性兵士たちで固めていたし、皇帝陛下も色ボケてたから、あれだけ人事を尽くしてもなお足りなかったけれど。
皇帝陛下のどれだけ恨まれてもなお尽きない天命を尽くす方法のひとつとして、梨妃を失脚させればいいのでは? 彼女が失脚すれば、後宮内の妃の地位もおのずと変わってくる上に、官吏たちも皇帝陛下の欲望赴くままの行動で恨みを買いまくっているのをなんとかしようと動くのでは。
「そうは言っても……」
身元確かな上に、きちんとした妃教育を受けた上で後宮に入っているのが梨妃だ。それを失脚させる方法なんて、そう簡単には思いつかない。
本当だったら紫珠様に相談したいし、なによりも内通者を探さないといけないのだから、この思いつきだって内通者をなんとかしたあとでなかったら意味をなさない。結局は私は、今の時点で一番信頼できる春妃のまたしても相談を仰ぐこととなったのだった。
****
できる限り人に見つからない道を通りながら、私は春妃の屋敷へと入る。彼女は唐突な訪問にもかかわらず、花茶とお茶請けのお菓子を振る舞いながら、静かに私の話を聞いてくれた。
医局でしばらく手伝いに入ったこと、今は紫珠様はしばらくこちらに来られないこと、そして梨妃を失脚させることができれば、皇帝の天命を削ぐことに繋がらないかという話をしてみた。
春妃は「そうですね……」と顎を手に当てて考える仕草をした。
「たしかに梨妃の天命は不明瞭です。殿下の天命は雲がかっていてなにも見えなかったのと同じように、彼女も天命が読みづらいのです。ただ、彼女と皇帝陛下が一緒にいることで影響があるのでしょうね。皇帝陛下の天命に陰りが見えない一因になっているのだと思います」
「だったら、これで皇帝陛下の天命が尽きて……」
「ですが、この内容をもし内通者に密告されてしまった場合、やはり皇帝陛下の天命は尽きません。この情報は一旦この場の話として、先に内通者捜しですね」
「……ですよねえ」
「ただ、医局に潜り込むことができたのは、妙案でしたね。あそこは完全中立地帯ですから、あそこで保管されている帳簿を読むことは可能でしょうから。よく思いつきましたね?」
「はい……宦官棟でお世話してくださってる方に相談したら教えてくれたんです。私、その人が宦官なのか宮女なのかさえ知らないんですが……」
「あら? そうなのですか?」
「はい。紫珠様が派遣してくださったもので」
私の言葉に、春妃は再び考え込む素振りをした。よくよく考えたら、彼女は初っ端から妃として後宮に無理矢理放り込まれたものの、お渡り拒否するために自身の能力を吹聴して回ってどうにか逃れた人だ。彼女は宦官棟に行ける権限がないのだから、宦官棟に住んでいる人たちのことについてはほぼほぼ知らないはずだ。
「……その方、どのようなお方ですか?」
「どのようなお方……そうおっしゃられても私も本当によく知らないんです。あの人がいろいろと私に後宮内の歴史なり情勢なり教えてくれたとしか」
「それ、おかしくありませんか?」
「えっ?」
「ここを出入りできるような方々、基本的に楽団の方や宦官くらいです。後宮内の職に至っては、数年単位で交替ですから。その中で後宮内の歴史を知っているのは」
「……そういえば、そうですね?」
でもそうなったら。どうして黄精さんは、紫珠様が復讐を誓った後宮内の流行病の騒動を知っていたんだろう。
春妃は占い盤を取り出すと、それを読み解きはじめた。
「……その方、凶兆と吉兆の二重の螺旋が見えるのです」
「あれ、吉兆と凶兆の二重って、互いの兆候を殺し合ってはいませんか?」
吉兆が幸運で、凶兆が不運だったはずだけど。それが二重になっているのはやっぱりおかしい。私の疑問に春妃は大きく頷いた。
「その方のことをお調べなさいませ。後宮を助かるか滅びるかは、その方が命運を握っています」
「……そこまで大事なんですか!?」
「はい。私も天命まではかろうじて占うことができますが、その方の正体までは読み解くことができません。ただ吉兆と凶兆の二重の螺旋を持つような方は、ただ者とは思えませんからね」
そりゃそうだ。そんな吉兆と凶兆をどちらも兼ね備えた人が、宦官棟で匿われているなんて、まずおかしい話だ。そもそも紫珠様自ら紹介してくださった方なのだから、あの人の正体はのっぴきならないものだろうとは想像がつく。
それに、あまりにもふわふわとし過ぎた内通者捜しは、帳簿を見てもどこからどうやって探し出せばいいのか検討も付かないけれど、黄精さんだったら名前もわかっているし、帳簿になにかしら情報が残っているかもしれない。
手詰まりが過ぎた中で、やっと突破口が開けたような、そんな気がした。
上級妃は基本的に自分付きの宮女を連れての後宮入りだから、皆に面倒を見てもらい充分なほどに健康だから、せいぜい食べ過ぎに気を付けるようにと胃薬を医師たちが処方するだけで済んだものの。
下級妃たちのほとんどが栄養失調だったということだ。下級妃のほとんどは望んでなくとも後宮に入れられた人々なのだから、ほぼなし崩し的に行われたお渡りからはじまって、慣れない仕事、覚えないといけない習慣などなどの精神的苦痛が原因で、満足に食事が喉に通らなくなってしまっているのだった。
「これ……なんとかする方法ってないんでしょうか?」
その日の区分を終えた私が訴えると、石楠さんが悲しげに言う。
「今の陛下になるまでは、ここまで悲惨なことはありませんでしたが。そもそも精神的苦痛が原因で食事に喉を通らなくなるようなことが後宮でまかり通るのがおかしいのです」
「そりゃそうなんですけど。でも現に今そうなっていますよね?」
「本来、後宮は由緒正しい妃教育の行き届いた人々が、それぞれの家の名誉と国のために競い合いながらそれぞれの宮女たちを育てる場。間違っても陛下の酒池肉林の場ではありませんし、それを増長させるべき場所ではないんです」
「結局は皇帝陛下が悪いんじゃないですかぁ……」
そんな期間限定で医局に詰めないといけない人たちにまでそう評価されるって、どれだけ悪評積み重ねるんだ。そもそもこの人がここまで不審を募らせていたら、普通に反感食らいそうなのに、官吏がこの人を増長させてしまっている。無茶苦茶じゃないか。
私が憤慨していると、泡桐さんは溜息をついた。
「そんなの誰だってわかってる話だ」
「あの人そのまま野放しにしてて、どうして反乱起こされないって思ってるんですか……官吏の人たちは……」
「梨妃が正一品にいる限り、自分たちを陥れることはできないって高を括ってるんだろうさ」
「それって……」
たしか黄精さんの話だったら、梨妃の実家が軍を掌握しているんだったか。つまりは反乱を起こしてもすぐ鎮圧できるって踏んでいる訳だ。どこまでも薄汚い。
石楠さんも困った顔をして頷く。
「なんとかしたいって気持ちは皆同じはずなんですが……皆が皆、自分のこと以外考えられなくなっているのが、この後宮の荒れている原因だと思いますよ」
「……そうなんですね」
とりあえず下級妃たちには、少しでも栄養を取れるようにと干し棗を処方するのでせいぜいだった。
ただひとつだけわかったことがある。
前の暗殺が失敗したときも、梨妃の屋敷でだった。あそこは女性兵士たちで固めていたし、皇帝陛下も色ボケてたから、あれだけ人事を尽くしてもなお足りなかったけれど。
皇帝陛下のどれだけ恨まれてもなお尽きない天命を尽くす方法のひとつとして、梨妃を失脚させればいいのでは? 彼女が失脚すれば、後宮内の妃の地位もおのずと変わってくる上に、官吏たちも皇帝陛下の欲望赴くままの行動で恨みを買いまくっているのをなんとかしようと動くのでは。
「そうは言っても……」
身元確かな上に、きちんとした妃教育を受けた上で後宮に入っているのが梨妃だ。それを失脚させる方法なんて、そう簡単には思いつかない。
本当だったら紫珠様に相談したいし、なによりも内通者を探さないといけないのだから、この思いつきだって内通者をなんとかしたあとでなかったら意味をなさない。結局は私は、今の時点で一番信頼できる春妃のまたしても相談を仰ぐこととなったのだった。
****
できる限り人に見つからない道を通りながら、私は春妃の屋敷へと入る。彼女は唐突な訪問にもかかわらず、花茶とお茶請けのお菓子を振る舞いながら、静かに私の話を聞いてくれた。
医局でしばらく手伝いに入ったこと、今は紫珠様はしばらくこちらに来られないこと、そして梨妃を失脚させることができれば、皇帝の天命を削ぐことに繋がらないかという話をしてみた。
春妃は「そうですね……」と顎を手に当てて考える仕草をした。
「たしかに梨妃の天命は不明瞭です。殿下の天命は雲がかっていてなにも見えなかったのと同じように、彼女も天命が読みづらいのです。ただ、彼女と皇帝陛下が一緒にいることで影響があるのでしょうね。皇帝陛下の天命に陰りが見えない一因になっているのだと思います」
「だったら、これで皇帝陛下の天命が尽きて……」
「ですが、この内容をもし内通者に密告されてしまった場合、やはり皇帝陛下の天命は尽きません。この情報は一旦この場の話として、先に内通者捜しですね」
「……ですよねえ」
「ただ、医局に潜り込むことができたのは、妙案でしたね。あそこは完全中立地帯ですから、あそこで保管されている帳簿を読むことは可能でしょうから。よく思いつきましたね?」
「はい……宦官棟でお世話してくださってる方に相談したら教えてくれたんです。私、その人が宦官なのか宮女なのかさえ知らないんですが……」
「あら? そうなのですか?」
「はい。紫珠様が派遣してくださったもので」
私の言葉に、春妃は再び考え込む素振りをした。よくよく考えたら、彼女は初っ端から妃として後宮に無理矢理放り込まれたものの、お渡り拒否するために自身の能力を吹聴して回ってどうにか逃れた人だ。彼女は宦官棟に行ける権限がないのだから、宦官棟に住んでいる人たちのことについてはほぼほぼ知らないはずだ。
「……その方、どのようなお方ですか?」
「どのようなお方……そうおっしゃられても私も本当によく知らないんです。あの人がいろいろと私に後宮内の歴史なり情勢なり教えてくれたとしか」
「それ、おかしくありませんか?」
「えっ?」
「ここを出入りできるような方々、基本的に楽団の方や宦官くらいです。後宮内の職に至っては、数年単位で交替ですから。その中で後宮内の歴史を知っているのは」
「……そういえば、そうですね?」
でもそうなったら。どうして黄精さんは、紫珠様が復讐を誓った後宮内の流行病の騒動を知っていたんだろう。
春妃は占い盤を取り出すと、それを読み解きはじめた。
「……その方、凶兆と吉兆の二重の螺旋が見えるのです」
「あれ、吉兆と凶兆の二重って、互いの兆候を殺し合ってはいませんか?」
吉兆が幸運で、凶兆が不運だったはずだけど。それが二重になっているのはやっぱりおかしい。私の疑問に春妃は大きく頷いた。
「その方のことをお調べなさいませ。後宮を助かるか滅びるかは、その方が命運を握っています」
「……そこまで大事なんですか!?」
「はい。私も天命まではかろうじて占うことができますが、その方の正体までは読み解くことができません。ただ吉兆と凶兆の二重の螺旋を持つような方は、ただ者とは思えませんからね」
そりゃそうだ。そんな吉兆と凶兆をどちらも兼ね備えた人が、宦官棟で匿われているなんて、まずおかしい話だ。そもそも紫珠様自ら紹介してくださった方なのだから、あの人の正体はのっぴきならないものだろうとは想像がつく。
それに、あまりにもふわふわとし過ぎた内通者捜しは、帳簿を見てもどこからどうやって探し出せばいいのか検討も付かないけれど、黄精さんだったら名前もわかっているし、帳簿になにかしら情報が残っているかもしれない。
手詰まりが過ぎた中で、やっと突破口が開けたような、そんな気がした。



