医局は後宮の中でも中心のところに存在している。後宮の中でも中立を維持するために、三年に一度で中の人たちは交替しているため、基本的に書面に残して引継ぎというのが、どこよりも厳格になっているとのこと。
 私は「失礼します、宦官棟の方から手伝いに行けと言われた丁香です」と挨拶して入ると、医師が三人ほど振り返った。

「ああ、宦官棟からお話は伺いましたよ。現在の皇帝陛下のせいで、宮女がなかなかこちらまで手伝いに来てもらえず、身体検査のときも難儀しておりました」
「そうだったんですか?」
「ええ。定期検査はしておりますよ」

 そう頭を下げてくれたのは、丸眼鏡をかけたほけほけとした優しい人は、常に書類仕事に追われている宦官棟の人たちばかり知っていると新鮮な印象だった。

「自分は石楠(せきなん)と申します。こちらは」
泡桐(ほうとう)だ。よろしく頼む」
「はい、よろしくお願いします」

 こう言って、お手伝いをすることになった。
 医局でなにをするんだろうと思っていたら、定期検診を執り行うらしい。あまり馴染みのない習慣に「どうして行うんですか?」と尋ねると、石楠さんは答える。

「妊娠を早くに気付くためですね。上級妃の中には、政治的問題のためにギリギリまで隠していることもありますし、うっかりと男を連れ込んで皇帝陛下以外の子を孕んでしまって大変なこととかありますから、この数年の内に見直されたんです。妃同士の政治問題も孕んでいますから、定期検診を行うというので反対は多かったんですが、妊娠したらどうしても医師が定期的に通わなかったら対処できないことも多いですからね。それでは妃も子も亡くなりますから困ります」
「たしかに……」

 うちの場合はそもそも女系一家だったから無縁だったけれど、正室と側室の間で跡継ぎの子をどうするかで血で血を洗う争いに発展するっていうのはよくある。
 でも妊娠出産は命がかかっている以上、どうしても医師が関わらなかったら最悪妊婦が死ぬんだから、これを通すまでにどれだけ時間がかかったんだろうなあ。
 なによりも。上級妃だけでなく、下級妃……それこそ、普段は宮女として扱われている人も、一度でも皇帝陛下のお渡りがあったら、妊娠してない可能性も捨てきれないのだから、一度診てもらわなかったら悲劇に見舞われることだってあるだろう。そもそも下級妃は家から連れてきた使用人もいないのだから、後宮内でどうにか後ろ盾を見繕った上で子供を産まないと本当に死んでしまう。
 石楠さんに教わって納得しつつも、泡桐さんはかなり渋い顔だ。

「もっとも……先日正一品に大恥を掻かせたとかで、しばらく皇帝陛下は正一品のご機嫌取りに終始するだろうが。その間どれだけひどいことがあったのか」
「あれ……たしか今の皇帝陛下の子は、皇太子だけでした……よね?」

 それは紫珠様から聞いた話だから、あの女好きが過ぎる下半身で物考えている人がやらかさなかったら、間違いない話だけれど。
 途端に石楠さんと泡桐さんが顔を見合わせてしまった。

「あ、あのう……?」
「……定期検診を行っているのは、なにも上級妃の政治的な黙り込みを割らせるためだけじゃないんですよねえ」
「後ろ盾がいなさ過ぎて、このままだと母子共に後宮内で野垂れ死ぬと判断した場合、残念だが堕胎の手伝いもしている」

 それに背筋が冷たくなるのを感じた。
 そういう薬草があり、それを使えば堕胎できるのは知っているけれど。まさか医局で堂々とその話を聞くことになるとは思わなかった。

「あ、あのう……それって。後宮はそもそも、世継ぎのための場所なのに……いいんですか?」
「いいもなにも。そもそもここは女が多過ぎるし、少しはあの皇帝陛下が考えて人数を減らしてくれない限り、力を持つものが自分の欲や感情の発散先に弱い者を選んで痛めつける」

「我々だって、できれば止めたいです。ただ……我々もここで深く関与できるのは任期が決まっていますし、それが終了し次第医局から離れなければいけませんから。なかなか全ての妃やその子を助けることはできないんですよ」
「……皇帝は、面倒見てくれないんですか?」
「あの方はそもその正二品までの名前はかろうじて覚えているが、それより下の妃の名前を覚えてるのかどうかさえ……」
「わかりました。もう結構です」

 あの人、無茶苦茶だ無茶苦茶だと思っていたけれど、まさかここまで無茶苦茶だったなんて……!
 ひとまず私はおふたりと一緒に、帳簿をつくって、それで定期検診を受けるための一覧を作成することとなった次第である。

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 私が宦官棟に戻れたときは、とっくの昔に夜になっていた。
 ぐったりとしていたら、黄精さんが「お疲れ様です」と麺を出してくれた。平麺がものすごくおいしいけれど、なんの汁の平麺かはわからなかった。

「……定期検診の検査一覧つくってましたけど……人数多過ぎて大変でした……おまけに、上級妃の派閥同士が同日に検査になって揉め事が起こらないようにとまで便宜を図らないといけなくて……」
「大変でしたね。そもそも今の医師たちに定期検診を行うよう打診してくださったのは殿下なんですよ」
「あれ、そうだったんですか?」
「はい。昔は後ろ盾のいない妃が身籠もっても、満足に面倒を見てもらえませんでした」
「そんな……皇帝陛下の子じゃないですか」
「ですが、いくら父親が皇帝陛下であったとしても、他に力のある母親はいくらでもいますから。心労や肉体的苦痛に耐えきれなくなって流産したのでしたらまだよかった。中には子と一緒に命まで失ってしまった妃もいますから。そんな方々をひとりでも救うために、紫珠様が少しずつ宦官棟を動かしたんです。官吏たちも、さすがに世継ぎがいなくなったら国の維持もできなくなりますからね。この辺りは横槍を入れなかったようです」
「……なるほど、解説ありがとうございます」

 私はげんなりしながら、平麺をすすり終えた。
 でもそこで私は思いついた。

「そういえば、紫珠様が動いたということは、前例があったんですかね?」

 途端に、普段穏やかな黄精さんの空気が揺らいだ。普段の掴み所ない空気から一転、なにやらひやりとしたものに。

「どうでしょうね?」

 そうとぼけられてしまったけれど。
 これは……黄精さんはあからさまになにか知っているみたいだけど、深追いは駄目だ。私は慌てて「いや、なんでもないです! 忘れてください!」と言って話を打ち切った。
 帳簿をつくったし、引継ぎの記録の場所も確認できた。だとしたら、あそこで探せば、紫珠様が動いた一件がわかりはしないだろうか。
 今のところ内通者捜しはなにから手を付ければいいのかわからないから、ひとまずは帳簿に不審な部分がないか見つけないと。私は定期検診の最中でどうにか記録を読めないかと考えることにした。