「瀬戸山くん……!」

 理系コースの瀬戸山くんのクラスのドアを、勢いよく開ける。

 思ったよりもわたしの声が大きかったようで、中にいた生徒たちの視線がぎゅん、とわたしに集中した。

「あれ? どうしたの、希美ちゃん」

 窓際にいた米田くんが驚いた顔をわたしに向ける。米田くんのそばには、いつも一緒にいる瀬戸山くんの姿はない。

「あ、あの、瀬戸山くんは?」
「え? あれ? そういやいないな。トイレじゃね?」

 タイミングが悪い……!

 時間を確認すると、六時間目がはじまるまで残り五分ほどだった。このままだと顔を合わせた瞬間にチャイムが鳴るかもしれない。六時間目のあとだと、すぐにSHRがあって会いに来れないし、瀬戸山くんも七時間目の授業がはじまってしまう。

 もしかしたら落ち着いてからのほうがよかったのかもしれない。一言二言では瀬戸山くんを逆に不安にさせてしまう結果になるかもしれない。今日はお互い予備校がないので、瀬戸山くんの授業が終わるまで待って、それからゆっくり話したほうがいいかな。なら、先にメッセージを送っておかないと。

 ああでも、今ここで教室に戻っても、米田くんは瀬戸山くんにわたしが会いにきたことを伝えるだろう。なら、挨拶くらいはしたほうがいいかもしれない。

 とりあえず瀬戸山くんが戻ってくるのを待つことにして、そわそわと廊下で足踏みをしながら廊下を見回す。

 そこで、廊下の先に、こちらに向かってくる瀬戸山くんの姿を見つけた。

「瀬戸山くん!」

 呼びかけると、視線を上げた瀬戸山くんと目が合う。
 驚いたように目を大きく見開いてから、彼はわたしに駆け寄ってきてくれた。

「なにしてんの、黒田」

 瀬戸山くんが目の前に立つと、喉がぐっと締め付けられる。

 言わなくちゃいけないのに。全部。瀬戸山くんが教えてくれたから。
 すうっと息を吸いこんで、スカートを握りしめる。そして、勇気を振り絞る。



「誕生日に用事があるって言ったのはウソで、本当は瀬戸山くんの誕生日をサプライズで祝いたくって、でも瀬戸山くんがサプライズきらいだって言ってて、でも祝いたくて悩んでて、おまけにウソついたことも言えなくて、っていうかどうしてもサプライズを諦められなかったのもあるんだけど、それでずっとどうしたらいいのか考えてて、瀬戸山くんにもしばらく会えないって言われてウソついたのがバレてるんじゃないかとかサプライズに怒ってるんじゃないかとか不安になって、そしたら瀬戸山くんが友だちと遊びに行くかもしれないってなって焦って米田くんに相談して、ぐちゃぐちゃになってなにも言えなくなって――」



 息継ぎをせずに吐き出してしまったので、途中で息がきれてしまった。

 えっと、どこまで言ったっけ。あと言ってないことはなんだろう。

「あ、ごめんなさい!」
「なにが」

 謝ってなかった、とハッとして言葉をつけ足すと、目を丸くした瀬戸山くんに突っこまれた。

「ウソをついてた、こと」
「え? あ、ああ……え? っていうかなに? どういうこと? まずなんで黒田が謝ってるのかわかんねえし、なんでおれに怒ってないの?」
「え、わたし怒るのが正解だったの? え、あ、ご、ごめん」
「なんでそこで謝るんだよ」

 なんでだろう。
 瀬戸山くんが、すごく……困ったような顔をしているから、つい。

 いつも堂々としている瀬戸山くんが、眉を下げて、ちょっとだけ目を潤ませて、わたしを見ているから。

 見つめ合っていると、なんでか、わたしも泣きたくなってくる。

「あの、ごめんね、サプライズしようと、して、ウソついて」
「……ああ、うん、なんとなく、わかった、かも」

 瀬戸山くんはそう言って顔を歪ませたまま、わたしに手を伸ばしてきた。

 大きな手が、わたしのお団子に添えられる。そしてその手をゆっくりと髪に沿って下に移動して、耳元からこぼれ落ちているひと房の髪の毛をすくった。

「……黒田はさあ。いやおれが悪いんだろうけどさ」
「うん?」
「黒田は、おれにとって、黒田だけは特別だってのが、わかってないよな」

 片頬を引き上げて、瀬戸山くんは笑う。

「黒田じゃないやつに誕生日祝ってもらわなくても別に気にしないし、黒田じゃないやつにサプライズとかされると反応に困る。だって黒田じゃないんだから」

 ゆっくりと紡がれる言葉に、胸がきゅうっと締め付けられる。

「黒田だから、誕生日に用事があるとか言われたらヘコむし、黒田からだったらサプライズもうれしいしかねえだろ」

 瀬戸山くんの言葉をゆっくりと咀嚼する。

 今、ヘコむって、言った? 瀬戸山くんは、ヘコんでいたの? わたしが瀬戸山くんの誕生日に用事があるって、言ったことで?

 そんなの、全然気づかなかった。誕生日なんかどうでもいいって感じだったから、気にしないと思っていた。

 でも、わたしだから。

 じわじわと顔が赤くなって、熱くなる。

「……なんか、気が抜けたな」

 はーっと瀬戸山くんは息を吐き出して、両手をわたしの肩に乗せて項垂れた。瀬戸山くんの体重が肩にのしかかる。重い。けれど、それがうれしい。

 きっと、瀬戸山くんだから、だ。

「とりあえずさ」

 思わず瀬戸山くんを抱きしめたくなる。ノートを持っていなかったら、瀬戸山くんの背中に手を回すことができるのに。

 そう思った瞬間、瀬戸山くんが不意に顔を上げてわたしたちの視線がぶつかった。

「そんな顔すんな、ここで抱きしめるぞ」
「な、そ、そんな……って、え、……っあ、え!」

 顔に火が点いたように熱くなる。その直後、まわりの視線を感じてハッとした。

「まわりの目もあるし、授業もはじまるし、放課後話すか」

 ここ理系コース校舎の廊下のど真ん中だった! おそるおそる周りを見ると、いろんなひとが廊下に顔を出してわたしと瀬戸山くんを見つめていた。

 ひいいいいいいい。

 顔を赤くすればいいのか青くすればいいのかわからないわたしを見て、瀬戸山くんが噴き出す。

「じゃあな」

 ぐいっと背を伸ばして体を起こした瀬戸山くんが、わたしの肩をぽんっと叩く。

 瀬戸山くんの表情は、照れている、というよりも喜んでいる感じだった。

 昨日の瀬戸山くんとはまったくちがう、いつもの瀬戸山くんだ。

 それは、うれしい。よかった。
 とりあえず、わたしちゃんと、伝えられたんだ。

 ただ……。

「公開告白もそろそろ自重してほしいよな」
「もうお腹いっぱいなんだけど。もしくは砂吐きそう」
「おれ大学では絶対恋人作るんだ」

 周りからそんな声が聞こえてくる。
 わたしは今、穴があったら入りたくて仕方がない。