交換ウソ日記〜ふたりは今日も、ウソをつく〜

 
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    テスト終わったら
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    いろいろ話そう
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    うん わかった
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    わたしも 話したい
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 ……黒田の話したいことってなんだよ。

 なんかすげえ意味深に受け取れるんだけど、おれが深読みしすぎているだけだろうか。っていうか話したいって言ったのはおれで、黒田はそれに合わせただけなんだろうけど。黒田のことだからそうなんだろうけど。

 付き合ってからは交換日記のやりとりはのんびりペースだったのに、ここ数日はやたらとはやいのもなんだかそわそわする。

 おとといの帰りに受け取ったノートは、昨日の朝に黒田に返した。
 そして、その返事を受け取ったのは、昨日の放課後だ。

 それからずっと気になって仕方がない。昨日の予備校でもまったく勉強に集中できなかった。なんて返事をすればいいのかもわかんねえし。

 ――こういうときは。

 弁当を食べ終えて、すぐに席をたった。よし、黒田に会いに行こう。

「あ、瀬戸山くん」

 そのとき、理系コースの校舎で聞こえるはずのない黒田の声が聞こえてきた。振り返ると、教室のドアから黒田が顔を出して俺を見ている。

「黒田? どうした?」
「あ、ちょっと、話したいことがあって。でも、なにか用事あるならあとでも」
「いや大丈夫。ちょうど黒田のところに行こうとしてたところだから」

 駆け寄って声をかけると、黒田がそわそわしながら答える。理系コースの校舎に来ると黒田は視線が気になるらしく、いつも落ち着きがなくなる。が、今の様子もそのせいなのだろうかと勘繰ってしまう。

 なにか言いにくいことを言いたい、とか? それってなんだ?

「わたしに? どうしたの?」
「いや……べつに、なんでもないけど」
「なんでもないの?」

 ふ、と黒田が笑う。その笑顔に、ちょっとほっとする。

「黒田は? 話って?」
「あー、えっと、明日、一緒に帰れないかなって……思って」
「いいけど、予備校あるから一時間くらいしかねえよ? っていうか黒田も予備校じゃねえの?」

 珍しい誘いに、また不安が体内で芽吹く。

 一緒に帰ろうと言われるのははじめてのことではない。でも、お互いに予備校に通い出してからは、週に一度、予備校が休みの日だけ一緒に過ごすことになっているので、こうして別の日に約束をすることはなくなった。

 っていうか、明後日は一緒に帰る日じゃなかったっけ。

「うん、でも、瀬戸山くんしばらく会えないって言ってたから、明後日も無理なんだろうなって思って。でも今日は急すぎるから、明日はどうかなって」
「あ、ああ、そっか、そうだな」

 おれが〝しばらく会えない〟って言ったんだから、明後日も会えないんだと黒田が思うのは当然のことだ。おれも、そう思っていた、はずなのだけれど。

 あっさり受けいれている黒田に、不満が膨らむ。
 いやいや、落ち着けおれ。おれが言ったことだろうが。

「あ、でも、明後日のほうがよかったら明後日でも」
「いや、いいよ、大丈夫」

 黒田がわざわざ一緒に帰りたいと誘ってくれているのに断る理由はない。なんで急に、と思わないでもないけれど。

「黒田から誘ってくれてんの嬉しいのに、断るわけねえじゃん」

 おれを誘うだけで不安そうな顔をする黒田に笑いかける。

 付き合ってるんだから気にせず堂々と誘えばいい。黒田の場合は、多少わがままになってもらったほうがいい。黒田にとってはわがままでも、多分わがままと呼べるようなレベルには絶対に達しないだろうから。

「セトってあれ、素で言ってんだもんな。すげえよな」
「素直すぎて逆にややこしいタイプだよね」

 まわりにいるクラスメイトが冷めた視線と共におれに呆れたように言う。どういう意味かはわからないが、目の前の黒田は恥ずかしそうに耳まで真っ赤にして「な、なら、いいけど」ともごもごと返事をした。

「前から思ってたけど、黒田ってすぐ照れるよな。ポイントがわかんねえな」

 お団子に手を乗せて黒田の顔を覗きこむ。
 黒田は頬を紅潮させて、「こういうところだよ……」と困ったように眉を下げた。

 ポイントはまったくわからないけれど、黒田が恥ずかしがる顔がかわいいので、まあいいか、と思う。

 ……素直すぎる、か。
 クラスメイトの言っていた言葉を反芻し、決意を固める。

 しょうもないことで悶々としていろんなことを気にしているのはやっぱりらしくない。だから、黒田に会いに行って、交換日記ではなく直接話そう、と思った。

 そのタイミングで黒田がおれを誘ってくれた。
 ちゃんと話をしろ、ということだ。そうにちがいない。

「じゃ、明日はどうする? 駅まで行って、近くの店で時間潰す? あ、でも一時間待たせるからそのまま学校の図書室とかでもいいけど」
「え? えーっと、どっちでも、いいかなあ」
「そう言うと思った」

 ふは、と噴き出すと、
「瀬戸山くん、わたしに〝なんでもいい〟を言わせようとしてるよね」
 黒田が拗ねたように言った。

 たしかに。案外頑固な黒田の〝なんでもいい〟がおれは結構好きだ。そしてときどき、その返事をしないのもいい。

 だからこそ。

 ――『こっちがいいかな』

 前に、黒田がクラスメイトの有山と話していたときにそう言っていたのを思い出し、面白くない気分が蘇る。

 黒田が明確になにかを選ぶのが意外で、なんで、と思ったのだ。

 おれと一緒になにかを選ぶときでさえ、はっきりとどちらかを提案することは稀だというのに。

 なんか選んでたのか、と聞いたときに、黒田が一瞬視線を泳がせたのも覚えている。見られてまずいと思ったのか、いつからいたの、と返事をせずにそうおれに聞いたことも。なんかやましいことでもあんのか、と訊こうと思ったとき、松本が雑誌の診断テストをしていたのだと説明をしてくれた。なんで言い淀んだのかわからないが、そういうことらしい。

 選択肢からなにかを選ばなければいけないなら、そりゃ黒田でも選ぶだろう。

 けれどあまりに迷いなくはっきり答えていたから、妙に記憶に残っている。

 黒田が男子と話しているのが珍しい光景だったのもある、かもしれない。

「でも、こんなに彼女を大事にしてんのに、セト、誕生日はフラれたんだよねえ」
「かわいそうになあ」
「おい、黙ってろ」

 余計なことを言うんじゃねえよ、とすぐさま振り返りクラスメイトを睨む。完全におれを揶揄(からか)って楽しんでいる友人たちのにやけ顔に、いらっとする。

「あ……」
 案の定、黒田は小さく震えて申し訳なさそうに俯いた。その反応に、焦る。

「いや、おれは気にしてねえから。こいつらが好き勝手言ってるだけだし」
「でも、その」
「いいからいいから、こいつらのことは無視しろ。誕生日なんてどうでもいいし。別にただ歳を重ねるだけだろ。もともとおれ自分の誕生日もよく忘れるし」

 このままでは黒田が用事を断っておれを優先するのではないかと思えてくる。
 そんなことはしてほしくないんだよ。

「んじゃクラスのみんなで祝ってあげようか?」
「ああ、いいじゃん。テスト前の気晴らしにもちょうどいいし」

 おれの誕生日を理由にして遊びたいだけだろ、と内心で突っこみながら「おれの誕生日なんかそんなもんだよ」と黒田に笑う。

「だから、気にすんなよ」
「……みんなと、遊びに行くの?」
「え?」

 思ってもいなかったことを訊かれて、間抜けな声を発する。
 俯いていた黒田が不安げな顔でおれを見上げた。なんでそんな顔をするのだろう。おれに用事ができたほうが安心するから訊いている、のかも? いや、それにしては驚いたような、困ったような、焦ったような、よくわからない表情だ。

 頭にクエスチョンマークをいくつも浮かべながら、
「あー、どうかな、それもいいかも? わかんねえけど」
 と曖昧な返事をした。そこで、もうひとつの可能性に気づき、ハッとする。

「女子がいないほうがいいとか?」
「いや、ううん、そう、じゃないの。なんでもない」

 黒田はぶんぶんと顔を左右に振ってから、へらりと笑った。

「なんでもないって顔じゃねえだろ」
「気にしないで、本当に、ちがうから。そうじゃないの」
「じゃあなに」

 黒田がなにを考えているのかさっぱりわかんなくてもどかしくなってくる。怒っているわけじゃないのに、つい語尾がキツくなってしまう。そんなおれを止めるかのように、昼休みが終わる予鈴が響いた。

「希美ー、戻ろー」
「あ、じゃあ、えっと、明日」

 一緒に来ていたらしいヨネの彼女が黒田を呼ぶ。黒田はまるで逃げるようにおれの前から駆け出した。いちおう、またね、とおれに手を振っていたけれど、あきらかに様子が変だ。

 あのままでは黒田を問い詰めるような言い方をしていただろうから、よかったのかもしれない。でも、こんな中途半端な状態で話を切り上げるのはスッキリしない。

 なんなんだよ、いったい。
 言いたいことがあるならはっきり言えばいいのに。

 嫉妬か? でも、これまで女子もまじえて遊びに行ったことがないわけでもないのに今さら? もちろんそのときは事前に伝えているし、これまでの黒田の態度は今日のように不安そうでもなかったよな。

 じゃあやっぱり、誕生日に用事があることが関係してんのか?

「どーした、セト」

 小さくなっていく黒田の背中を見つめながら眉を寄せて考えていると、ヨネが不思議そうな顔で覗きこんできた。

「いや、べつに。ただ……」

 いつもとかわらない、これまでとかわらない、黒田の笑顔が脳裏に蘇る。ほとんどが、いつもどおりだ。でも、いつもとはあきらかになにかがちがう黒田の態度。

「黒田がなにを考えてんのか、わかんねーなって」

 この言葉を黒田に言えば、きっと黒田は傷つくだろう。
 気持ちを口にするのが苦手な黒田に、この言葉は禁句だ。

「セトのことだろ、そりゃ」

 ヨネがきょとんとした顔で言う。

「……ヨネはいいよなあ、単純で」
「うわあ、セトに言われたくねえ! セトは自分で思ってる以上にやべえくらいに単純だからな! オレなんかセトに比べたら繊細だっつーの!」
「そ、そんなことねーし!」

 思わず必死に否定する。図星だからだ。なんせおれは、気持ちが先走って相手をよく知らないまま〝好きだ〟とか手紙を書いてしまうくらいの単純さだ。

 でも、ヨネよりかはマシだと思うし、黒田がなに考えてるのかは、やっぱりわからない。おれのこと、だとしても。おれのなにを考えているのだろう。

 交換日記に書けば、教えてくれるんだろうか。

 そんなことを考えて、でも、自分の今の気持ちを明確に黒田に伝えるための言葉が浮かばず、無理だな、とすぐに諦めた。

「めんどくさ」

 なにもかもが。
 なにを書いたらいいのかわかんなくなる交換日記って、必要なんだろうか。

 
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 最近思うんだけど
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 そろそろ交換日記も終わっていいんじゃね?
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 つい、書いてしまった。

 勢い余って書いてしまったものの、さすがに渡すのに躊躇している。

 いや、書いたときはこれが本音だったんだけど。多少むしゃくしゃしていたのもあるけれど。妹の美久が『希美ちゃんと喧嘩でもしたの?』とおれに冷たい視線を向けて言ってきたのもある。喧嘩したわけではないので否定したが、『ムキになるところが怪しい』『どうせお兄ちゃんが悪いんだからちゃんと謝りなよ』と言われたのもムカつく。

 言いたいことだけ言って『あーあ、楽しみにしてたのになあ』と美久はおれに背を向けた。なにを楽しみにしてるんだ。黒田が家に来るのは美久に会うためではなくおれのためだというのに。毎回邪魔しに来て黒田と話をしようとするのだから邪魔で仕方がない。そしてまるでもう二度と家に来ないみたいに言うのはやめろ。

 思い出したらまたムカついてきた……。

 喧嘩なんかしてねえし。
 っていうか黒田と喧嘩なんか一度もしたことがない。

 黒田はいつでもおれの意見を受けいれる。どっちでもいいよ、と言って、本当におれがどっちを選んでも楽しそうにする。

 言いたいことがあるのに、我慢をしているわけではない、はずだ。
 やりたくないことにいやいや付き合う、という感じもない。

 そう思っていた。今も、思っている。

 でも頭の片隅に、本当にそうなのか、と首を傾げる自分がいる。

 それは、ここ最近の黒田が、どことなく言葉を呑みこんで誤魔化しているように感じるからだろう。なにかしらきっかけがあったのか、もしくは、おれが気づかなかっただけでこれまでもそうだったのか。

 気になり出すと、そのことばっかり考えてしまう。

 なんだか、誕生日に会えないことになってから、自分が自分じゃないみたいにうだうだしている気がする。なんだか、気持ちが悪いな。自分が鬱陶しくて仕方がない。

「なあなあ、セトー」
「なんだよ」

 ヨネがおれの機嫌を窺うように声をかけてきて、怪訝な顔をしながら振り返った。ヨネはヘラヘラと笑っておれの前の席に腰を下ろす。

「なあ、セト、誕生日結局どーすんの?」
「なにが?」
「クラスのみんなと遊ぶのか?」

 なんでヨネがそんなことを気にするのだろう。今までそんなふうにおれの予定を訊いてきたことなんかないのにどうした。

 と思ったところで、黒田かな、と思い至る。

 ヨネの彼女と黒田は仲がいいので、なにか相談を受けたのかもしれない。そこで、ヨネが一役買おうとでもしているのだろう。

「行かない」

 おれが答えると、ヨネはわかりやすくほっとしたように笑った。
 ヨネが心配するほど黒田はおれが女子と出かけることを気にしているんだろうか。

 正直、悪い気はしない。

 でも、ヨネを通さずに、自分で言えばいいのに、とも思う。

 なんで自分の口で直接おれに言わないのだろう。せめて交換日記に書けばいいのにそれもしないのはなんでなんだ。

「じゃあ、オレと遊ばねえ?」
「は? なんで?」

 にこにこしながら遊びに誘われて、眉間に皺を寄せる。

「なんでって、たまにはいいじゃねえか」
「いいけど……ふたりでか? おれの誕生日に? なんで?」
「オレもセトの誕生日を祝ってやろうと思ったんだよ。ひとりでさびしいだろ。ほら、せっかくだしセトの家に行ってケーキでも食おうぜ」
「ヨネの家、おれの家とは反対方向じゃねえか。いいよそんなの」

 なにを言っているんだこいつは。

 今までヨネがおれの家に来たことは一度だけだ。それも遊びに来たわけではなく、テスト前におれのノートを借りに来ただけだ。

「おれの家に来るのはいいけど、平日じゃなくて休日にしろよ」
「そう言うなよ」
「学校帰りとか時間がなくて忙しなくなるだろ。おれが黒田と過ごせないからってヨネに気を遣われるのも気持ちわるいっつの。たかが誕生日なんだから」

 そう、たかが誕生日なのだ。
 ポケットに手を突っこんで、背もたれにもたれかかる。

「受験間近のこの時期に、そんなことで一日潰す必要ねえよ。おれも勉強したいし」
「えー、でも、誕生日だぞ?」
「予備校でも行って自習するつもりだから、誕生日は学校で祝ってくれ」

 口にしながら、これはウソだな、と自分に突っこんだ。

 勉強しないとまずいのは、本当だ。前回の模試でC判定だったし。ただ、気にしているのかと言われると、そうでもなかったりする。どこでミスをしたのかは、自己採点のときにただのケアレスミスだと判明している。同じようなミスをしなければ、特に問題ないだろう。

 それに、ヨネやクラスメイトがおれの誕生日を祝おうとしてくれているのはありがたいが、そういう気分になれない。

 黒田と会えないから別の友だちと会う、なんて、マジで黒田に断られてさびしがってるみたいだ。そんなふうに黒田に思わせたくないし、自分でも本当にそうなんじゃないかと思えてきて情けなくなる。
 なら、いつも通り勉強しているほうがマシだ。

 きっぱり断ったのに、ヨネは、「ほんとに?」「そう言わずに」「たまにはいいじゃん」とやたらと食い下がってくる。

 あやしい。あやしすぎる。ヨネはそんなにおれのことが好きだったのか?

 っていうか今まで一度もヨネに誕生日を祝ってもらったことはないよな。おれもヨネの誕生日を祝ったことないし。

「まさか、クラスの誰かとサプライズでもしようと思ってたんじゃねえだろうな」
「へ? え?」

 目を見開いて声を裏返すヨネに、図星かよ、と呟いた。

 なんだってそんなことを考えついたのか。ヨネだけではなく、クラスメイトもきっと一緒に計画をしているのだろう。そう考えればヨネの一連の行動も納得だ。

 おれの家に来たいと言ったのはよくわかんねえけど。そういう体でどこか別の場所に連れて行くつもり、とかか。

「そういうのはいらねえから」

 サプライズは本当に苦手だからやめてほしい。リアクションを求められるみたいで、プレッシャーになる。うれしい気持ち以上に、相手のために求められている反応をしなくてはいけない、という気持ちのほうがでかくなる。これまで何度か家族にも友だちにも『反応が鈍い』と不満そうに言われたことがあるので、余計だ。

「マジで、やめろよ」
「……はい」

 念を押すように言うと、ヨネがしゅんと肩を落として頷いた。
 ヨネにここまで言えば、もう誰も当日おれになにかをしようとは思わないだろう。

「セトと付き合ってる希美ちゃんは大変だなあ、ほんと」

 ヨネははあーと諦めたようにため息を吐く。

「なんでだよ。ここで黒田が出てくんの」
「いや、深い意味はないけど……。なんか希美ちゃんはセトのこといろいろ考えてんのに、噛み合ってないというか。希美ちゃん、悩みが尽きないだろうなって」
「……お前、黒田とそんなに仲良かったっけ?」

 いろいろってなんだ。噛み合ってないってなんだ。

「そりゃあ、相談されたりアドバイスしたりする仲だし」
「は? おれとのことをヨネに相談してんの? なんで? なにを?」

 そんなこと初耳だけど。
 そんなにおれに関係する悩みがあんの?
 おれには言えないくらい、黒田はおれに気を遣ってるってことか?
 今までそんなそぶり見せなかったのも、おれのせいなのか? それが〝噛み合っていない〟ってことなのか?

 なんか、すげえ気分が悪いんだけど。おれのせいだとしても、それでもおかしくないか。おれに対して黒田はずっと、なにかしらの不満を抱えていて、おれの機嫌を損ねないように振る舞っていたのか。なんだそれ。

 


「お待たせ」

 授業が終わって図書室に向かい、机に座っている黒田の後ろ姿に声をかける。お団子頭をぶるんと震わせて黒田が振り返る。

「あ、お疲れさま」

 黒田は相変わらず数学が苦手なようで、机には数学の教科書が開かれていた。付き合う前、図書室で待ち合わせしたときと同じだ。

 おれが来たからと荷物をまとめようとしはじめる黒田の前の席に腰を下ろす。お互いの予備校に移動しやすい駅まで向かってから、近くの店で時間を潰すことになっているけれど、今はなんとなく、この場所で黒田を見ていたくなる。

 黒田の顔を見るまで、内心イライラしていた。
 でもこうして向かい合っていると、少し落ち着く。

 やっぱり、顔を合わせて話すほうがいい。ひとりであれこれ考えてイライラするなんてばかばかしいし、交換日記で話をしようとしたって、無理がある。結局、文字にするよりも直接言葉を交(か)わすほうがずっといいってことだ。

 じゃあ、おれらのしている交換日記の存在理由ってなんだろうな。

 付き合った当初は、面と向かって話すのに黒田が慣れてなかったからだ。でもいつまでもそうしているのもおかしいよな。

 勢いで書いたものだったけれど、冷静に考えると、別にどうってことのない内容なんじゃないかと思えてくる。

「どうしたの?」
「いや、べつに」

 頬杖をついて眺めるおれに、黒田が首を捻る。おれが動かないからか、黒田は手を止めてまわりをそっと見回した。つられるようにおれも見回す。テスト期間にはまだはやいからか、図書室にはほとんどひとがおらず、静かだ。

「あの、瀬戸山くん」

 黒田がおずおずとおれに話しかけてくる。ひとがいないぶん、黒田の小さな声は図書室によく響く。

「十月の、三日のことなんだけど」

 言いにくそうに言葉を紡ぐ黒田に耳を傾けた。
 黒田はゆっくりと時間をかけて言葉を選ぶから、急かさず続きを待つ。

「その日、放課後、なにしてる?」
「なに、って? 別になんの予定も入れてないけど」
「誕生日だから、出かけたりするのかな、って」
「誕生日だからって遊びに行かないといけないわけでもないだろ。黒田と会うならまだしも」

 なんだかんだ、おれの誕生日に用事があることを黒田は気にしているのだろう。あ、それだけじゃないんだっけ。米田に相談するくらいだもんな。

「黒田と会えないからって女子に祝ってもらうつもりもないし。ヨネがなんか言ってたけど、なんか面倒くさいこと企んでたから断ったしな。だから――」
「あー……そっかあ」

 安心するだろうと思って口にしたのに、黒田は沈んだ表情になった。けれど、口をつぐんで、それ以上なにも言わない。気持ちが沈んだ理由を、おれには話さない。

「なあ」

 机の上で腕を組み、黒田に呼びかける。

「ヨネに、なにを相談してんの?」

 黒田の体がびくりと跳ねた。

「いや、米田くんには相談っていうほどのことは、なにも」
「ヨネにはってことは、別のやつになんか相談でもしてんの?」
「それ、は」

 黒田が視線を彷徨わせる。ウソをつくことが下手くそな黒田は、誤魔化すことも下手くそだ。そういうわかりやすいところが、黒田のいいところでもある。でも、今はそんなバレバレのウソをつくなら素直に口にしろよと言いたくなる。

 どんなウソを隠していても、これまでならその奥の本音を感じた。

 でも、なにもわからない今は、不満しかない。

 いやいや、落ち着け、おれ。この感情のまま口にするとさすがにまずい。目を瞑って眉間に皺を寄せる。冷静になろう、と思っているのに、頭の中にはやっぱり不満が渦巻く。

 ヨネになにかを話しているのはまちがいない。加えて、ヨネ以外にもなにかしらの相談しているらしい。松本とかヨネの彼女とか、だろうか。

 そこに、ふと有山の顔が浮かんだ。
 黒田が珍しく話していた男子だ。

 体の中に、もやっとしたものが生まれて、体中に広がる。

「どんなことを、誰に、相談してんの?」
「たいしたことじゃ、ないよ」
「じゃあなに」
「それは……」

 突っこんで質問を続けると、黒田はどんどん気まずそうに目を泳がしはじめた。おれに言うつもりはないんだろう。そして、それを後ろめたく感じているのがわかる。

「おれのことだから、おれには言えないのか」
「そういうわけじゃ……ないけど」

 でも、言わないんだろ。

 それに〝おれのこと〟という発言を否定しなかった。つまりやっぱり、おれのことなんじゃねえか。
 困ったように眉を寄せる黒田に、唇を噛む。おれの態度に黒田が小さく体を震わせた。ビビらせたいわけでも、萎縮させたいわけでもないのに、なんでこんなことになるんだと、どうすりゃ正解なんだと考えると、ため息しか出てこない。

「なあ、おれに言えないことでもあんの? 別に怒んねえから、なにかあるなら言ってほしいんだけど」

 できるだけ怖がらせてしまわないように、ゆっくりとやさしい口調を心がけて伝えた。黒田は迷っているのか口を動かし、けれどなにも言わずに閉じる。それを数回繰り返してから、意を決したように口を開く。

「その、瀬戸山くんの誕生日のことで」
「それだけじゃねえだろ?」

 誕生日に女子と出かける話は昨日のことだ。
 その相談をずっと前からしていた、なんてことはないはずだ。

「もうウソつかないでいいから。そういうのもういらねえ」

 そんなふうに誤魔化してまで言いたくないことなのかよ。
 あーもう、むしゃくしゃしてきた。

「言葉にするのがいやなら、交換日記にでも書くか?」

 カバンからノートを取り出して、黒田に差し出す。

「書き終わるまで待っててほしいなら待つし、明日のほうがいいなら明日でもいいし」

 黒田は一瞬考えてからノートを受け取った。そして「今、書く」と答える。その表情は今にも泣きそうなほど歪んでいたけれど、勇気を振り絞っているのがわかった。

 少なくとも、黒田はこれ以上誤魔化そうとしないだろうと安堵する。

 面と向かって話し合いたいところだけれど、おれもこのままじゃなにを言うかわかんないし、黒田も口下手だからなかなか話が進まない。目の前でのやりとりならまあいいか。

 と思ったところで気づく。
 昨晩、勢いで書いた内容が、脳裏に蘇る。

「あ、ちょっと待っ――」

 弾かれたように顔を上げてノートに手を伸ばす。けれど、それはすでに遅かった。
 黒田はノートを広げてかたまっている。

「これ……」
「それは、その、気にすんな」
「瀬戸山くんは、もうやめたい、の?」

 呆然とした顔で訊かれて、返事に詰まる。

 やめたいかどうかで言うと、どっちなんだろう。
 もういいんじゃねえの、とは思っている。けれど、いやなわけではない。

 大事な話をしているわけではないから、なくてもいい。でもどうでもいい会話は、それなりに楽しい時間でもある。
 一瞬有耶無耶にするのがいいかと考えたけれど、でも、やっぱりそういうのは、おれには向いていない。

「言いたいこと言わないで、薄っぺらい会話を続ける交換日記って、ウソついて当たり障りのない会話をしてるって感じじゃん」

 見られてしまったなら、仕方ない。もうおれも結構我慢の限界だし。いい機会だ。

「本音を書けるノートなら、意味があるんだろうけど」

 でも、ここ数日のおれと黒田は、そうじゃない、気がするから。前までは、このノートの中には黒田がいると感じられたのに、そう思えない。

 しばらく会えないって言っても物分かりのいい返事をする。
 理由を尋ねることもせず、さびしさや不満も顕にしない。

 ――おれは、それを求めていたんだろう。

 誕生日に会えないことを拗ねる自分のように、黒田にもなにかしら感じてほしかった。

 自分がウソを吐いたのに、こんなふうに思うおれは心底かっこ悪い。

 情けないウソを吐いて黒田の気持ちを試すようなことする交換日記なんかないほうがマシなんじゃないかと思えてくる。

「……そっか」

 黒田が静かに呟く。
 感情が消えたような声に、黒田を傷つけたんだと実感する。
 心臓にナイフが刺さったみたいに苦しくなる。

「黒田はおれがどうする?って訊いたら、どっちでもいいって、言いそうだな」

 声に出して、黒田が言葉を続けるのを先回りして回避する。黒田を傷つけておいて、自分が傷つくのを避けるなんて、最低だな、と思ったけれど気がついた時には口にしていた。

 黒田の〝どっちでも〟はどうでもいいわけではない。そんなことは知っている。悩んだ末の返事だとわかっている。

 でも、今はその返事に〝どうでもいい〟という意味が込められているような気がしてしまう。そんなふうにひねくれて受け止めてしまう。

 そして。

「そんなこと、言わないよ」

 黒田にそう言われると、気を遣わせて無理をさせているようにも思えてくる。どっちの返事も受けいれられない自分の心の狭さを実感する。

「おれ、ウソついたんだよ」
「え?」
「しばらく会えないっての、ウソ」

 おれの告白に、黒田は目を瞬かせた。突然なんの話かと思っているのだろう。

「なんでそんなウソついたのか、聞きたい?」

 ふ、と自嘲気味な笑みが溢れる。

 正直なところ、そんなの黒田に言いたくない。カッコ悪い自分なんか見せたくない。訊かれたところで、素直に教えられるかもよくわからない。じゃあなんでこんなことを言い出したのかもわかんねえや。
 黒田は戸惑いながらもまっすぐにおれを見つめて、しばらく考える。

 どっちでも、って答えるかもしれない。
 今度こそ、どっちでも――どうでも――いいと言われるかもしれない。

 奥歯をグッと噛んで黒田の返事を待っていると、

「瀬戸山くんが、話したくないなら、訊かない」

 黒田はそう言った。

 なんでこの状況でも、おれのことを考えるんだよ。おれが言いたくないと思っていたのを、黒田はなんで察してしまうんだよ。

 おれは、おれのことばかりなのに。

「おれのことはいいよ。黒田は?」
「……どっちでも、いいよ」

 その返事を聞いて「そう言うと思った」と笑ってしまった。

「黒田って、他人に興味ねえの?」
「へ?」
「他人に興味がないから、自分の気持ちよりも他人を優先するのかなって」

 昔、付き合う前も同じようなことを言った。

 おれが高校で入部したサッカー部をすぐにやめた、と話したときだ。みんな、おれに「なんで?」と訊いてきたのに、黒田はなにも言わなかった。

 そのときは、ただ興味がないからだと思ったけれど、黒田はそれ以上に相手の気持ちに合わせようとするだけだった。

 でも、実際のところ〝知りたい〟という気持ちがその程度だからなんじゃないか。
 それって結局、興味がないのと同じなんじゃないか。

 そんな意地の悪い捻くれたことを考えてしまう。

 いつか、という言葉で黒田はおれの心を軽くしてくれたのに。そんな黒田を好きになったのに。今は、なにもかもが自分に都合のいい解釈をしていただけなんじゃないかと自信がなくなる。

「わたし、瀬戸山くんのことを他人とは思ってないよ?」
「マジか。他人かと思った、おれ」
「なんでそんなこと、言うの?」

 さすがの黒田も、表情を歪ませる。
 おれは今、黒田をめちゃくちゃ傷つけているんだろう。
 そんなことしたいわけじゃないのに、なのに、口が止まらない。

「悪い、おれが、悪い。黒田は悪くない。でも、今日は帰るわ」
「瀬戸山くん」

 黒田から目を逸らして、すっくと立ち上がる。

「今のおれ、黒田がなにを考えてるのか、わかんねえんだ」

 それはきっと、おれの感情がぐちゃぐちゃだからだ。

 黒田はいつもどおりだ。隠していることがあって、それに不満を感じているけれど、おれは、黒田のように言いたくないなら言わなくていい、とは思えない。そのせいで、ひとり苛立って、黒田に八つ当たりみたいなことをしてしまっているんだ。

「瀬戸山くん」

 呼び止める黒田の声を無視して、図書室を出て行った。

 
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    もう一度 話がしたい
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    ウソをついてごめんなさい
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    謝るのはわたしのほう
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 どれも、ちがう。

 何度も交換日記に文字を書いて、そのたびにちがう、これじゃない、と首を振って書き直す。

 ウソじゃない。
 でも、本当でもない。

 ああでもないこうでもない、と悩みすぎてどうしたらいいのかわからない。

 昨日も、パニックになって瀬戸山くんを追いかけることができなかった。しばらくしてメッセージを送らなければ、と思ったのに、なにを送ればいいのかわからず、交換日記に返事を書いて、それを持って会いに行こう、と決意をしたのが昨晩のことだ。

 なのに、まだ返事が書けていない。

 悩んでいるあいだに夜が明け、そしてもう昼休みも終わってしまった。授業は残すところ六時間目だけで、すぐそこまで放課後が迫ってきている。

 このままじゃ、今日が終わってしまう。焦る。このまま明日を迎えたら、より一層わたしは身動きが取れなくなる。それだけはわかる。

 だから絶対、今日、瀬戸山くんと話をしなくちゃいけないのに。

「大丈夫なの、希美。悲壮な顔してるけど」
「だ、だいじょうぶ……」

 六時間目がはじまるまでの十分休憩に、シャーペンを握りしめてノートを睨みつけているわたしを見て江里乃が心配そうに声をかけてきた。このやりとりは昼休みもした。いや、朝から休み時間のたびにしているかもしれない。

「もう会いに行けば? ばーっとぶちまけたらいいじゃん」
「……そう、なんだけど」

 江里乃に言われて、そうだよね、と頷く。

 サプライズパーティーをしようとウソを吐いたのがきっかけにちがいない。その後ろめたさを隠そうとしたのも原因だろう。そのことを素直に伝えて謝るしかない。

 でも、本当にそれだけなんだろうか。どこかでわたしと瀬戸山くんに大きなズレが生じているような気がする。瀬戸山くんが吐いたというウソが、わたしのウソとどう繋がっていうのかがわからないのだ。

 そこを理解しないまま謝ってもいいのかな。

 素直に、瀬戸山くんにウソついて誕生日を祝うつもりでした、と言えば、わたしたちのすれ違いは解決するのかな。

「よくわかんないけど、とりあえず謝れば? 瀬戸山もよくわかんないけど謝ってきたんだし」
「でもそれって……ズルい気がしちゃう。なにに謝ってるのか自分でもわかんないし」

 もちろん、ウソをついたことは謝らなければならない。それは絶対だ。

 でも、昨日のあの瀬戸山くんの様子を思い出すと、わたしはそれ以外にもなにか、瀬戸山くんにとって失礼なことをしたんじゃないかと、そんな思いが拭えない。

 あんなに、苦しそうな瀬戸山くんを見るのははじめてだった。まるで、自分の発言に瀬戸山くん自身が傷ついているみたいだった。

 なんでだろう。わたしは、それをちゃんと受け止めて考えなくちゃいけないと思う。

 考えて、答えを出さなくちゃ、いけない。

「まあ、原因がわかんないのに謝られるとムカつくかー」
「なんか、いろいろ相談まできいてもらったのに、うまくいかなくてごめんね」

 おまけに心配までかけてしまっている。
 なにもかもうまくできない自分が情けない……。

 しょんぼりするわたしに、江里乃は「そういうこともあるよ」とわたしの肩をやさしく叩(たた)いた。そして、「いつも仲良しなふたりの喧嘩も珍しいしね」と冗談を言って笑う。そんなふうにわたしの気を紛らわそうとしてくれる江里乃に、「もう」とわたしも少し笑うことができた。

「江里乃ー! 助けて!」

 そこに、優子の元気な声が響いてふたりで振り返る。

「これ、どういうことか教えてくれない?」
「騒がしいなあ、優子は。どうしたの」

 優子は一枚の紙を手にしていて、それをわたしの机に広げて見せてきた。五時間目に返却された数学の小テストの答案用紙だ。ここ、と優子が三角のマークをつけられた回答を指さす。江里乃はどれどれ、とそれを見つめる。

「これなんで三角なの」
「そりゃあそうでしょ。計算式まちがってるんだから。答えは合ってるけど」
「答えが合ってるなら正解でしょ」
「たしかにマークシートの答案ならそれで正解だけど、全然ちがう方式でたまたま答えが一致しただけでしょ。このまま正解もらっても理解できてないんだから、後悔するよ。小テストで気づけたと思って正しく答えを導きなよ」

 江里乃が言うと、優子は「えー、厳しい! 納得できないー!」と頬を膨らませた。

「厳しいとかじゃないでしょ。あ、こっちの途中式は合ってるじゃん。答えはまちがってるけど。これがわかってるなら、この問題もすぐ理解できるよ」

 江里乃はそう言って、優子に問題の正しい計算式を教えはじめる。優子はふんふんと素直に耳を傾けて、答案用紙に正しい式を書いていく。

 ――『数学では途中式を書かなくちゃ、答えが合ってても丸にはならねえ』

 ふと、付き合う前に瀬戸山くんに言われた言葉を思い出した。

 江里乃と優子が喧嘩したときだ。どうしていいかわからずなにも言えず、悩んでいたわたしに瀬戸山くんが言ってくれた。

 ――『全部、口にしろ』

 あの言葉は、わたしにとって目から鱗だった。

 あのおかげで、わたしは優柔不断な自分を少しだけ、好きになれた。

 どっちでもいいよ、とか、なんでもいいよ、がわたしにとって〝答え〟なんだと思うことができた。

 なのに、今のわたしは。

 何度も書いては消している交換日記を見る。
 今のわたしは答えばかりを求めている。答えばかりを書こうとしている。

 考えがまとまらないからって、答えが出ないからって、なにも言わずに瀬戸山くんと向き合うこともできないでいる。

「全部、言わなくちゃ」

 ウソをついたことはもちろん、瀬戸山くんを不安にさせたなにかがわからないことも正直に、伝えるべきだ。

 勢いよく立ち上がり、交換日記を手にする。

 ああ、でも、これだけは書かなくちゃ、とシャーペンを握りしめて文字を書いた。

 悩みも不安も疑問も取り払って、最後に残る、ずっとかわらない、わたしの本音だ。ウソのない、今わたしが瀬戸山くんに伝えたい、たったひとつの気持ち。

 それを抱きしめてドアに向かおうと足を踏み出す。

「希美、どこいくの?」
「瀬戸山くんのところ、行ってくる」
「え、もう、六時間目はじまるよ?」
「うん、でも、今行かなくちゃ」

 江里乃が引き止めるのを無視して、教室を飛び出した。

 休み時間は十分しかないけれど、まだ半分以上はあるはずだ。猛ダッシュで理系コースに向かえば、少しだけでも話す時間はあるはず。

 全部伝えるのは無理かもしれない。けど、今はただ、一分一秒でもはやく瀬戸山くんに会いたい。会って、話がしたい。

 廊下を力強く蹴ってすぐそばの階段を駆け下りる。渡り廊下を横切って理系校舎に入ると、そのまま階段に足をかける。普段こんなに走ることがないからか、すでに息は切れ切れで、足も痛い。

 でも、足は止めない。
 止められない。
「瀬戸山くん……!」

 理系コースの瀬戸山くんのクラスのドアを、勢いよく開ける。

 思ったよりもわたしの声が大きかったようで、中にいた生徒たちの視線がぎゅん、とわたしに集中した。

「あれ? どうしたの、希美ちゃん」

 窓際にいた米田くんが驚いた顔をわたしに向ける。米田くんのそばには、いつも一緒にいる瀬戸山くんの姿はない。

「あ、あの、瀬戸山くんは?」
「え? あれ? そういやいないな。トイレじゃね?」

 タイミングが悪い……!

 時間を確認すると、六時間目がはじまるまで残り五分ほどだった。このままだと顔を合わせた瞬間にチャイムが鳴るかもしれない。六時間目のあとだと、すぐにSHRがあって会いに来れないし、瀬戸山くんも七時間目の授業がはじまってしまう。

 もしかしたら落ち着いてからのほうがよかったのかもしれない。一言二言では瀬戸山くんを逆に不安にさせてしまう結果になるかもしれない。今日はお互い予備校がないので、瀬戸山くんの授業が終わるまで待って、それからゆっくり話したほうがいいかな。なら、先にメッセージを送っておかないと。

 ああでも、今ここで教室に戻っても、米田くんは瀬戸山くんにわたしが会いにきたことを伝えるだろう。なら、挨拶くらいはしたほうがいいかもしれない。

 とりあえず瀬戸山くんが戻ってくるのを待つことにして、そわそわと廊下で足踏みをしながら廊下を見回す。

 そこで、廊下の先に、こちらに向かってくる瀬戸山くんの姿を見つけた。

「瀬戸山くん!」

 呼びかけると、視線を上げた瀬戸山くんと目が合う。
 驚いたように目を大きく見開いてから、彼はわたしに駆け寄ってきてくれた。

「なにしてんの、黒田」

 瀬戸山くんが目の前に立つと、喉がぐっと締め付けられる。

 言わなくちゃいけないのに。全部。瀬戸山くんが教えてくれたから。
 すうっと息を吸いこんで、スカートを握りしめる。そして、勇気を振り絞る。



「誕生日に用事があるって言ったのはウソで、本当は瀬戸山くんの誕生日をサプライズで祝いたくって、でも瀬戸山くんがサプライズきらいだって言ってて、でも祝いたくて悩んでて、おまけにウソついたことも言えなくて、っていうかどうしてもサプライズを諦められなかったのもあるんだけど、それでずっとどうしたらいいのか考えてて、瀬戸山くんにもしばらく会えないって言われてウソついたのがバレてるんじゃないかとかサプライズに怒ってるんじゃないかとか不安になって、そしたら瀬戸山くんが友だちと遊びに行くかもしれないってなって焦って米田くんに相談して、ぐちゃぐちゃになってなにも言えなくなって――」



 息継ぎをせずに吐き出してしまったので、途中で息がきれてしまった。

 えっと、どこまで言ったっけ。あと言ってないことはなんだろう。

「あ、ごめんなさい!」
「なにが」

 謝ってなかった、とハッとして言葉をつけ足すと、目を丸くした瀬戸山くんに突っこまれた。

「ウソをついてた、こと」
「え? あ、ああ……え? っていうかなに? どういうこと? まずなんで黒田が謝ってるのかわかんねえし、なんでおれに怒ってないの?」
「え、わたし怒るのが正解だったの? え、あ、ご、ごめん」
「なんでそこで謝るんだよ」

 なんでだろう。
 瀬戸山くんが、すごく……困ったような顔をしているから、つい。

 いつも堂々としている瀬戸山くんが、眉を下げて、ちょっとだけ目を潤ませて、わたしを見ているから。

 見つめ合っていると、なんでか、わたしも泣きたくなってくる。

「あの、ごめんね、サプライズしようと、して、ウソついて」
「……ああ、うん、なんとなく、わかった、かも」

 瀬戸山くんはそう言って顔を歪ませたまま、わたしに手を伸ばしてきた。

 大きな手が、わたしのお団子に添えられる。そしてその手をゆっくりと髪に沿って下に移動して、耳元からこぼれ落ちているひと房の髪の毛をすくった。

「……黒田はさあ。いやおれが悪いんだろうけどさ」
「うん?」
「黒田は、おれにとって、黒田だけは特別だってのが、わかってないよな」

 片頬を引き上げて、瀬戸山くんは笑う。

「黒田じゃないやつに誕生日祝ってもらわなくても別に気にしないし、黒田じゃないやつにサプライズとかされると反応に困る。だって黒田じゃないんだから」

 ゆっくりと紡がれる言葉に、胸がきゅうっと締め付けられる。

「黒田だから、誕生日に用事があるとか言われたらヘコむし、黒田からだったらサプライズもうれしいしかねえだろ」

 瀬戸山くんの言葉をゆっくりと咀嚼する。

 今、ヘコむって、言った? 瀬戸山くんは、ヘコんでいたの? わたしが瀬戸山くんの誕生日に用事があるって、言ったことで?

 そんなの、全然気づかなかった。誕生日なんかどうでもいいって感じだったから、気にしないと思っていた。

 でも、わたしだから。

 じわじわと顔が赤くなって、熱くなる。

「……なんか、気が抜けたな」

 はーっと瀬戸山くんは息を吐き出して、両手をわたしの肩に乗せて項垂れた。瀬戸山くんの体重が肩にのしかかる。重い。けれど、それがうれしい。

 きっと、瀬戸山くんだから、だ。

「とりあえずさ」

 思わず瀬戸山くんを抱きしめたくなる。ノートを持っていなかったら、瀬戸山くんの背中に手を回すことができるのに。

 そう思った瞬間、瀬戸山くんが不意に顔を上げてわたしたちの視線がぶつかった。

「そんな顔すんな、ここで抱きしめるぞ」
「な、そ、そんな……って、え、……っあ、え!」

 顔に火が点いたように熱くなる。その直後、まわりの視線を感じてハッとした。

「まわりの目もあるし、授業もはじまるし、放課後話すか」

 ここ理系コース校舎の廊下のど真ん中だった! おそるおそる周りを見ると、いろんなひとが廊下に顔を出してわたしと瀬戸山くんを見つめていた。

 ひいいいいいいい。

 顔を赤くすればいいのか青くすればいいのかわからないわたしを見て、瀬戸山くんが噴き出す。

「じゃあな」

 ぐいっと背を伸ばして体を起こした瀬戸山くんが、わたしの肩をぽんっと叩く。

 瀬戸山くんの表情は、照れている、というよりも喜んでいる感じだった。

 昨日の瀬戸山くんとはまったくちがう、いつもの瀬戸山くんだ。

 それは、うれしい。よかった。
 とりあえず、わたしちゃんと、伝えられたんだ。

 ただ……。

「公開告白もそろそろ自重してほしいよな」
「もうお腹いっぱいなんだけど。もしくは砂吐きそう」
「おれ大学では絶対恋人作るんだ」

 周りからそんな声が聞こえてくる。
 わたしは今、穴があったら入りたくて仕方がない。
 


 瀬戸山くんの授業が終わるまで図書室で過ごし、そしてやっと、話ができた。

 結局、わたしと瀬戸山くんはずっと勘違いをしてすれ違っていたらしい。図書室から昇降口に向かうあいだに、これまで気持ちを伝え合って、そういうことだったのか、とお互いにふーっと安堵のため息をついた。

「でも、元はといえば、わたしだよね」
「まあそうだけど、まあおれも、悪いからな。っていうかなんでそこまでサプライズしたかったんだよ」

 そうだ。すぐに訂正すれば済むことだった。瀬戸山くんは、そのことを怒るようなひとじゃないのもわかっていた。

 なんとかして瀬戸山くんに喜んでもらいたかった。自己満足だとわかっていても、ひとりで考え選び計画をして、瀬戸山くんの誕生日を演出したかった。

 でも、それだけじゃない。どうしてもサプライズを諦められなかった。それは。

「喜ばずに戸惑ってる姿も、見たいなって思った」

 これが一番の本音だ。

「いい性格してんな」

 はは、と瀬戸山くんが呆れたように笑う。

「でも瀬戸山くん、本当に、そんなに、誕生日に会えないのを気にしてたの?」
「まあな。自分でもびっくりしたけど。黒田だからってのももちろんなんだけど、こんなにひきずるとは思わなかった」

 そんなふうに思ってくれたことに、喜びを感じてしまう。数日間沈んでいた反動で、余計に。胸がきゅうきゅうと締めつけられる。お腹の辺りがむずむずしてそわそわしてしまう

「黒田と付き合う前は、自分の誕生日を忘れることもあったのにな。まさか黒田に会えないだけでこんな気持ちになるなんて、そんなの、カッコ悪くて言えねえし」

 カッコ悪いなんて思わないよ。
 ただ、好きだなあって思うだけだ。

「米田くんにも言ってたから、本気でサプライズがいやなんだと思った」
「え? あ、ああ。なるほど、あのときの会話は黒田のことだったのか」
「わたしも、サプライズって苦手だったの。でも、わたしも、瀬戸山くんだけは特別だから、すごくうれしくって、喜ぶよ」
「だろ」

 瀬戸山くんは自慢げに言う。そしていいことを思いついたかのように「そうだ」と声を上げた。

「サプライズはいいけど、その前に断られるっていう思わぬ落とし穴があるから、今度からサプライズするときは日にちずらすことにしたらいいんじゃね?」

 たしかにそれがいいかもしれない。

 それもどうなんだろうと思わないでもないけれど、今回のようなことになるくらいなら、そのほうがいい。わたしも、もし自分の誕生日に瀬戸山くんに会えないって言われてたら、きっとしょんぼりしてしまっただろうから。

 瀬戸山くんと顔を見合わせて「それいいね」と笑う。

「サプライズって難しいね。瀬戸山くんが友だちと遊びに行っちゃったら、瀬戸山くんの家で美久ちゃんと待ち構える予定なのにどうしようって焦っちゃった」
「ヨネへの相談ってそれか。どうりでおれの家に行きたいとか珍しいこと言い出すと思った。あー……だから美久もあんなふうに怒ってたのか」
「え、美久ちゃん怒ってたの? なんで?」
「いや、大丈夫大丈夫。ほら、靴箱着いたぞ」

 話の途中で瀬戸山くんがわたしの背中を押す。靴箱は別々なので、続きは靴を履き替えてからだ。

 美久ちゃんにも謝らないとなあ、と考えていると、有山くんがやってきた。

「あれ、黒田。今帰り?」
「うん。有山くんも?」
「友だちと話し盛り上がってさ。あ、ちょうどよかった。さっき姉ちゃんからメールが来たんだけど。なんかプレゼントに良さそうな雑貨を見つけたからどうだって」

 そう言って、有山くんがスマホを取り出して操作する。

 まだ瀬戸山くんになにをプレゼントするかは決めていない。有山くんのお姉さんの提案が、どれも素敵で悩んでしまう。でも、これ、っていうのがあるのかも、と思い差し出された有山くんのスマホを覗きこむ。

 そのとき。

「そういうのはいいから」

 視界が遮られると同時に、背後から瀬戸山くんの声が聞こえてきた。

「え、せ、瀬戸山くん?」

 一瞬なにが起こったのかわからなかったけれど、どうやら後ろから瀬戸山くんがわたしの目を手で覆っているらしい。肩にも、彼の手が触れているのがわかる。抱きしめられている、と言ったほうがいいかもしれない。

 瀬戸山くんの手に自分の手を添えてそっと剥がした。振り仰ぐと、瀬戸山くんは眉間に皺を寄せて有山くんを睨んでいる。

「あと、黒田と距離が近すぎる」
「え、いや、いやいや。どうしたセト」

 有山くんは降参するように両手をあげて瀬戸山くんを落ち着かせようとしている。

 っていうか、わたしもこの状況がよくわかんないんだけど。なに? どうしたの?

「黒田もおれのプレゼントをほかの男と相談して決めようとしてんじゃねえよ」
「え?」
「ほかの男と選んだもんなんかいらねえよ」

 瀬戸山くんが、怒っている。というか、拗ねてる。

「ねえ、瀬戸山くん……?」
「なに」

 わたしが呼びかけても、瀬戸山くんは有山くんから視線を動かさない。

「もしかして、嫉妬、してるの?」
「そうだよ」

 すぐさま肯定されてしまった。

 瀬戸山くんが、嫉妬。瀬戸山くんは、そんなことしないと、思ってた。

 ああ、そうか〝わたし〟だから。

「なに笑ってんの、黒田」

 知らず知らずに頬が緩んでいたようで、瀬戸山くんに気づかれて睨まれてしまった。

「違うの。有山くんじゃなくて、有山くんのお姉さんから、おすすめのアイテムをいろいろ教えてもらってたの。悩んでたけど、でも、有山くんとは選んでないよ」
「は?」
「プレゼントは、わたしがひとりで、選ぶよ」

 有山くんに限らず、江里乃にも優子にも、わたしは相談していない。わたしが選びたかったから。たまに、意見を求めることはあったけれど、参考程度だ。

「……なら、いいけど」

 瀬戸山くんはバツが悪そうに顔を逸らしてわたしの肩から手を放した。それを見計らったように、有山くんが「なんだよもー、そういうことだから安心しろよ!」とそそくさと立ち去った。有山くんに申し訳なくなる。明日改めて謝ってこれまでのお礼も伝えなくては。

 先を歩きだす瀬戸山くんを追いかけて、右手を伸ばし彼の左手を握る。

「あのね、わたしも本当は、瀬戸山くんが女の子と遊びに行くの、嫉妬してたよ」

 わたしの手を握り返してくれた瀬戸山くんは、ほんのりと赤い耳を隠すように前を向いたまま「知ってるよ」と返事をする。

「でも、黒田は男子と距離が近い気がするからだめ」
「瀬戸山くんも女の子と距離が近いと思うけどなあ」
「おれは近くないし、おれが黒田以外となんかなるわけないし」
「わたしも、同じだよ。瀬戸山くんだけズルいじゃん」

 くすくすと笑いながら並んで歩く。
 こんな話、今まで一度もしなかったな。

「そう考えると、交換日記はたしかに、ウソばっかりだったね。嫉妬してるのも口にしなかったし、しばらく会えないって書かれたときも、さびしいって言えなかった」
「おれもだよ。なんでさびしいって言わねえんだよ、って書けなかったし」

 この先、交換日記を続けても、きっとウソばかりになるだろう。

 カッコ悪いことは言いたくないし、瀬戸山くんを困らせたくないから強がってしまうこともある。

 本音だけを書き続けるのは、難しい。

 でも。だからこそ。

「わたし、瀬戸山くんと交換日記、続けたいな。ウソばっかりでも」

 その中にしかいない瀬戸山くんもいるんじゃないかなって、思うから。

 文字と言葉。その中にいるどっちの瀬戸山くんも好きだ。そして、どっちかだけでは、すこし、さびしい。

 カバンから交換日記を取り出して、そっと瀬戸山くんに差し出した。やっぱりいやかな、と恐る恐る顔を上げると、瀬戸山くんは微笑んでいた。

 そして、

「おれもそう思ってた」

 と言ってくれた。

 ウソばっかりだけど、それでも、そこだけにあるものもある、かもしれない。

 少なくとも、それでもかわらない本当の気持ちはある。

 今、この手の中にある交換日記に書いたわたしの気持ちがまさしく、それだ。

 交換日記を広げて見た瀬戸山くんは、「おれが次に書こうと思ったのに」と笑った。



_____________________
_____________________
_____________________
    瀬戸山くんが 好きです
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_____________________




「で、結局誕生日はどうする?」
「サプライズ……ではなくなっちゃったもんね」
「予定通りサプライズしてもいいし、こうなったらいっそ出掛けてもいいし」

 もともと計画していたパーティだけでもしてもいいかもしれない。ふたりでのんびり過ごせるし。でも、もう気分一新してデートに行くのもいいと思う。瀬戸山くんのプレゼントがまだ決まっていないので、それだけでもこっそり用意をしたらいいんじゃないかな。

 でも、さっきの有山くんとの会話から、瀬戸山くんと一緒に探すのも楽しいし瀬戸山くんは喜んでくれるだろうな。

「どうする? どっちがいい?」

 うーんと悩んでいると、瀬戸山くんが、わたしの〝どっちでもいい〟を期待しているのがわかった。

「どっちでも、いい」

 むうっと口を尖らせて答える。

「でも、どっちも、が、いい」
「そうきたか。いいな、それ」

 結局なんて答えても瀬戸山くんはうれしそうだ。

「瀬戸山くんはどうしたい? 瀬戸山くんの誕生日だし」
「そうだなあ、おれは、どっちでもいいよ。なんでもいい」

 少しだけ考える素振りをした瀬戸山くんは、わたしのような返事をする。
 けれど、最後に満面の笑みで言葉をつけ足した。



「黒田が祝ってくれるなら」



 了

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