「壮人が無気力で、モラトリアムな時間を過ごしていたのって……カルトが原因だったりするの?」
 意外だった。そんな風に想ってくれていた? あんなに美しい元彼女たちよりも結を好きでいてくれた? 結本人が一番驚いていた。

「何度もあいつみたいにちゃんと告白しようと思った。そして、違う人を好きになりたいと思った。でも、だめだった。結は、幼稚園の時、ヘタレの俺に手を差し伸べてくれた人だから」

 幼稚園の時の記憶――

 壮人は表情があまりない子供でいつも退屈そうだった。そんな壮人に友達は少なかった。壮人が園庭で転ぶ。

「大丈夫? 私、結っていうの。友達になって」

「友達になってって言われたのは後にも先にもあの時だけだったな。そして、結の言葉はいつもまっすぐで、今も変わらない。皮肉にも今も友達以上にはなっていない……」

 せつない顔をする壮人はかなり珍しい。

「たしかに、呪いのアプリの解除方法は知りたいけど――付き合うとか結婚とか、ちょっと唐突過ぎて……」

「そうだよな。俺、何言ってるんだろ。ずっと友達のふりをして悟られないようにしてきた。でも、もう自分を偽れない。君が誰かのものになってしまうのは辛い。そして、君が辛い今、一緒にいてあげたい。はじめて自我が目覚めたんだ。後悔はしたくない。君を想う気持ちは誰にも負けない」

「呪いのアプリについて何か知っているの?」

「命と引き換えに結婚を迫るなんてカルトは絶対にしないよ。俺は卑怯だとわかっている」
 視線を落とす壮人。

「壮人が好きだと言ってくれて嬉しい。私はずっと壮人に相手にされるとは思っていなかったから。カルトとはつきあいが長くて、性格的に衝突することも多かったの。いつも、自分のことが優先のカルト。でも、結婚すればもう少し仕事よりも私を見てくれると思って、結婚しようと思っていた」

「うまくいってなかったのか?」
 少しばかり驚いた顔をする壮人。

「あなたは見た目もかっこいいし、私にはふさわしくないって思っていたの。だから、泥臭いけど愛してくれるカルトと付き合っていた。私もずっと臆病だったんだと思う。だから、気持ちに蓋をしていたのは私なのかもしれない」

 壮人の表情が変化する。驚きと喜びが混じりあった表情だ。
「それって結は俺を好きだったということか?」

 うなずく結。恐怖の中の洗脳なのか、本心なのか結自身も確信は持てなかった。

 そのまま壮人は結にキスをする。結は拒まない。むしろ、ずっと待っていたかのような長い長い――深い深い――口づけ。それは、二人の長い時間から見たらほんのわずかな時間なのかもしれないが、結は壮人の想いを受け入れた。

 震えているのが伝わってくる。結は一人きりでいることに、気持ちがおかしくなっていた。精神的にとても不安定に陥り、恐怖に耐えられなくなっていた。

 必要なのは、今、傍にいてくれる人。それは結自身が答えを出した結論だった。でも、きっとずっと前から壮人のことが無意識に好きだったということには気づいていた。でも、好きだとアピールして来る目の前の男性に心を惹かれるのは10代ではよくあることだ。だから、カルトを選んだ、それだけだ。

 震える手で必死に婚姻届けにサインをして、壮人が用意をした判子を押す。まるで何かに操られているかのようだ。恐怖の支配と孤独に耐えられないのが結の弱さだ。そして、ずっと友達だと思っていた壮人は客観的に見てもとてもかっこよく頼ることができる。そんな人が好きだと言ってきたら、流されてサインをするのが結だった。非常に感情に流されやすく、孤独に弱い。だから、カルトのように仕事人間と一緒になれば、いずれ孤独が支配する日が目に見えていた。

「譲渡の方法を教えるよ。その前に、役所に時間外婚約届けを出しに行こう。そして、受理されたら俺たちは夫婦だ」

 結の焦点は既に合っていなかった。保証人の名前を確認することもなく、ただ、必死にサインをした。

「ずっとずっと結のことが好きだった。でも、ずっと見ているだけだった。君の隣にはいつも岡野カルトがいた。そして、彼は結一筋でとても立ち入る隙がなかったからさ」
「壮人。ずっと私の傍にいて」
「ずっと――永遠に一緒だよ」

 月明かりの夜、無事役所に婚姻届けを出す。

「譲渡の方法――それは、アプリを他人に同意させてインストールさせるんだ。第三者に責任転嫁させるってことさ。実は、それを仲介している友人がいてね。彼は霊感もあるし、頭もいい。必ず力になってくれるよ」

「こんな怖いことに自ら足を踏み入れる人がいるの?」
「今から、会わせてあげるよ」
 アクセルを踏み込み、待ち合わせ場所へ向かう。

「実は、昔から彼とは知り合いだったんだ。地元の後輩なんだけど、俺にタイプの似た男性かもしれないな。彼は見た目とは裏腹に知的で物知りだ。彼は婚姻届けの保証人にもなってくれたんだよね」

 車が停止する。そこにはスマホを掲げて待ちわびた男がいた。
「この人が同じ大学の後輩で保証人になってくれた。秋沢葉次くん」

 手を振り、にこやかな陽気な男がいる。
「結婚おめでとうございまーす」

 手を振る男は、壮人とタイプが似た華奢でチャラい雰囲気が漂う。背は壮人よりも低いが、顔立ちは整っており、女子に人気があることは一目瞭然だ。

「ヨージは天才であり、人脈がある。自殺志願者を紹介してくれるってさ。彼は俺の恋愛相談に乗ってくれてね、結との結婚を勧めてくれた人なんだよ。見た目はこんな感じだけど、頭脳明晰で俺と感性がとてもよく似ている」

「ヨージ君?」
 カルトと一緒にいたことを何度も見た事がある。

「俺はソート兄さんの話を聞いた。一途で結さんのことを一番に考えている。こんなに一途な男は他にいないよ。結さんはソート兄さんと一緒になるべきだと思ったよ。カルトは仕事とか勉強とか自分のことが一番の人でしょ」

 たしかに、いつもカルトは自分のことを優先するタイプだ。依存できるタイプではなかった。こんなことになっているとはカルトは知らない。でも、事の成り行きで、既婚者になり、命を救われた。大好きだとまっすぐに想ってくれる人と一緒にいる幸せも有りなのだと思う。

 冷静にヨージが説明する。
「ことが落ち着いてから結婚のことはカルトに話せばいい。そうだな。14日ぎりぎりまで、譲渡したことは秘密にしておいて。このことは、壮人と俺からちゃんと話すからさ。カルトだって君の幸せのためならば、文句は言わないよ。君は、愛も命も手に入れた。こんなにいい話はないだろ。俺は、警察に協力しつつ、このアプリを知りたいんだ。こういうのってすごく好奇心が刺激されてアドレナリンが溢れる感じがするよねぇ。久々にわくわくな気持ちが沸き上がるよ」

 にこにこするヨージはとても呪いという危険なエリアに入ろうとしているとは思えない。なぜ、そこまで刺激を求めるのか結は何も考えられなかった。ただ、誰かに変わってもらいたかった。

 ヨージを乗せて譲渡する相手が待つ待ち合わせ場所へ向かう。彼女が自殺志願者らしい。ヨージはそういった困った人を救う仕事をしていると言っていた。一見いいことをしているようだが、実際は自殺の仲介だ。でも、お互いに条件が見合うことで成り立つ商売はいくらでもあるだろう。ギブアンドテイクだ。

 4人で結の自宅へ向かい、ヨージが箱からスマホを取り出す。結は怖がり近づかない。ヨージはスマホを操作する。

「譲渡するっていうボタンを呪いの子に出してもらうんだ」
 ヨージは指示を出す。

「本当に譲渡できるの?」
 結は手も声も震えっぱなしだ。

 
「実は、俺たちはずっとこのアプリを調べていたんだ。だから、この話は確実だ。相手が快く譲渡を受け入れれば成立する。ただ、普通はそんな危険なことをする馬鹿はいないから、結構難しいんだ。呪いの子どもが譲渡される人間に仕組みを説明する。それを知ったうえで受け入れる人間に譲渡できる。お互いに連絡先を交換してね。譲渡すると結さんが呪い主になるから、念のため偽名でいいから。本名を知られたら気が変わって呪い主を呪いの子に伝える可能性もあるでしょ。今は立花じゃなく真崎になったことを知っている人間はソート兄さんと俺しかいないから、特定されることはない。大丈夫」

 女性に聞こえないように、離れた場所で小声で話す。聞こえてはいないだろうという距離だ。

 自殺志願者の女性は本名を名乗る。それを呪いの子どもに伝えると、すんなり譲渡は成立した。譲渡は本当にできるのだ。

 もう結のスマホにあの黒いアプリはない。知らない自殺志願者に譲渡されたからだ。あの女性はそこまでして死ぬという気持ちになっているのだろうか。でも、生きたい人が生きる。死にたい人が死ぬ。アプリの仲介という仕組みは悪くない。ビジネスとしても充分成立するだろう。

 その夜、壮人と結は二人っきりで過ごした。それは、結が寂しいから傍にいてほしいと願ったからだし、お互い愛し合っていた。全ては、秋沢葉次が助けてくれたおかげだ。そして、いつの間にか結婚は成立していた。そのやり方はずるいと言う人もいるだろう。でも、結の心は壮人に完全に射抜かれていた。婚姻は本人同士の同意にのみ成立する。その夜、二人のつないだ手が離れることはなかった――。

 結は彼女に本名である真崎結という名前を教えることなく、譲渡した。だから、絶対に大丈夫。その女性がこれからどうなるのか、それを考える余地は結にはなかった。自分の命の保証さえあれば、何も怖くはない。だから、惰性で結婚を考えていた岡野カルトへの申し訳ないと思う気持ちと愛情は今の結には微塵もなかった。