結は一人で部屋の中で脅えていた。必死に恐怖と闘っていた。見えない呪い。それはアプリという触れることのできないものに存在する。理解の出来ない恨み。カルトに電話で提案されたブログを開設する勇気も元気もなく、カルトは解析ソフトを持ってくる気配もない。

 恐怖に耐えかねた、人一倍怖がりの結は、箱にスマホをしまっていた。切れない電源といつ現れるかわからない呪いの子を見なくて済む。今はとりあえず呪いのアプリと離れたい。物理的にでも見えないようにすることが一番だった。そんなことは無駄だと頭ではわかっていた。会社には体調不良だと伝えしばらく休暇を取ると連絡し、床に伏していた。体調が悪くなる。吐き気がする。でも、呪いは逃れられないし、解決方法がない。カルトに任せるしかない。でも、スマホのアプリは怖いから、スマホを隔離する。結果的にカルトとは連絡を取っていない。完全なる孤立状態だった。

 インターホンが鳴る。きっと死者の使いがやってきたのだろう。映画などではこういった時のインターホンは死亡フラグだ。

「結、真崎壮人(まさきそうと)だけど」
 聞きなれた真崎壮人の声が聞こえる。布団の中からそっとインターホンの映像を見ると、見慣れた幼馴染がいた。
 ちゃんと壮人だと確認するのに時間がかかった。もしかしたら、フェイクかもしれない。そういう展開はよくあることだ。インターホンに触れる震える指、そして、自然と結の体全体が震えていた。

 結と壮人はカルトと同じ高校であり、大学は違うが、同級生だ。芳賀瀬もカルトも同級生だったが、高校からだった。しかし、結と壮人は幼稚園の時からの同級生だ。ずっと前から、異性だと意識なんかする前からの知り合いだ。実家の電話番号も知っているし、お互い異性だと意識をして接したことはないと感じる。カルトの話を聞いて、とても心配をした壮人は訪ねて来てくれたらしい。安堵の心で招き入れる。

「一人で大丈夫?」
 壮人は、優しく頼れるまなざしだった。

「呪いの子どもと一緒の部屋は怖くて。一人暮らしってこういう時、辛いね」
 しばらく声を出していなかったので、声がかすれる。震えているせいかもしれないが歯がうまく噛み合わず、うまく話すことができない。震える手を握る壮人は優しいまなざしで包んでくれる。

「一人で辛いだろうと思ってさ。どうせカルトは事件の捜査。結が孤独なのは目に見えている。空気読むのと、霊を見るのは昔から得意だ」

 隣には呪術師家系の壮人がいる。壮人は幼少期から霊感が強いということは知っていた。元々先祖は呪術で生計を立てていたらしい。

 呪いの子どもと二人きりの一人ぼっちの空間の重圧に耐えかねた結は、スマホを箱に入れたまま外に出る。解放感が多少あり、夜風がきもちいい。真崎壮人は大学に入ってから、見た目が派手に変化した。

 高校の時は黒髪だったのに、大学に入ってからは、金髪メッシュで色合いを変えている。怖がる結と壮人は自然と手をつないでいた。彼の手はとても温かい。人の優しさとかぬくもりを改めて痛感する。久しぶりに幸せを感じる。高校時代にオカルト研究会に所属していた時にも、こんなことがあった。もっと前の幼稚園時代にも手をつないだことはあったかもしれない。

 温かなミルクティーを持ってきてくれた壮人はペットボトルの蓋を開けて飲ませてくれた。それくらい手が震えてペットボトルを持つこともできなかったのだ。そして、しばらく何も食べていないことに気づいた。恐怖で食欲なんか吹っ飛んでいた。でも、温かなミルクティーがとてもおいしくて、喉を鳴らしながら飲む。久しぶりに生きている感覚があった。少しベンチに座ってただ二人で風を感じる。ミルクティーが好きなことを覚えていてくれたんだ。落ち着いた頃に、世間話をして気を紛らわせる。彼の気遣いはとても心地よかった。

「相変わらずな髪色ね。それでも日本一難関といわれる東王の大学生?」
 あいかわらずの風貌に結がちょっかいをかける。現実から逃避したい結の術は目の前にいる壮人との会話だった。

「もう、3回も留年してるけどね。結は本当に昔から怖がりだな。スマホはちゃんと自宅に置いてきた?」

 落ち着いた優しい口調は相変わらずで、にこりと笑う壮人はポケットに手を入れながらぶかぶかしたパンツを履く。金髪で派手な服装をする壮人は賢さを隠すかのように人ごみに紛れたいのだろうか。

 同じ東王大学なのに、見た目からして賢そうな芳賀瀬ともしっかり者と正義感の塊のカルトとも違う。なぜ彼は一番成績が良かったにも関わらず、こういった不安定なゆるい生き方を選んだのだろう? 見た目は大学に入ってなぜか変化してしまった。でも、優しい性格はしばらく会っていなくても変わらない。そして、なぜ今、傍にいてくれるのだろう。結は少々不思議に思う。

「うん。ちゃんとスマホは置いてきたよ。物理的な距離だけでも置きたくて……」

 旧知の仲であり、カルトのことも含めてよく知る壮人は安心できる。ずっと一緒に過ごしてきた。カルトは刑事として一般人ができないことを捜査できる。わかっているが、傍にいてもらえないことは思った以上にダメージが大きかった。連絡を取る手段のスマホは恐怖でしかなく、触れたくもない。そして、連絡手段を絶たれたカルトとの距離は思いの外遠くなっていた。友達である壮人、不安な時に傍にいてくれる人はとても心強い。

「じゃあ、ドライブしようか?」

 高級車を指さす。彼の実家はとてもお金持ちで壮人が物に対して困っている姿を見たことがない。全てを手に入れることができる壮人はある意味無敵だと思っていた。

 容姿端麗な美男子で、スラリとした背が高いモデル体型。いつも一番の努力せずの神童だった。そして、入試や試験の成績も一番よかった。お金もコネも就職先もある。たくさんの女性と付き合ったとか別れたという噂も聞く。

 でも、彼が本気で何かを頑張って手に入れようとした姿を見たことがなかった。きっと、頑張らなくても全てが手に入る。そして、欲しいものなんてないのかもしれない。キラキラしている壮人は優しいけれど、いつも何を考えているのかわからないところがあった。何かが不満でけだるげな生き方になってしまったのだろうか。

「壮人は欲しいものは何でも手に入れられる人だよね。勉強だって人間関係だって、何だって……」
「どうしてそんな風に思うの?」

 運転に慣れている様子の壮人は意外とスピードを出す。優等生に見えない風貌とやんちゃな笑顔が今は一番心地いい。

「あなたが何かを欲して頑張っている姿を見たことがなかったから」
「そんな風に思っていたんだ……」
「幼稚園の頃から、難しい漢字も読み書き出来て、女の子からプレゼントもらっていたし、男友達ともうまくやっている印象があった。完璧人間だよね」

 少し間を置いて、壮人は話し始めた。
「俺は、不器用な人間なんだ。だから、本当に欲しいものをがむしゃらに手に入れることはできなかった」
「本当に欲しいもの?」

 意外だった。本当に欲しいものがあったのだろうか?

「カルトは本当に欲しいものを手に入れられる人間だ。しかも、努力家でまっすぐ。そんなカルトの必死の告白から結たちは付き合ったんだよな。だから、カルトのようなまっすぐな性格が羨ましいよ」

「まぁ、たしかに何度も告白されて、根負けしたっていうか。いつの間にか付き合うようになっていたのかな」
 昔、高校生の時にカルトから告白されたことを思い出す。その時、壮人も見ていた。大雨の中、必死に叫びながらの告白。彼からの告白は5回目だっただろうか。根負けして交際を承諾した。

「壮人だって、たくさんの女の子に告白されて付き合ってたじゃない」
「でも、俺は一度も自分から告白したことはない。カルトとは違う。ヘタレだ」

「見た目がイケメンな壮人が言うと違和感を感じる。むしろ、嫌味に聞こえるよ。見た目こそヘタレなのはカルトだよね。努力なしでは成立しないごく普通の人間だもん。告白しなくても向こうからアプローチされるなんて壮人はすごいと思うよ。カルトは全然女の人にモテないしね」

 たしかに、美男子度や性格で言えば、壮人を選ぶ女性が多いのは納得だろう。カルトは頑固だし、仕事人間で馬鹿真面目な人間だ。合わせることを極力しないタイプだ。いつも、傍にいてほしいときはいない人。それが結の婚約者の岡野カルトだ。

「でも、自分で本当に恋人になった人を好きだと思えない。だから、結果的に別れてしまうんだけどね。今も彼女のいない非リアだよ」
 いつのまにか気づいたら、虚しさを漂わせていた。

 いつもどこか遠くを見ている宙に浮いたような雰囲気はいつからだっただろうか。昔は、もう少し、一生懸命なところがあったような気がする。でも、一生懸命に生きなくても、何でもできることに気づいたからだろうか。

「呪いの子どもの呪縛を取り除く方法を知っているんだ」
「本当?」

 運転する車を左に寄せる。比較的車通りが少ないから邪魔にはならない。

「ひとつ条件がある。その条件を呑んでくれたら教えてあげるよ」
 真剣な顔をする。

「条件って?」

「俺、今年大学を卒業するから。俺と結婚してほしい」
 真っ直ぐな目を向ける壮人。手には婚姻届けが準備されていた。ちゃんと壮人のサインがされている。

「何言ってるの? 私はカルトと結婚することが決まっていて……」

 ぎゅっと抱きしめられる。

「俺は、ずっと結が好きだった。でも、ずっと告白できなかった。君が呪いのアプリの被害に遭ったと聞いて、今言わないと後悔すると思った。もし、この世界から君がいなくなったら――。俺は、もっと無気力になってしまう。あいつのようにまっすぐな正義感とか責任感はないけど。でも、結を好きな気持ちだけは誰よりも一番だと思っている。結を失いたくない」