「ねえ、どこで撮影したらいいと思う」
 女性が袋から取り出したクマのぬいぐるみを驚かせるように彼氏に見せていた。
「あっ、それ、ミカチャレンジじゃないか。君のところに来たなんてすごい。これがあの有名なクマちゃんか。なんか神々しいかも。これはちゃんとした場所で撮らないといけないね」
「でしょ。映える場所ってどこだろうね」
「結構、迷うね」
 それでも楽しく行き先を決めていた時だった。いかついチンピラ風の男性が二人に近づいてきた。
「あんた、写真すぐに撮らないんだったら、俺にそれをまわしてくれない?」
 カップルを脅すように睨みを効かす。
「あの、これ、ミカチャレンジですけど、どうするか知ってるんですか?」
 彼女を庇い、自分も多少怯みながらそのチンピラに若い男性は一応尋ねる。どうも素直に渡したくない。
「それぐらい知ってるってんだよ。だから次は俺がするっていってんだろ。早く貸せよ」
 けんか腰に言われて、若い男性は渋ってしまう。
「なんだよ、その目つきは。お前、俺を馬鹿にしてんのか」
 唾を飛ばして叫ばれると危険を感じ、若い男性はクマのぬいぐるみを咄嗟に差し出してしまった。
「最初から、素直に渡せばいいんだよ。ほら、さっさと行けよ」
 悪態をついて、カップルを追い払う。
 カップルは納得がいかないまま、どうすることも出来ず去っていく。
「悔しいけど、あんなのに絡まれたら怖いわ」
「とにかく危ないから離れよう」
 カップルは何度も後ろを振り返っていた。
 チンピラはクマのぬいぐるみと見詰め合う。
「これで一商売できるってもんだ」
 にやりと笑ってどこかへと去っていった。
 その次の日、クマのぬいぐるみと一緒にミカチャレンジと書かれた箱を手にして人通りが多い駅前でチンピラは佇んでいた。
「よろしくお願いします」
 大胆にもいき行く人に声を掛けると、みんな何事かと振り返る。
「難病のミカちゃんのための寄付を集めています。皆さんのご協力をお願いします」
「今、ツイッターで出回っているあのミカチャレンジなの?」
 物怖じしないおばさんが不思議そうに声を掛けた。
「そうです」
「あなた、ミカちゃんの関係者の方?」
「はい、そうです。寄付を集めております」
「あら、そうなの。だったら、少しだけど、協力するわ」
 詳しいことを良く知らないために、おばさんはすっかり人助けだと信じて小銭を丸く切り抜いた部分に落とした。
「ありがとうございます」
 その後もチンピラはみんなに訴える。
 何人かはクマのぬいぐるみを見たいために寄っては、箱をちらつかされて仕方なく小銭を落としていく。
 チンピラはお金を集めるためなら、腰を低くしてへつらうのも朝飯前だった。
「ありがとうございます。どうか引き続きミカチャレンジをサポートお願いします」
 堂々と嘘をつくとそれが嘘に見えなくなってくる。ツイッターで広がっているせいもあって、お金を寄付する人が結構いた。
 小一時間経った後、箱にはじゃらじゃらと小銭が溜まっていた。
「もっと集まるかと思ったけど、たったこれっぽっちか。ばれないうちにさっさと稼がないと」
 ブツブツと言っていると、スマホをかざす男性が現れチンピラを撮ろうとする。
 それに気づいてチンピラはすぐに近寄った。
「写真を撮るのはご遠慮下さい」
「どうしてですか? 写真を掲載するのがミカチャレンジの目的でしょ?」
「そうなんですけど、こういう部分はネットでは否定的に取る人がいますから、慎重にしてるんです。あまり表ざたにならずに寄付を募ってます」
 話し方は丁寧だが、雰囲気がいかつくて違和感を覚えてしまう。その男性は怪しんだ目つきをするも、クマのぬいぐるみはタグがついていて本物なため、なんだか状況がよくわからなくて強く問い質すことができない。
「でもなんか怪しいな」
 つい口をつくと、チンピラの目が急に鋭くなった。
「なあ、兄ちゃん。さっさとどこかへ行く方があんたのためだぜ」
 雰囲気が急に変わった。堅気じゃない異様な態度に男性はびくっとする。だがその時、クマのぬいぐるみと目が合い、「助けて」といわれたような気がして勇気を出して立ち向かった。
「やっぱり詐欺なんですね。そのぬいぐるみを利用してお金を得ようとしているだけなんですね」
「おいおい、俺を誰だと思ってそんな口を聞いてるんだ」
 チンピラも脅すことで男性を黙らそうとする。しかし、男性は正義感に溢れていた。今、クマのぬいぐるみを救わないと、ミカチャレンジはここで終わってしまうと思えた。
 普段全然とり得のない目立たない存在だが、クマのぬいぐるみと目が合うと助けたいという感情が湧き起こる。
「そのクマを返せ」
 チンピラから奪い取ろうと男性は手を出した。
「俺は盗んだわけじゃないぞ。なんでお前に返せって言われないといけないんだよ」
「そのクマは旅行に行かないといけないんだよ。あんたみたいな人にはふさわしくないからだよ」
「なんだよ、この野郎」
 二人はクマを奪い合う。辺りは騒然とし、中にはスマホでその様子を撮影しているものもいた。
「お巡りさんが来たよ」
 誰かが叫ぶと、チンピラは条件反射ではっとして箱を抱えて逃げていく。
 男性は取り戻せてほっとするも、クマのぬいぐるみの片腕がだらんと取れかけていて悲しくなってしまう。
「どうしよう。僕のせいで壊しちゃった」
 肩をがっくりとさせてしょんぼりしていた。
「あの、大丈夫ですか?」
 振り返れば女性が心配そうに見ていた。きれいな人だったから男性はドキッとしてしまった。
「はい、だ、大丈夫です」
「それ、ミカチャレンジのクマちゃんですよね」
「そうなんですけど」
 女性に見せようとするも、腕が取れかけたクマのぬいぐるみは痛々しい。女性も不安そうに顔が強張っている。
「あの、僕、さっき詐欺師と奪い合いしちゃって、それで」
「はい、一部始終見てました。私も寄付を募っていておかしいなって思っていたんです。あれでよかったと思いますよ」
「でも、そのせいで腕が……」
「あの、私直しましょうか? ちょっとした手芸ならできると思います」
「本当ですか」
 男性は喜んでクマのぬいぐるみを女性に渡した。
「ああ、結構派手に壊れてますね……」
 女性は手にして難しそうな顔をする。
「無理そうですか?」
「いえ、なんとかします!」
 急に心を決めたようにぐっとお腹に力の入った声が返ってきた。
 男性はそれが頼もしくて笑顔になった。
「あの、僕、熊田(くまだ)といいます」
「あら、熊が付くお名前なんですね。あの、私も熊谷(くまがい)といいます」
「えっ、そうなんですか。いや、お互い熊に縁がありますね」
 二人は急に愉快になって打ち解けあう。
 熊という字が名前に付くから、二人はどうしてもクマのぬいぐるみが放っておけない性分だった。