男子校に通う高校生の武井俊也(たけいしゅんや)はとても消極的で友達も少ない。普段から無口であまり自分の事も話さない。当たり障りなくただ誰かにくっ付いて学校生活に波風立たないように過ごしている。
 クラスで目立つ佐々木豊(ささきゆたか)と隣の席になってから、その穏やかな生活に支障がきたすようになってしまった。
「俊也、数学の宿題ちょっと見せてくれ」
 はっきりいって、自分が一生懸命やったものを、はいどうぞと簡単に見せるのは抵抗がある。だけど、圧を感じる笑顔で頼まれると断ることも出来ず、ずるずるということをきいてしまった。
「まちがっていても知らないよ……」
「大丈夫、大丈夫、俺、そんなの気にしねえから。ただやってきたという形が必要なだけ」
 ノートを貸した後、それが戻ってきた時、一緒にキャンディが一個ついてきた。
「ちょっとしたお礼だ。ありがとな」
 明るく言われると、知らずと俊也は笑っていた。
「お前、笑うとえくぼができるんだな」
 頬に指を差され面と向かって豊から言われると、俊也は慌ててしまう。
「そうかな」
 あまりいいことじゃないように思えて、俊也は頬を手で何度もさすった。
「恥ずかしがることなんてないよ。かわいいぜ」
 茶化されているようで、俊也はいい気分じゃなかった。豊はそんなこともお構いなしにぐいぐいせまってくる。
「なぁ、よかったらこれ繋がらないか?」
 スマホを見せられ、俊也は逡巡する。
 豊からしつこくスマホを出せといわれると、仕方なく俊也は鞄から取り出した。無理やりライン登録させられ不安になっていた。
「これでよし。また分からないことがあったら、これで気軽に訊ける」
 友達としてじゃなく、利用されているものを俊也は感じてしまう。
「俊也は他にもツイッターやインスタなんかやってる?」
「……やってない」
「それじゃさ、もしやったら、俺をフォローしてくれな。ほら、これ俺のツイッターアカウント」
 それを見せられて俊也は苦笑いしてしまった。本当は嘘をついていた。俊也もツイッターはしていた。だけど自分を偽って違うキャラになりきっての配信だから知られたくはなかった。
「あっ、ミカチャレンジがアップされてる。おっ、これ結構近くじゃないか」
 スマホを見つめ、豊はひとりで話していた。
 俊也もついそれを覗き込む。そこにはクマのぬいぐるみが擬人化されたように駅名が入った看板と写りこんでいた。
「あっ、かわいい」
 俊也はつい声が出た。男だけども、ぬいぐるみを集めるのが趣味だから、しっかりとした作りのクマのぬいぐるみは俊也の好みだった。
「これな、病気のミカちゃんのためにクマのぬいぐるみが旅行して励ましているんだぜ」
「クマのぬいぐるみが旅行?」
「ああ、なんでも人から人へと善意で手渡されて、そこでクマが旅行しているように写真を撮るらしい。ミカチャレンジってハッシュタグをつけて、このぬいぐるみが全国を旅している様子をツイッターにアップするんだ」
「写真撮ったあとはまた次の誰かにそのぬいぐるみを渡すの?」
「そんな感じ。そうやって、いろんな人がこのぬいぐるみを旅に連れて行くんだ。旅行をしたくてもできない病気のミカちゃんのためなんだって。またこれが自分の元にやってきたら願いが叶うとかっていう噂もあって、みんな来ないかなって待ってるらしい」
 これをフォローしている豊もそのうちの一人かもしれない。
 そんな話を聞くと俊也も興味が湧いてきた。そのクマのぬいぐるみは今、写真を見る限り隣町の駅にいるらしい。俊也も手にして写真を撮ってみたくなっていた。
「そのクマはどのくらい旅をしているの?」
「まだ一ヶ月ちょいくらいかな。でもあっという間に広がって写真はいっぱいアップされてるんだ」
 豊はスクロールして写真を確かめていた。
 そこに、病室のベッドの上でにこっと笑っている女の子の姿が出てきた。
「その子がミカちゃん? かわいい」
 俊也が訊くと豊はにやっと笑う。
「お前、もしかしてロリコンか?」
「違うよ。そういう年頃の女の子って無垢で自然なかわいらしさがあるからさ、素直にかわいいって思ったんだよ」
「言い訳して、なんか怪しいな」
「かわいいものをかわいいって何が悪いんだよ」
「ちょっとからかっただけだよ。お前、真面目な奴だな」
 豊のようなガサツな奴から、からかわれると俊也にはストレスだった。豊はどこで害になるかもしれない。いいように扱われるのが嫌で、一線を引いて警戒する。
 そして放課後、俊也はすぐに帰路につき、もしかしたらクマのぬいぐるみに会えないか、写真が撮られた場所へと出かけた。
 自分のスマホを取り出し、ツイッターを確認する。ハッシュタグから検索した画像を元に駅のホームの中を見回すが、ぬいぐるみを持っている人はいなかった。
「一緒に写りたかったな」
 ミカチャレンジに俊也は参加したかった。あのクマのぬいぐるみと一緒に写真が撮れたらきっと話題になったかもしれない。
 自分のツイッターアカウントを見て、俊也は油断してニヤッと笑ってしまう。我に返った時、慌ててしまった。誰かに見られたような気がして逃げるように家路に着いた。
 家に戻ると、父親が珍しく早く帰っていた。
「あれ、お父さん、今日は早いね」
 家の中を慌ただしく動き回っている父親に俊也は声を掛けた。
「ああ、明日、急に東京の本社に出張でさ、早めに帰ってきた」
「ふーん、大変だね」
「あっそうだ。母さん、アレはどこ行った?」
 父親は準備に忙しそうだ。それを尻目に俊也はリビングルームのソファに目が行った。そこに知っているものが座っていたからびっくりした。
「あっ、なんで、ここにいるの!?」
「ああ、そのクマのぬいぐるみだろ。今、なんかプロジェクトがあるらしいんだけど、これをもって東京に連れていけって言われたんだ。観光名所で写真撮って次の人にバトンタッチするんだとか」
「お父さん、ツイッターのアカウント持ってるの? それどうやるか、わかってる?」
「病気の女の子を励ますために色んなところで写真を撮るんだろ。IDカードも首にぶら下がってるだろ。そこに簡単な説明が書いてあったよ。写真のあげ方はよくわからないけど、とにかく本社の人に手伝ってもらうよ」
「ねえ、ちょっと貸して」
「いいけど、汚すなよ」
 俊也は嬉しくてたまらない。
 早速自分の部屋に篭り、制服を脱ぎ捨てる。クマのぬいぐるみと一緒に撮るために準備しだした。
「ウイッグかぶって、猫耳のカチューシャつけちゃおうかな。服は白いワンピースが清楚でいいかな。それとも、ゴスロリ風にしようかな」
 俊也は女装が趣味だった。かわいい女の子に化けるのが楽しくてたまらない。ミカを見てかわいいと思ったのも、自分もそんな風に自然な女の子に見られたかったからだ。
 こんな趣味があることは絶対に誰にも知られてはならない。気をつけながら、女装した自分の姿をツイッターにあげて反応を楽しんでいた。
 俊也は童顔で体も細く、化粧をすると女の子に見えてしまう。姉の洋服を冗談で着たら、姉よりもかわいかったことに味を占めたのが事の始まりだった。
 姉もそれが面白くて、化粧の仕方を教えるから、どんどんエスカレートしていった。
 アニメキャラクターのコスプレをするのと同じ感覚だから、別人になれるのが俊也にとっては気持ちがよかった。
「さて、これでよし」
 鏡を見て確認する。ピンクの髪のウィッグをかぶり、カラコンで目の色も変え、フリルのついた黒いスカートの裾を揺らしてポーズを取る。そこには女の子としか思えない姿の俊也が映っていた。
 俊也は満足して、クマのぬいぐるみを抱きしめる。そして、自撮りをする。何回も写真を撮り、その中から一番いいのを選ぶ。
「クマちゃんは今、私のうちにお泊りしてます。#ミカチャレンジ、っと」
 ブツブツ言いながら打ち込んでいく。そしてそれをアップした。
 すぐさま、いいねやリツイートボタンがされて通知がすぐについた。「どっちもかわいい」とコメントもついていく。知名度があるハッシュタグのせいか、反応がすさまじい。
 ツイッターでは相手からの反応があっても俊也はそれに答えない。性的対象として見る変な人からのコメントもあり、無視をしていた。
 でもかわいいといわれるのは素直に嬉しかった。
「軽くバズってるかも」
 短時間で一気にフォロワーが増え、初めての事に俊也が喜んでいた時だった。ラインの通知が入った。しかも、豊だ。
 ――おい、まさか、俊也なのか?
<なんの話だ?>
 すぐに返事すれば、即効でまた送られてきた。
 ――今、クマのぬいぐるみがそこにあるのか?
 俊也はドキッとする。豊になぜかばれている。
<ないよ、そんなの>
 すぐに否定の返事を送った。
 ――でも今、例の#タグつけて写真アップしただろ
<僕じゃないよ>
 やっぱり、豊にばれている。俊也はなんとか白を切りたい。ばれるはずがないのに、なぜ豊はすぐに見破ったのかがわからない。
 ――うそだ。俊也の女装じゃないか。えくぼでわかった。
 えくぼと言われ、俊也ははっとする。まさかそんな小さなことでばれるなんて思いもよらなかった。
 よりによって豊にばれるなんて、これからみんなに言いふらされて虐められてしまう。絶望的にお先真っ暗になる俊也。
 手も震え、どう返事をしていいのかわからない。時間が経てば経つほど、ごまかしがきかなくなってしまう。
 ――やっぱり俊也なんだな。
 そうしているうちにまた返事がくる。
 俊也は覚悟を決めた。
<あのさ、黙っててくれる?>
 ――やっぱりそうか。条件次第で黙ってやってもいいぜ。
 条件次第――。お金だろうか。でも一度払えばこれからもずっと脅してくるだろう。しかしそうするしかなかった。クラスで虐められるよりはいい。
<どうしたらいいの?>
 豊と隣の席になんてなるんじゃなかった。ラインなんて交換するんじゃなかった。そんな後悔をしながら返事を待った。そしてそれが返ってくる。
 ――俺と付き合ってくれる?
「えっ、ええ!!」
 俊也は驚きのあまり強くクマのぬいぐるみを抱きしめる。
 その時、脳内で「つきあっちゃえ」とどこから背中を押してくれる声が聞こえるような気がした。はぁーっと息を吐きながら指を動かした。
<わかった>
 いつものように断れずに返事してしまった。
 女装を楽しんでいるのだから、気に入ってくれる男子がいる方がいいのかもしれない。自分で理由をつけて乗り切ろうとしていた。
 でも次の返事が来てふっーと力が抜けた。
 ――これで親しくなれたな。これからもよろしく、俊也。
 きっと男子校のノリとしての豊の友達になりたいという計らいなのだろう。
 そう思うと、今までのネガティブな感情が払拭され豊がいい奴に思えてくる。
<こちらこそ、よろしく>
 趣味を理解してくれる友達が出来て、俊也は急に高校生活が楽しくなったように思えた。だが次の瞬間また固まった。
 ――それでいつデートする?
「えっ、ま、まじなのか……」
 俊也はクマのぬいぐるみを見つめる。物言わぬ相手に自分からおかしくて笑ってしまった。