同じ街で何度も写真が撮られていたお陰で、そこの場所を目指していた正江はクマのぬいぐるみに近づけた。
 不思議なことに勘が働き、どこにいるか感覚でつかめることが出来た。まるで何かに導かれたかのようだ。大きな流れ星を見た時に授かった能力なのか、同時にそれを見た孫娘のミカと繋がっているパワーなのか、とにかくクマのぬいぐるみを持っている女子高生を川のほとりの公園らしき場所で見つけた。走り寄って近づき正江は頭を下げた。
「あの、すみません。そのクマのぬいぐるみを次、私に渡してもらえませんか」
「嫌よ。やっと、私の番が来たのよ。このぬいぐるみをもって、これから告白するのよ。もうすぐ佐藤(さとう)君がここにやってくるんだから」
 クマのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめ、自分の思いを強く抱いている。
「じゃあ、それが終わったら、次は私に……」
 正江が言い終わらないうちに、女子高生の顔がぱっと明るくなって、そわそわしだした。
「佐藤君!」
 大きく手を振って彼を迎える。正江は邪魔にならないように少し離れるも、クマのぬいぐるみが気になって落ち着かなかった。
「何だよ、館林(たてばやし)
 かったるく彼女の名前を呼ぶ。どこかぶっきらぼうな様子だ。この年頃だから素直になれずに少しかっこつけているのかもしれない。
「あのね、これ、知ってる?」
「えっ、もしかして例の流行っているっていうクマチャレンジかなんかなのか?」
「ミカチャレンジだよ」
「ああ、そんな名前だったな。それでそれがどうした」
「一緒に写真撮ろうよ」
「なんで俺となんだよ」
「ツイッターきっとバズルよ」
 正江はとにかく早く済ませて欲しいとちらちらと二人を見ていた。
「じゃあ、それを貸してくれよ。ダチと撮るわ」
「なんでよ。私が持ってきたんだから、一緒に撮ろうよ」
「いやだよ。館林となんで撮らなくちゃいけないんだよ」
 照れているのか、本当に嫌がっているのか、正江には二人の関係がよく分からない。
「あの、よかったら私がお二人の写真撮りましょうか」
 はっきりとしてほしいと正江はしゃしゃり出る。
「館林の知り合いか?」
「やだ、全然知らない人だよ」
 邪魔して欲しくないと女子高生の館林が睨んだ。
「お願いします。どうしてもそのクマのぬいぐるみをミカちゃんの元へ連れて行きたいんです」
「ちょっと待ってよ、おばさん。今は私が持ってるんだから、ちょっとあっちに行ってくれる?」
 館林は手でしっしと払っている。
「お前さ、目上の人にその態度は失礼だろ」
「だって、邪魔をしてくるんだもん」
「俺、前から館林のそういうずけずけとした失礼なところが嫌いなんだよ」
 佐藤の拒絶する態度に、正江は嫌な予感を感じた。
「なんで私が佐藤に嫌われないといけないのよ。私は佐藤が喜ぶと思って呼んだのに」
「別にそんなの参加しなくていいよ。一人で勝手にしな。俺はこれで帰るわ」
「ちょっと待ってよ」
 館林が佐藤を追いかけようとすると、正江はそれを引き止めた。
「お願いします。そのクマを私に……」
「ちょっと、おばさんさっきからうるさいのよ。あなたが余計な口出ししたから、こんなことになったじゃない。何が幸せを呼ぶぬいぐるみよ。こんなの嘘じゃない」
 自分の思うようにならず腹を立てた館林は、腹いせに川に向かってぬいぐるみを放り投げた。
「あっ!」
 正江は持っていた鞄を放り出し土手をすべるように駆け下る。後を追いかけるもぬいぐるみは無残にも川に落ちてしまった。
「ちょっと、おばさん、危ないじゃない」
 館林が叫んだ時には、正江は迷わず川の中に入っていた。必死になって追いかければ腰まで水につかってしまう。夢中で追いかけているうちに水に足をとられ、正江は川へと体を突っ込んだ。
 川の流れにぬいぐるみと正江が流されていく。それでも正江は諦めない。
 クマのぬいぐるみは正江に手を伸ばしていたお陰で、正江はそれを掴むことが出来た。
「おばさん!」
 館林は自分のした事を今更後悔し、泣き叫んでいた。佐藤も戻ってきてスマホを耳に当てていた。救急車を呼んでいるらしい。
「大丈夫よ。ちゃんと捕まえたわ」
 正江は二人を見ながらそう言いたかったけど、実際は水の中で溺れていた。
 でも自力でなんとか這い上がろうと必死にもがく。
「誰か、早く来て!」
 正江を助けたいと館林は金切り声で狂乱する。
「おばさん、ごめんなさい」
 ――いいのよ。謝れることはいいことなのよ。何も問題ないわ。安心して。
 心からそう思っていた。
 その時、館林が高校生の時の自分の娘と重なってしまう。
『お母さん、なんでもっと強く向かっていかないのよ。なんで出て行かなくっちゃならないのよ。行かないでよ』
 泣きながら訴えていた優子の姿を思い出していた。頼りない母に不満を抱き呆れていた優子。
 由緒ある家に嫁いでしまい、義父母や親戚の干渉が激しく、仕来りに慣れない正江は叱られてばかりだった。自分さえ我慢すれば家庭は収まる。正江はそう信じてすっと耐えていた。
 あの頃は精神もずたずたで娘のことを考えている暇がなかった。その結果、自ら逃げ出してしまった。その後は合わせる顔がなくずるずると疎遠になって今に至る。
 弱かった頃の自分を思い出し、後悔し続けてきたことが今更嫌になってくる。
 今、娘と孫に会わなければ――。濡れてしまったクマのぬいぐるみを抱きしめ、正江は必死に抗った。
「大丈夫、娘と孫に会えるよ」
 幻聴を耳にした時、正江は自力で川から這い上がっていた。
 遠くから救急車のサイレンが聞こえ、人々が何事かと川のほとりに集まっていた。