クラムデリア郊外での戦いから10日後、俺は王都・リューメルドの王城への登城命令を受けた。
 辺境伯家が用意した過剰なまでの護衛が付いていたので、身辺の危険は一切なかったが、やはり歓迎はされていないのだと感じる。
 成し遂げた事が事だからこそ、敵視という視線ではないが、簡単には割り切れることではないのも理解している。自作自演などと言われても仕方ない事だとまで思う。
 なのでここで斬られてもまあ天命なのかな、などと思うくらいには腹を括っていた。
「お主がシノブ・オケガワとやらだな?」
「は、はい! この度はお呼びと伺い参上致しました」
 穏健派とは聞いていたが、ものすごい風格をたたえた国王だった。しかし俺の金縛りを受けたような緊張ぶりをおかしく思ったのか、国王はフッと口角を緩める。
「そう固くなる事はない。この場には誰もお主を人間だからと責める者はおらん。のう、ドラーゲル侯爵よ」
「は、はっ。仰る通りにございます」
 ドラーゲル侯爵という名前を聞いて俺は思わず声が出そうになる。武闘大会では俺の方が手痛く痛めつけられたとはいえ、赤っ恥をかいたのはデオニスだった。息子だけでなく侯爵家にまで恥が及んだとなれば、俺のことは目の敵にしているはずである。だがあいにく強張った身体のせいで思い通りに体が動かないので、国王・ボネアに視線を留めたままだった。
「さて、長々と話していても仕方がない。早速本題に入ろう。シノブ殿も察しの通りだが、此度の東方連邦軍の侵攻は、国家存亡の危機であった。後詰めとして送った王国騎士団も一瞬で殲滅され、正直我らには打つ手が残っていない状況だった。王都を放棄すべきという意見も出た。しかし我としては、戴冠されてから二度も王都を放棄するなど、なんとしても避けたかったのよ」
 遠い目で陛下は呟く。その言葉には心からの安堵が積み重なっていた。程なくして、ヘンデルは視線を俺に向ける。
「それをせずに済んだのはシノブ殿、紛れもなくお主のおかげだ。国を代表して、御礼申し上げる」
 陛下は貴族の目を顧みず、堂々と頭を下げた。貴族たちは慌てて宥めるものの、ピクリともしない。俺もようやくことの重大さに気づいて、しどろもどろに早口で告げる。
「い、いえ! 私はセルミナ様から受けた御恩を返した、それだけなのです。国王陛下がそのように頭を垂れる必要などありません! 頭をお上げください!」
「謙虚なことは良いことだ。だがそれでは我の気が済まぬ。お主はこの国を守った英雄だ。望む褒美を取らせよう。何でも申すが良い」
 英雄などという分不相応なワードに、俺はさらに萎縮してしまう。欲しいものなんて、何一つないのだ。
「いえ、褒美こそ、私が頂くわけには参りません。謹んで辞退させていただきます」
「無欲な男だ。とはいえ、何も与えぬというわけにもいかん。これは我の押しつけだと思って欲しい」
 あれを頼む、と従者に耳打ちする。すると、従者は絢爛な布に包まれた剣を抱え、ヘンデルに手渡した。もしかして断ったから、無礼だと首を刎ねられるのではないかと怯えてしまう。適当に金をせびっておけばよかっただろうか、などと思っていると、陛下は玉座から段差を降りてきて、俺のそばにやってきた。
「膝をついてもらえぬか」
「はっ?」
 言われるがまま、俺は片膝をつく。直後、剣が俺の肩に添えられ、本当に殺されてしまうのではないかと震え上がった。
「シノブ・オケガワ。ルメニア王国国王、ボネア・リューメルド・ヴァン・ルメニアの名において、貴殿を男爵に叙する。シノブ殿、受けてもらえるな?」
 俺は陛下の口から出た言葉が咀嚼できず、唖然としてしまった。しかし沈黙を怪訝に思った貴族たちの棘のような視線を受けて、反射的に言葉を発する。
「は、はい!」
 あれ、この人なんて言ったんだっけ。男爵? 男爵って貴族? え、俺貴族になるの? 人間なのに? それ国的にどうなんですか?
 俺の返事に陛下は柔和な笑みを浮かべると、背後から従者によって高価そうな素材でできたマントを着せられた。留め具にはルメニア王国の紋章が描かれており、現実感のなさにボーッとしていると、頭の上に冠を被された。男爵を示す宝冠、ということだろうか。
「男爵と言っても、お主は領地を治めたりする必要はない。あくまで名目上というだけだ。人間であるお主が国政に関わることを快く思わぬ者もおるのでな。もちろん土地が欲しければ与えるが」
 陛下はドラーゲル伯爵を一瞥して、そう告げる。一人で3万の兵を撤退させた俺の存在は、国にとって危険因子なのだろう。しかし、人間である以上人間の国へ向かうことも十分に考えられる、たとえ名目上であっても貴族とすることで、他国への流出を防ごうとしたわけだ。だからこそ、反人間派閥の貴族も、人間を貴族とする判断に反発できなかった。
「いえ。私には荷が重いので、謹んで辞退させていただきます」
「ただ住む場所くらいは用意させてほしい。王都に住むのはあまり勧めぬが……」
「私は辺境伯様に住む場所として屋敷の一室を頂いておりますので、お気になさらずとも構いません」
「だが貴族となる以上、それだけでは体裁が悪いだろう。クラムデリアに屋敷を建てさせるゆえ、自由に使ってもらいたい」
「……ありがたく頂戴致します」
 これ以上断るのは失礼だと思い、俺は受け入れた。
「そうだ、最後に一つ」
「なんでしょうか?」
「ミーシャをよろしく頼む。国王という立場上、あの子を孫として愛せない事を心苦しく思うておった」
「はい。もちろんです」
 俺はようやく本心からの笑顔で応えた。
 忌み子、などというくだらない迷信によって、周囲からは孫として接することが好ましく映らないのだ。もし人間嫌いの国王ならば、孫娘とはいえとっくに切り捨てられていただろう。立場上仕方ないというのも共感はしないが理解はできる。それでも忌み子だからと即刻切り捨てるような吸血鬼が国王でなくて本当によかったと心から思った。




「シノブ、おかえりなさい。って浮かない表情ですわね」
 クラムデリアの屋敷へ帰還した俺は、ミーシャちゃんと顔を合わせて早々、その場でしゃがみ込んだ。疲れがドッと出たのか、安心したのか、その両方だろう。今すぐにでもベッドに飛び込みたい。
「そりゃそうなるよ。まさか叙勲されるなんて夢にも思わなかったしさ」
「叙勲!? 貴方、叙勲されたんですの?」
 ミーシャちゃんは驚きに瞳を染めて、距離を詰めてくる。
「そうなんだよ。まさか貴族になるとはなぁ。男爵だってさ」
 未だに現実感がなく、間延びした声が部屋に響く。
「父上も思い切ったことをしますわね。平民を騎士にするのは今まで何度もありましたわ。でも人間を貴族にするなんて、前代未聞ですの」
「本当は辞退したかったんだけどさ、なんか断れる雰囲気じゃなかったし」
「まあ貴方もこの国で身分があった方が生きやすいでしょうし、貰って損は無いですわね」
「何もしなくていいって言われたし、本当に身分だけって感じだな」
「それが貴方にとってはいいのでしょう? 第一、学生という身分ではもし土地を任されても満足に政務なんてこなせませんわ」
「おっしゃる通りで」
 俺は笑いながら同意する。これまでは仮初だった居場所を、国から正式に授かったのだ。
 ノルト三国まで兵を退くにはかなりの日数を要したが、20日ほどで使者がやってきた。グレンは俺の提示した和睦条件を全て国王に飲ませたという。これで魔族と人間の溝が修復されると良いのだが、そう簡単にはいかないだろう。戦乱が起きないことが、両者の関係修復に繋がるわけではない、というのは、先の大戦から今までの両国の歩みを見ても明らかだ。
 東方連邦軍を撤退させた勲功とは別に、俺は和睦を飲ませた褒賞として金銭を突然送りつけられた。金貨1万枚がどれほどの価値かは分からないが、ミーシャちゃんの驚きぶりを見ると相当な価値なのだろうと思う。
 シオンの妹も無事解放された。妹の状態も心配なのだろう。シオンはすぐに国へ帰ることを決めた。
「クラムデリアでは不自由はなかった?」
「はい、とても良くしていただきました」
「それはよかった」
「本当に、ありがとうございました」
 シオンが深々と頭を下げる。
「礼を言われるようなことじゃないよ。俺は君を交渉の道具に使ったんだ」
 その結果はあくまで、シオンを道具として使うことに対しての後ろめたさから、自分を解放するための手段に過ぎない。だから、礼を言われるのは筋違いだと、真顔で告げる。
「理由がどうであれ、私は救われました。今は大した礼はできませんが、いつか必ず、お礼をさせてください」
 呪縛から解放されたシオンは、清々しい笑みでそう答え、国へ帰って行った。人が一人居なくなった静寂が、ポッカリと空いた心の空洞に肌寒い風を送り込んでくる。それを埋めるかのように、セルミナが屋敷を訪ねてきた。
「シノブ、帰ってきたのね。顔を出してくれればよかったのに」
「忙しいだろ?」
 セルミナは言うまでもなく、戦後処理に忙殺されていた。王都に逃げた領民も大勢いたし、戦死した兵も多い。遺族への補償を初めとして、色々やるべき事がある。幸いに城塞都市となっているクラムデリアこそ無事だったものの、城の西側に作られた防衛拠点は軒並み破壊されていた。その対応にも力を割かなければならない。
「一旦一息ついたの。それに、“英雄”の貴方と会う時間くらいどうとでもなるわよ」
「その呼び方はやめてくれ」
 英雄なんていう称号、自分には相応しくなさすぎる。呼ばれるたびにこそばゆい感情に駆られるのだ。俺は恨めしく視線を送りながら、セルミナに告げる。
「思ったより元気そうでよかった」
 少なくない損害を出した。その大部分が人的被害だ。自分のことを責めているかと思っていた。
「全然元気じゃないわ。忙しすぎて、落ち込んでいる暇すらないだけよ」
「俺にできることがあったら、なんでも言ってくれ」
「ありがとう。でも大丈夫よ。これは私がやらないといけないことなの。私は大丈夫よ。だって、シノブが私よりずっと苦しい思いをして、この街を救ってくれたから。それに、こう見えても私はシノブの何倍も生きているのよ。この程度で凹んでちゃ貴族なんてやってられないわ」
「無理はするなよ。愚痴ならいつでも受け付けるから」
「助かるわ。今度3日間くらい付き合ってもらおうかしら」
「3日間!?」
 3日も愚痴に耳を傾けていたらこっちも陰鬱な気持ちになって精神を病みそうだ。
「ふふ、冗談よ」
 吸血鬼の時間感覚は人間のそれより遥かにルーズなはずなので、一瞬信じてしまった。俺の焦る表情が可笑しかったのか、セルミナは口に手を当てて笑っていた。
「お姉様、今日はご馳走を用意しましたの。ぜひ召し上がって頂きたいですわ」
「あら、そうなの? ミーシャの料理は美味しいのよね。早速いきましょう?」
 ご馳走とは初耳だ。俺が帰ると聞いて、作ってくれたのだろうか。うい奴め、などとニヤつきながら、露骨にテンションを上げて食堂へと闊歩するセルミナに続こうとすると、突然ミーシャちゃんに腕を引っ張られる。
「ほんっと、貴方は仕方ない人ですわね」
「え、どういうこと?」
「知りませんわ!」
 頬を膨らませながら、セルミナに駆け寄っていく。言葉の意図がどうしても理解できず、俺は何度も首を傾げた。女心は複雑とよく言われるし、理解しようというのがそもそも愚かなことなのだろう。俺は一瞬で思考を放棄して、二人の後を追うのだった。