通称・ノルト三国はエステル、ラトヴェル、ガリテアという国々から構成され、いずれも大陸北部の広い範囲を掌握する大国である。
三国は政治的、文化的、経済的、そして軍事的にも強い連携をとっており、大陸中部の国家連合体である東国連邦の中でもそれは顕著だった。
なぜこの三国が蜜月の関係を築いているかというと、それぞれの国王が祖先を同じくするからである。
ノルト三国の始まりは大陸中部に覇を唱えたバーデル王の宰相・ヴェルナッソが分け与えられた土地を、3人の息子に等分に任せたことに始まる。堅固な繋がりはそれ以来変わらず続いていた。
三国は国土の7割を平地が占めており、肥沃な大地や豊富な資源を背景に、東方連邦でも飛び抜けた人口や経済力を誇っている。
三国が幅を利かせるためにその他の小国は発言力を弱めているのが近年の傾向であり、東方連邦の他の国々はノルト三国の言うことに従うだけ、という風潮が固まりつつあった。
特に南部、オスト・フェルキナの北に位置する小国・メーテルブルクはその影響を顕著に受けている。
クラムデリアの北西部で国境を接し、獣人族の国家であるドーベリアとも同時に国境を接している。それゆえに、戦略的な重要地域としてノルト三国は見做していた。
しかしメーテルブルクは完全な内陸国家で国土も狭く、川すらも流れていないために困窮を極めていた。
ノルト三国はそれにつけ込む。格安で物資を輸出し、国内の農作物や特産品を相場より高い値段で継続的に輸入することで瞬く間に経済を掌握し、赤字国家を立て直した。
とはいえ他国との取引を制限されている以上、メーテルブルクがノルト三国への依存度を一気に増すのは必然であり、実質的な属国と化している。
治安維持の名目で軍隊も駐在し、軍事的にも掌握されているのが実情だった。
そのため、比較的友好的なオスト・フェルキナよりも、メーテルブルクの方が国内では圧倒的に危険視されている。なぜならノルト三国はメーテルブルクに約3割の戦力を割いているからだ。小国の治安維持のために派遣した部隊としてはあまりにも過剰で、他国への侵略前提としか思えないほどの規模である。
当然、ノルト三国としても魔族との戦争を見越しての配置であったのは言うまでもないだろう。
その情報を把握していたルメニアは取引の一切を絶っており、人間国家との輸出入は基本的にオスト・フェルキナのみとなっている。
魔族国家の中でも最弱とされるのが吸血鬼なのは、個体数が他の魔族国家と比べても極端に少ないからである。先の大戦でもまずルメニアを陥落させ、他の魔族国家に矛先を向けていた。
一方、東国連邦よりも西側に位置する大国群は多くがその巨大な領土ゆえに内乱が頻発し、侵略者には軍事面で連携して戦うために東に兵力を向ける余裕はなく、人間国家同士の争いというのはここ10年は沈静化していた。
その分、対魔族の戦略を練る余裕のできていたノルト三国は、ついに念願を叶える。
勇者の召喚である。
人間側が魔族戦争と呼称する世界大戦の終結後、疲弊した暮らしの中で魔族への敵愾心が醸成されていった。そうした社会情勢もあり、ノルト三国は和睦後早々に魔族打倒の策の模索に乗り出す。
魔法に対抗するには、魔法に匹敵する銀の弾丸を作らなくてはならない。
そこで大戦で捕虜となった魔族を拘束し、強制的に実験の道具にしたのだ。
多くの研究者が携わり、実験を重ねた結果、魔法を重ね合わせて使用することで、大きな力が生み出されることが分かった。
やがてそのエネルギーを莫大なものとし、人間の技術と掛け合わせて行う召喚魔法の理論を打ち立てた研究者が現れ、その理論の実現のため、死力を投じて研究を進めた結果。
ついに勇者の召喚という境地にまで辿り着いたのである。
この実験は国家機密となっており、魔族国家から派遣されたスパイを以てしても、真相の解明には至らなかった。結局、使い物にならないと判断された捕虜が解放されていたため、『魔族を使って何か物騒な実験を行っている』という情報だけ流布し、勇者の存在については魔族の誰もが知り得なかった。
硝煙の匂いと共に現れた勇者は、想定通り凶悪な力を手にした。
大地を盛り上げるほどの土魔法、周囲全てを吹き飛ばしてしまうほどの風魔法、川を氾濫させるほどの水魔法、街を一つ壊滅に追い込めるほどの炎魔法など、あらゆる魔法を使役する能力が備わっている。
はっきり言って規格外で、思い通りに動かすのは不可能だと国は判断せざるを得なかった。
機嫌を損ねれば国が壊滅しても何らおかしくは無い。それほどまでに強大な力を持っていたのだ。自分が開発した兵器が自分の首を絞めることになるのは、何としても避けたかった。
そこで対抗としてもう一人勇者を召喚しようと試みるが、召喚に利用した魔族はその代償で一人残らず息絶えており、代替の魔族を入手する手立てがなかった。そのため、新たな魔族を獲得するため、手始めに勇者によるルメニアへの侵攻を決断した。しかしそれには勇者をどう説得するべきかというのが、大きな問題として立ちはだかる。
苦渋の決断というべきか、ノルト三国の国王達が一堂に会して勇者を説得しようとした。当初は難航が予想されたが、別の世界からやってきたと話す勇者は、これでもかと言うほど謙った態度に気分を良くしたのか、すっかり乗り気な様子であった。
「魔族の脅威から人間を守るために戦う? フッ、悪くないな」
というのが勇者の反応である。
できる限りの好待遇でもてなし、要望は全て叶えるようにした。
本人の希望で『勇者パーティー』と称し、大柄で寡黙な男戦士に気の強い女性騎士、優しい慎ましい少女を直々に選定し、パーティーを結成した。
そして自身の魔法を分け与えたのである。
男戦士には身体強化の魔法を、女性騎士には水魔法、少女には回復魔法を与えて僧侶と呼んだ。
自身の魔法能力を他者に分け与えることすらもできるということで、国の上層部に衝撃が走る。当初は勇者にその意思が有れば、自分にも魔法が使えるのではないかと考えた上層部の人間が勇者に媚び諂い、多額の資金を対価に魔法を分け与えてもらおうと試みた。
しかし勇者は、自分の望んだ場合以外で他人に魔法を与えることはしないと突っぱねる。そしてこれ以上気分を害するような行為は禁物だと、勇者への接触は全面的に禁止されることとなった。
勇者とて全ての魔法が使えるわけではない。召喚に利用した魔族が使える魔法が、威力が数十倍にも増幅されて反映された形であり、存在するとされる魔法の中で、勇者が使えない魔法も多かった。
勇者の名は、グレン・ニノミヤ。またの名を二宮紅蓮といった。
奇しくも紫暢と同じ世界、同じ国の出自である。
◇
「グレン、今日もカッコよかったわよ」
「フフ、そうだろう。まあ、俺にかかればこの程度造作もない」
勇者パーティーの女騎士・エリスは、紅潮した頬を携えて勇者を褒め称える。パーティーに入ることになった当初こそ、その美麗な容姿ゆえに手篭めにされるのではないかと警戒していたエリスだったが、全くそんなことはなかった。一切自分に手を出そうとはしてこないし、行動一つ一つに思いやりがある。パーティーの連携強化と称して各地に赴き、その全てが人助けである。ロクな男ではないと踏んでいたエリスは、なおさら好印象を抱いた。
決して己の欲望を出さず紳士的に振る舞う紅蓮と濃密な時間を過ごすうちに、パーティーが結成されてから半年、エリスはすでに紅蓮の魅力に取り憑かれていた。恋人関係になりたいとすら感じていたが、エリスは魔族討伐を果たすまでは自分の気持ちに封をし、努めて自制している。
最初はニノミヤ殿と他人行儀だった呼び方もいつの間にかグレンと呼び捨てになり、親しい仲はもはや公然の周知ともなりつつある。
「ねえ、シオンもそう思うわよね?」
「ええ、そうですね」
感情を失した起伏のない声に、エリスはムッと眉を寄せる。
「あんた、その態度は無いんじゃないの!?」
「エリス、いいんだ」
激昂して詰め寄るエリスを、紅蓮は苦笑いしながら押さえ込んだ。二人の関係は当初から良好とは言い難く、紅蓮にとって悩みの種となっていた。男戦士のボールズも寡黙で拗れた関係にテコを入れようとする性格でもなかったので、絆という面では課題は山積みとなっている。ただ、紅蓮は圧倒的な力を背景に、簡単にいかない人間関係を楽しむ余裕があったので、如何にしてシオンの心の氷を溶かすか、ゲーム感覚で攻略に挑んでいる様子すら窺えた。
「すみません」
シオンは元々笑顔の多い少女ではあったが、勇者パーティーへの加入後には別人のように変貌した。
なぜならシオンが、紅蓮に対し一切好印象を抱いてはいなかったからである。それも当然と思えるような理由が根底にはある。シオンは妹を国の人質に取られ、紅蓮に従わないのならば身柄がどうなっても知らない、と脅しをかけられていたのだ。
それは紅蓮が直接誘った際に、シオンが断ったからである。シオンは父親を早くに失い、病弱な母に代わって親戚の宿屋で働き、家族を養うための生活費を稼いでいた。そして妹はまだ幼く、自分が居なくなれば養えなくなるためだった。
紅蓮も事情を理解し、すぐに手を引こうとした。
しかし国はそれを激しく問題視した。紅蓮の判断一つで国が窮地に立たされる恐れすらあるのだから、国防上当然の懸念なのだろう。
シオンの拒否が機嫌を損ねる恐れがあると判断し、紅蓮の預かり知らぬところで国が脅した。
結果、シオンは妹の身柄を押さえられ、勇者パーティーに入る以外の選択肢を失う。
紅蓮はシオンが突然パーティーへの加入を表明したことに疑問を抱いていたものの、「母の体調が快復した」というシオンの言葉を信じて、然程気に留めることはなかった。当然ながらシオンは家族の窮状に追い込んだ元凶である紅蓮に恨みを抱く。
それゆえに、紅蓮の行動は全てが偽善にしか見えないというのも、当然の帰結であった。 とはいえ、シオンの印象は多くが的を射ている。
紅蓮の行動原理は、偽善だからだ。
二宮紅蓮はオタクである。アニメや漫画などのサブカルチャーに幼い頃から触れ、特に異世界モノのライトノベルをこよなく愛し、勇者という存在に一際憧れを抱いてきた。
そして何度も自分が勇者として世界を救うことを夢見ては、現実との乖離にため息をついてきた。
妄想の彼方にあったものが、まさか現実になるとは思いもしなかった。それゆえに、自分が勇者として召喚されたと聞いた時は興奮を隠せなかったものである。そして勇者という名前に相応しい魔法の能力を持っていたことは、魔法に対して特に強い憧れを抱いていた紅蓮になによりも興奮をもたらした。
勇者パーティーを組んで魔王を倒しに行く物語が始まるのだ、と気合十分だった。
しかし、想像していた異世界とは大きく異なり、魔族討伐とは人間と敵対する様々な非人間国家の従属化を指しており、そもそも魔王自体が存在しなかった。魔王がいないというのはそれほど気にはならなかったが、自分以外の人間が魔法を使えないというのは流石に落胆を禁じ得ない。
足りないものを補完しあい強大な敵に立ち向かう『勇者パーティー』を形成するための基本要素があまりに欠けていたのだ。
その上紅蓮は大抵の魔法を規格外な威力、クオリティで放つことができ、正直自分以外の存在は不要というのも、厨二心をくすぐる反面、退屈だとも感じてしまった。
しかし、自分を物語の主人公と確信した紅蓮は、自らパーティーメンバーを集め、仲間との絆を育て、いずれくる魔族との対決に備えた。
ある時は生息地から逸脱したドラゴンの討伐、ある時は大規模な火災が起こった街で消化、救護活動を行い、ある時は洪水になった地域で避難誘導や土魔法で堤防を設けて被害の低減に努めたり、この日は山賊の退治を難なくこなした。
紅蓮はこのように、仲間を大切に扱うことを是とし、周りから評価されるための行動を重ねている。それは転移前に周囲から認められず、暗い人生を送ってきたことが要因なのだが、紅蓮は容姿端麗な少女とお近づきになれ、圧倒的な戦闘能力の獲得、人助けに力を割く自分に酔うことで、承認欲求を過剰なまでに満たすことができていた。
自分にとっての理想の世界、そう信じて止まなかった。
そんな中、ついにその時が訪れる。
紅蓮が与えられていた屋敷のあるガリテアの王宮から登城要請が届いたのだ。
「勇者殿、これから属国のメーテルブルクに向かってもらいたい」
「メーテルブルク……。南にある小国ですね。ついに、始まるというわけですか」
「うむ。勇者殿には労苦をかける。しかしこれもガリテア王国、ひいては大陸全土の人間に平穏をもたらすための聖戦である。どうか民のため、戦ってもらいたい」
ガリテア国王は紅蓮に向かって頭を下げる。三国の中で最も穏やかな性格であったため、勇者と直接話すことが多い。逆に他の二国の王はプライドが高く、若造に頭を下げるなど以ての外、という考え方だったため、両者の溝を生み出さないためにも勇者と直接話す機会は避けられていた。
「もちろん、人々のためならば命も惜しくはありません。魔族討伐は責任を持って成し遂げましょう」
「心強いものだ。既にメーテルブルクには10万の兵が待機しているゆえ、すぐに向かってもらいたい」
「承知しました」
紅蓮は人間の敵である魔族の討伐を前にして、冷静な声とは裏腹に高鳴る胸を押さえつけていた。
三国は政治的、文化的、経済的、そして軍事的にも強い連携をとっており、大陸中部の国家連合体である東国連邦の中でもそれは顕著だった。
なぜこの三国が蜜月の関係を築いているかというと、それぞれの国王が祖先を同じくするからである。
ノルト三国の始まりは大陸中部に覇を唱えたバーデル王の宰相・ヴェルナッソが分け与えられた土地を、3人の息子に等分に任せたことに始まる。堅固な繋がりはそれ以来変わらず続いていた。
三国は国土の7割を平地が占めており、肥沃な大地や豊富な資源を背景に、東方連邦でも飛び抜けた人口や経済力を誇っている。
三国が幅を利かせるためにその他の小国は発言力を弱めているのが近年の傾向であり、東方連邦の他の国々はノルト三国の言うことに従うだけ、という風潮が固まりつつあった。
特に南部、オスト・フェルキナの北に位置する小国・メーテルブルクはその影響を顕著に受けている。
クラムデリアの北西部で国境を接し、獣人族の国家であるドーベリアとも同時に国境を接している。それゆえに、戦略的な重要地域としてノルト三国は見做していた。
しかしメーテルブルクは完全な内陸国家で国土も狭く、川すらも流れていないために困窮を極めていた。
ノルト三国はそれにつけ込む。格安で物資を輸出し、国内の農作物や特産品を相場より高い値段で継続的に輸入することで瞬く間に経済を掌握し、赤字国家を立て直した。
とはいえ他国との取引を制限されている以上、メーテルブルクがノルト三国への依存度を一気に増すのは必然であり、実質的な属国と化している。
治安維持の名目で軍隊も駐在し、軍事的にも掌握されているのが実情だった。
そのため、比較的友好的なオスト・フェルキナよりも、メーテルブルクの方が国内では圧倒的に危険視されている。なぜならノルト三国はメーテルブルクに約3割の戦力を割いているからだ。小国の治安維持のために派遣した部隊としてはあまりにも過剰で、他国への侵略前提としか思えないほどの規模である。
当然、ノルト三国としても魔族との戦争を見越しての配置であったのは言うまでもないだろう。
その情報を把握していたルメニアは取引の一切を絶っており、人間国家との輸出入は基本的にオスト・フェルキナのみとなっている。
魔族国家の中でも最弱とされるのが吸血鬼なのは、個体数が他の魔族国家と比べても極端に少ないからである。先の大戦でもまずルメニアを陥落させ、他の魔族国家に矛先を向けていた。
一方、東国連邦よりも西側に位置する大国群は多くがその巨大な領土ゆえに内乱が頻発し、侵略者には軍事面で連携して戦うために東に兵力を向ける余裕はなく、人間国家同士の争いというのはここ10年は沈静化していた。
その分、対魔族の戦略を練る余裕のできていたノルト三国は、ついに念願を叶える。
勇者の召喚である。
人間側が魔族戦争と呼称する世界大戦の終結後、疲弊した暮らしの中で魔族への敵愾心が醸成されていった。そうした社会情勢もあり、ノルト三国は和睦後早々に魔族打倒の策の模索に乗り出す。
魔法に対抗するには、魔法に匹敵する銀の弾丸を作らなくてはならない。
そこで大戦で捕虜となった魔族を拘束し、強制的に実験の道具にしたのだ。
多くの研究者が携わり、実験を重ねた結果、魔法を重ね合わせて使用することで、大きな力が生み出されることが分かった。
やがてそのエネルギーを莫大なものとし、人間の技術と掛け合わせて行う召喚魔法の理論を打ち立てた研究者が現れ、その理論の実現のため、死力を投じて研究を進めた結果。
ついに勇者の召喚という境地にまで辿り着いたのである。
この実験は国家機密となっており、魔族国家から派遣されたスパイを以てしても、真相の解明には至らなかった。結局、使い物にならないと判断された捕虜が解放されていたため、『魔族を使って何か物騒な実験を行っている』という情報だけ流布し、勇者の存在については魔族の誰もが知り得なかった。
硝煙の匂いと共に現れた勇者は、想定通り凶悪な力を手にした。
大地を盛り上げるほどの土魔法、周囲全てを吹き飛ばしてしまうほどの風魔法、川を氾濫させるほどの水魔法、街を一つ壊滅に追い込めるほどの炎魔法など、あらゆる魔法を使役する能力が備わっている。
はっきり言って規格外で、思い通りに動かすのは不可能だと国は判断せざるを得なかった。
機嫌を損ねれば国が壊滅しても何らおかしくは無い。それほどまでに強大な力を持っていたのだ。自分が開発した兵器が自分の首を絞めることになるのは、何としても避けたかった。
そこで対抗としてもう一人勇者を召喚しようと試みるが、召喚に利用した魔族はその代償で一人残らず息絶えており、代替の魔族を入手する手立てがなかった。そのため、新たな魔族を獲得するため、手始めに勇者によるルメニアへの侵攻を決断した。しかしそれには勇者をどう説得するべきかというのが、大きな問題として立ちはだかる。
苦渋の決断というべきか、ノルト三国の国王達が一堂に会して勇者を説得しようとした。当初は難航が予想されたが、別の世界からやってきたと話す勇者は、これでもかと言うほど謙った態度に気分を良くしたのか、すっかり乗り気な様子であった。
「魔族の脅威から人間を守るために戦う? フッ、悪くないな」
というのが勇者の反応である。
できる限りの好待遇でもてなし、要望は全て叶えるようにした。
本人の希望で『勇者パーティー』と称し、大柄で寡黙な男戦士に気の強い女性騎士、優しい慎ましい少女を直々に選定し、パーティーを結成した。
そして自身の魔法を分け与えたのである。
男戦士には身体強化の魔法を、女性騎士には水魔法、少女には回復魔法を与えて僧侶と呼んだ。
自身の魔法能力を他者に分け与えることすらもできるということで、国の上層部に衝撃が走る。当初は勇者にその意思が有れば、自分にも魔法が使えるのではないかと考えた上層部の人間が勇者に媚び諂い、多額の資金を対価に魔法を分け与えてもらおうと試みた。
しかし勇者は、自分の望んだ場合以外で他人に魔法を与えることはしないと突っぱねる。そしてこれ以上気分を害するような行為は禁物だと、勇者への接触は全面的に禁止されることとなった。
勇者とて全ての魔法が使えるわけではない。召喚に利用した魔族が使える魔法が、威力が数十倍にも増幅されて反映された形であり、存在するとされる魔法の中で、勇者が使えない魔法も多かった。
勇者の名は、グレン・ニノミヤ。またの名を二宮紅蓮といった。
奇しくも紫暢と同じ世界、同じ国の出自である。
◇
「グレン、今日もカッコよかったわよ」
「フフ、そうだろう。まあ、俺にかかればこの程度造作もない」
勇者パーティーの女騎士・エリスは、紅潮した頬を携えて勇者を褒め称える。パーティーに入ることになった当初こそ、その美麗な容姿ゆえに手篭めにされるのではないかと警戒していたエリスだったが、全くそんなことはなかった。一切自分に手を出そうとはしてこないし、行動一つ一つに思いやりがある。パーティーの連携強化と称して各地に赴き、その全てが人助けである。ロクな男ではないと踏んでいたエリスは、なおさら好印象を抱いた。
決して己の欲望を出さず紳士的に振る舞う紅蓮と濃密な時間を過ごすうちに、パーティーが結成されてから半年、エリスはすでに紅蓮の魅力に取り憑かれていた。恋人関係になりたいとすら感じていたが、エリスは魔族討伐を果たすまでは自分の気持ちに封をし、努めて自制している。
最初はニノミヤ殿と他人行儀だった呼び方もいつの間にかグレンと呼び捨てになり、親しい仲はもはや公然の周知ともなりつつある。
「ねえ、シオンもそう思うわよね?」
「ええ、そうですね」
感情を失した起伏のない声に、エリスはムッと眉を寄せる。
「あんた、その態度は無いんじゃないの!?」
「エリス、いいんだ」
激昂して詰め寄るエリスを、紅蓮は苦笑いしながら押さえ込んだ。二人の関係は当初から良好とは言い難く、紅蓮にとって悩みの種となっていた。男戦士のボールズも寡黙で拗れた関係にテコを入れようとする性格でもなかったので、絆という面では課題は山積みとなっている。ただ、紅蓮は圧倒的な力を背景に、簡単にいかない人間関係を楽しむ余裕があったので、如何にしてシオンの心の氷を溶かすか、ゲーム感覚で攻略に挑んでいる様子すら窺えた。
「すみません」
シオンは元々笑顔の多い少女ではあったが、勇者パーティーへの加入後には別人のように変貌した。
なぜならシオンが、紅蓮に対し一切好印象を抱いてはいなかったからである。それも当然と思えるような理由が根底にはある。シオンは妹を国の人質に取られ、紅蓮に従わないのならば身柄がどうなっても知らない、と脅しをかけられていたのだ。
それは紅蓮が直接誘った際に、シオンが断ったからである。シオンは父親を早くに失い、病弱な母に代わって親戚の宿屋で働き、家族を養うための生活費を稼いでいた。そして妹はまだ幼く、自分が居なくなれば養えなくなるためだった。
紅蓮も事情を理解し、すぐに手を引こうとした。
しかし国はそれを激しく問題視した。紅蓮の判断一つで国が窮地に立たされる恐れすらあるのだから、国防上当然の懸念なのだろう。
シオンの拒否が機嫌を損ねる恐れがあると判断し、紅蓮の預かり知らぬところで国が脅した。
結果、シオンは妹の身柄を押さえられ、勇者パーティーに入る以外の選択肢を失う。
紅蓮はシオンが突然パーティーへの加入を表明したことに疑問を抱いていたものの、「母の体調が快復した」というシオンの言葉を信じて、然程気に留めることはなかった。当然ながらシオンは家族の窮状に追い込んだ元凶である紅蓮に恨みを抱く。
それゆえに、紅蓮の行動は全てが偽善にしか見えないというのも、当然の帰結であった。 とはいえ、シオンの印象は多くが的を射ている。
紅蓮の行動原理は、偽善だからだ。
二宮紅蓮はオタクである。アニメや漫画などのサブカルチャーに幼い頃から触れ、特に異世界モノのライトノベルをこよなく愛し、勇者という存在に一際憧れを抱いてきた。
そして何度も自分が勇者として世界を救うことを夢見ては、現実との乖離にため息をついてきた。
妄想の彼方にあったものが、まさか現実になるとは思いもしなかった。それゆえに、自分が勇者として召喚されたと聞いた時は興奮を隠せなかったものである。そして勇者という名前に相応しい魔法の能力を持っていたことは、魔法に対して特に強い憧れを抱いていた紅蓮になによりも興奮をもたらした。
勇者パーティーを組んで魔王を倒しに行く物語が始まるのだ、と気合十分だった。
しかし、想像していた異世界とは大きく異なり、魔族討伐とは人間と敵対する様々な非人間国家の従属化を指しており、そもそも魔王自体が存在しなかった。魔王がいないというのはそれほど気にはならなかったが、自分以外の人間が魔法を使えないというのは流石に落胆を禁じ得ない。
足りないものを補完しあい強大な敵に立ち向かう『勇者パーティー』を形成するための基本要素があまりに欠けていたのだ。
その上紅蓮は大抵の魔法を規格外な威力、クオリティで放つことができ、正直自分以外の存在は不要というのも、厨二心をくすぐる反面、退屈だとも感じてしまった。
しかし、自分を物語の主人公と確信した紅蓮は、自らパーティーメンバーを集め、仲間との絆を育て、いずれくる魔族との対決に備えた。
ある時は生息地から逸脱したドラゴンの討伐、ある時は大規模な火災が起こった街で消化、救護活動を行い、ある時は洪水になった地域で避難誘導や土魔法で堤防を設けて被害の低減に努めたり、この日は山賊の退治を難なくこなした。
紅蓮はこのように、仲間を大切に扱うことを是とし、周りから評価されるための行動を重ねている。それは転移前に周囲から認められず、暗い人生を送ってきたことが要因なのだが、紅蓮は容姿端麗な少女とお近づきになれ、圧倒的な戦闘能力の獲得、人助けに力を割く自分に酔うことで、承認欲求を過剰なまでに満たすことができていた。
自分にとっての理想の世界、そう信じて止まなかった。
そんな中、ついにその時が訪れる。
紅蓮が与えられていた屋敷のあるガリテアの王宮から登城要請が届いたのだ。
「勇者殿、これから属国のメーテルブルクに向かってもらいたい」
「メーテルブルク……。南にある小国ですね。ついに、始まるというわけですか」
「うむ。勇者殿には労苦をかける。しかしこれもガリテア王国、ひいては大陸全土の人間に平穏をもたらすための聖戦である。どうか民のため、戦ってもらいたい」
ガリテア国王は紅蓮に向かって頭を下げる。三国の中で最も穏やかな性格であったため、勇者と直接話すことが多い。逆に他の二国の王はプライドが高く、若造に頭を下げるなど以ての外、という考え方だったため、両者の溝を生み出さないためにも勇者と直接話す機会は避けられていた。
「もちろん、人々のためならば命も惜しくはありません。魔族討伐は責任を持って成し遂げましょう」
「心強いものだ。既にメーテルブルクには10万の兵が待機しているゆえ、すぐに向かってもらいたい」
「承知しました」
紅蓮は人間の敵である魔族の討伐を前にして、冷静な声とは裏腹に高鳴る胸を押さえつけていた。