壮絶な戦いが幕を閉じ、武闘大会は騒然とした余韻を残したまま進行した。武闘大会は二日に分けて消化されるが、翌日になっても紫暢は目を覚さなかった。
 通常、前試合に出た選手が出場不能になった場合は、代替選手が選出され代わりに出場することとなっている。しかし結局希望者は名乗り出ず、自動的に棄権という結果となった。
 勝利したとはいえ、紫暢は相当な痛手を負って意識不明となっている。むしろあの光景を見て出たいと思う人間が出るほうがおかしいほどだ。
 未だにどんな手札を用いて敗北確定の状況から勝利に漕ぎ着けたのか、議論の的にはなっていたものの、当人がいないためにすぐに下火になっていった。
 不正を働いたのだと叫ぶ者もいたが、何をしても構わないという明記されていること、卑劣な手段を用いた攻撃は認められなかったことから、逆に紫暢を讃える声もちらほらと上がった。
「よかったですわね。すぐに学校へ復帰しなくて」
「本当だよ。ほとぼりが冷めるまではゆっくりと休むことにするよ」
 そう言って、紫暢は布団の中で芋虫のように丸まる。実のところ、ミーシャの呼んだ治癒師によってすぐに回復し、二日後には話すことのできる状態にはなっていた。ただすぐに復帰すると色々と面倒なので、まだ意識が戻っていないことにしているのだ。
 その間、紫暢はミーシャから相当こっぴどく説教を受けることとなったが、無理を突き通したのは自分だからと甘んじて受け入れた。
「で、そろそろ聞かせていただこうかしら」
「何をでしょう?」
「どぼけないでくださる? どうやって勝ったのか、ですわ」
「いやぁ、実は俺も全然分からないんだよ」
 紫暢は面目ない、と後頭部を掻く。
「ありえないですわ。誰がどう見てもあれは異常でしたもの。貴方が何かをしたのはわかっておりますのよ」
「実際のところ、本当になんで勝てたのか俺自身よく分かっていないんだよ」
 得体の知れない力のおかげ、と表現するしかないのが紫暢の本心であった。
「何か勝機を見出して挑んだのではなくって?」
「うーん、説明がかなり難しいんだけどさ。 前に一度あったんだ。激情っていうのかな。それを相手に向けるだけで、その相手の顔が恐れ慄いたように青白く染まって、極端に動きが鈍くなるように見えるんだ」
「確かにあの時のデグニスの反応は、異常と表現するほかありませんでしたわ」
 圧倒的な優勢が一瞬で切り替わる瞬間は、誰の目から見ても異様だった。そして殆ど抵抗できずに一方的な攻勢を受け、すぐに勝負が決した。
「それがもう一度発動すればもしや、っていう希望的観測でしかなかったんだ」
「でもそんなことは一度も言って……」
「だから魔法を使えるかも、って言ったんだよ。信じてもらえなかったけどな」
「ああ……。あれは本気でしたのね……。てっきり冗談かと思いましたわ。人間が魔法なんて使えるはずありませんもの」 
「まあ、俺も魔法と表現していいのか分からないんだけどな」
「いえ、ノルト三国では魔族から身体の一部を移植してして魔法を使える人間を作ろうとしているとも聞きますわ。もしかして貴方はその成功体……」
「こっっわ! えっ、そんな物騒なことをしてるの? 人間って」
 紫暢は想像して身の毛がよだつ思いに駆られた。しかしそれはあくまで噂の域を出ない話であり、魔族側の人間への悪感情を煽るプロパガンダだとも指摘されている。
「この国にスパイとしてやってきて、最前線のクラムデリアの内情を探ろうとしている、というのは十分考えられますわね。そして作られた魔法が吸血鬼にどの程度通用するか測っている……?」
「いやいや、だとしたらこんなに無様な姿を晒す必要ないでしょう!」
「苦戦しているように見せなければ、正体が露見すると考えたのではなくて?」
 ミーシャはいじらしく笑う。そもそも魔法学校への編入を勧めたのは紛れもなくミーシャの意思によるものだから、実際は全く疑ってなどいなかった。
「だったらそもそも武闘大会なんかに出ないで大人しくしてるわ!」
「ぷっ、必死ですわね。冗談ですわ」
 必死に弁明する紫暢がおかしくなって、ミーシャはつい吹き出してしまう。自分が疑われてるとすっかり思い込んで、視線を彷徨わせて焦る姿が可笑しく映った。
「はあ、冗談キツいな。本気で疑われてるかと思った」
「私、こう見えて貴方のことは信用しておりますのよ?」
 紛れもなく本心である。紫暢もその真剣な瞳を目にして、息が詰まった。
「そういえば、シノブは私が混血だと知っても何も思わないのですわね」
「思わないなぁ。というかその程度のことがなんで態度を変える理由になるんだ?」
 紫暢は本気で分からないといった様子で首を傾げる。
「ほんっとに、貴方は……。無知ですわね」
 ミーシャは呆れて、大きくため息を吐く。正直、歴史や事情を知っても、さっぱり理解ができない。
「なんでそれだけで差別するんだろうな、とは思うけど」
「それは吸血鬼の血を引きながら、魔法が使えないからですわ」
「随分と心が狭い。まあ、人間も同じようなものか」
 混血児は表向きは吸血鬼としての扱いを受けてはいるものの、戦争において戦力として計算することは難しく、逆に足手まといになる危険すら孕んでいる。
 それゆえに本人が志望しない限り兵役は免除され、『安全なところから見ているだけで良いのだから狡いものだ』と穿った見方が浸透した結果、国のために戦う義務のない混血は忌み子だと見られるようになったのだ。
「貴方が私の味方でいてくれるのは有難いですわ。でもこの国で生きていくためには、受け入れなければいけない。ですから、これからはもし私を中傷するような言葉を耳にしても、突っかかってはいけませんわ。場合によっては同意しても構いません。とにかく、穏便に事を収めるよう努力すること。良いですわね?」
(良くなんかないだろ)
 紫暢にとって、ミーシャを馬鹿にされることは何よりも理不尽で、許せないことだった。今は冷静でいられるものの、いざその時になったら激昂に震える自分が容易に想像できた。
 でもその怒りが、ミーシャひいてはセルミナの不利益に繋がることを、紫暢は理解している。自分を律して、バレない嫌がらせくらいはしても許されるだろう、などと考えながら、小さく頷いた。



 武闘大会で辛くも勝利を果たしてから1週間後。ほとぼりも冷めただろうと見越して再び魔法学校へ戻ったのだが……。まったくもってそのようなことはなかった。
「おい、あいつだよな?」
「そうそう、吸血鬼を倒したっていう人間だろ?」
「すげえな。どんな手を使ったんだ?」
「俺に聞くなよ」
「ま、ドラーゲル侯爵が負けたのを見て俺はスッキリしたけどな」
「おい、そういうのは人のいないところで言え」
 などと俺を噂する声が頻繁に耳に届く。嫌われ者であったからこそ、不満が一気に噴出したのだ。
 あれからデグニスは一度も登校していないらしい。噂では王都の魔法学校に編入するために既にクラムデリアを発っているなどと言われているが、信憑性はありそうだ。人間に負けるなどという吸血鬼にとっての恥を晒したのだから、いくら上級貴族とはいえ、学校に在籍し続けるのは精神的にしんどいだろう。
 ただ、デグニスに煽られていなければ俺が武闘大会に出場することはなかったし、自業自得と言うほかない。だが相当な恨みを買っただろうし、陰で消されたりしないだろうか。
 吸血鬼と人間、両者の溝をより深めていた張本人の不在は関係の緩和をもたらし、常にピリついたものが帯びていた空気はぎこちないながらも友好的なものへとシフトし始めていた。
 ただ、俺にとっては激しく居心地の悪い状況である。すれ違う人全員が振り向いて視線を突き刺してくるし、それが敵対的ではないにしても快いとは言い難かった。
 そのため吸血鬼が校舎を構えるメインエリアを早々に離脱した。向かった人間の校舎でも視線を一身に集めるのは変わらない。しかしながら、これまでは余所者と遠ざけていたものが、畏怖や羨望のものに移り変わっているように感じる。
 おそらく、人間でも吸血鬼に敵わないという道理を俺が否定して見せたからだろう。俺への干渉が殆どなかった寡黙なクラスメイトも挙って好意的な視線を向けてくる。好意的、というのはあくまで主観に過ぎないが、刺すような視線がなくなったのはよかったと思う。
 挨拶をしてくる者はちらほらいたが、積極的に会話に繋げようという姿勢は微塵も見られなかった。ただ腫物扱い、というわけではないので、居心地は然程悪くない。
「お! シノブ! ついに来たか!」
 始業間際になって、ルージュとブラウは駆け足で教室に入ってきた。ルージュの方は息も絶え絶えで、以前『体力バカ』とルージュからも嘲弄を受けていたブラウは息を切らした様子すらない。
「ああ。ようやく復調したよ。まだちょっと身体の節々は痛むけどな」
「無理はすんなよ。でも驚いたぜ。あのデグニスを倒しちまうんだからよ」
「たまたまだ」
「たまたま吸血鬼に勝てるはずないだろ。ま、謙遜は美徳だと思うけどよ」
 謙遜でもなんでもなく、あの勝利は偶然の産物に違いなく、挑戦自体がギャンブル同然のものだった。未だにあれがどういった魔法(?)なのかはっきりしていない。
 積もる雑談に興じていると、矢庭に教室の扉が開く。
「はーい。席についてね〜」
 マーガレット先生はこちらを一瞥し、小さく二度頷き微笑むと、ゆっくりと教卓に上がる。
「今日は新しい編入生を紹介するよ〜」
「編入生?」
 教室がにわかにざわつく。俺が編入してきたばかりなのに、しかも新たな学期が始まって既に2ヶ月近くが経過したこのタイミングで? 
「編入生と言ってもクラス移動しただけなんだけどね〜。はい、入ってきて〜」
 マーガレット先生の間延びした声を合図に、再び扉が開く。すると、見覚えのある姿が目に入った。
「えっ、ミーシャちゃん!?」
 思わず大きな声が出てしまうのも仕方ないというものだろう。幽霊でも幻覚でもなく、それは紛れもなくミーシャちゃんだった。俺の驚嘆を聞いて得意げな表情を浮かべたミーシャちゃんは、柔和な笑みと優雅で綻びのない所作でマーガレット先生の横に立つ。
「ミーシャ・ルメニアと申しますわ」
「えっ!? ルメニアって、もしかして王女殿下? どうして殿下がこんなところに!? ちょっ、えっ?」
 ルージュがその名前にいち早く反応し、戸惑いを隠しきれない様子である。気持ちは分かる。クラスの面々も一様に目を見開いていた。
「ええ、ルメニア王国の第3王女ですわ」

 にこやかに微笑みかけると、ルージュはたまらず視線を逸らした。
「王女だからと肩肘張らず、ただの生徒として接していただけると助かりますわ。それに私は混血ですから、人間の血も引いておりますの。奇妙、不気味に思われる方もいるでしょう。それでもどうか、私がこの場に居るのを認めてくだされば、と思いますわ」
 まさかクラスメイトの前でハーフであることを公言するとは思わなかった。自惚れかもしれないが、俺がデグニスに勝利したことで、一歩踏み出す勇気を与えられたのかもしれない。
 人間の国でどのような扱いを受けているかは定かではないものの、この国の人間にハーフだからと差別する思想はない。だからこそ人間のクラスならば学校に通えると踏んだのだろう。それでもこうしてカミングアウトするのには相当な勇気を振り絞ったはずだ。
 ミーシャちゃんが頭を下げると、控えめに拍手が起こる。それは王女と同じ学舎で学ぶことに対する戸惑いや緊張を多分に含んでおり、少なくとも追い出そうと考える者はいないようだった。



「まさかミーシャちゃんがうちのクラスに来るとは思わなかったよ」
「私は元々この学校に所属していましたのよ。でも吸血鬼にとって混血は忌むべきものですから。しっかり課題を出しておけば卒業できるとのことでしたし、何も問題はなかったのですが」
 吸血鬼のクラスに通うというのは、いくら王女という立場があっても難しいだろう。迫害はされずとも、腫れ物扱いされるのは目に見えている。
「ですが?」
「私も学校に通いたくなったのですわ」
「あ、やっぱもしかして寂しかった?」
「違いますわ」
 ミーシャちゃんは拳で俺の後頭部に容赦なく一撃を叩き込む。ただ照れているのか、聴し色に染まった頬は微かな羞恥心を表に出していた。心地よい温もりが胸臆を覆う。
「シノブは放っておくと無茶をしますから。側で見ていないと不安になりますの」
「保護者か」
「似たようなものですわ。誰のおかげでこの学校に通えてると思っていますの?」
「はい、すみません」
 ぐうの音も出ないほどの御言葉である。
「でも同じクラスで学べるとは思ってなかったな」
「学ぶことはあまりありませんけど」
「そういう野暮なことは言わない」
 ミーシャちゃんは下手したらこの学校の教師を凌ぐほどの知識を持っているだろう。本来ならば通う必要などないのだ。
「なあ、シノブと殿下の関係ってなんなんだ?」
 しばらく俺達の掛け合いを眺めていたブラウが眉を顰めながら尋ねてくる。いつも通りの感じで接してしまったが、傍目から見るとさぞ奇妙に映ったことだろう。
「言われてみると考えたことはなかったな」
「強いて言うなら主人と下僕、かしら? 私が調教して差し上げていますの」
「えっ、そういう関係……?」
 ルージュが心底蔑むような視線を送ってくる。その目はやめてくれ。
「違う、違うって。ミーシャちゃんもなんてこと言うんだ」
「ふふっ、冗談ですわ」
「冗談きついって」
 俺は胸を撫で下ろす。あらぬ悪評が広まりかねないと思うと、気が気ではなかった。
「にしても随分と親しげだよな」
「まあ色々あってな。偶然セルミナに拾われたのがきっかけなんだよ」
「セルミナ……ってクラムデリア辺境伯か!?」
「そうそう」
「偶然にしちゃ出来過ぎだろ……」
「ほんと、普通の人間じゃ顔を見ることすら許されないわよ」
 俺もセルミナとは数度しか話したことはないし、お目にかかることすら難しいのは分かる。
「その流れでミーシャちゃんと同じ屋敷に住むことになったんだ」
「どんな流れだよ!」
「俺に聞かれてもなぁ」
「ま、深くは聞かないけどよ。羨ましいな」
「羨ましい?」
 ブラウは俺を教室の隅へと連れて耳打ちする。
「ミーシャ王女殿下はとんでもなく可愛いだろ? その殿下と一つ屋根の下なんて恵まれすぎだろ」
「確かに幸運だと思うけど」
「はぁ、なんか冷めてるな。クラムデリア辺境伯だってめちゃくちゃ美人だって聞くし。あれか? 美人に囲まれまくって慣れたとかそう言いたいのか!?」
 ウキー!とハンカチを噛む仕草で嫉妬を露わにする。俺はあはは、と誤魔化すしかなかった。
「シノブ、少しいいか?」
 そうしてブラウの小言を受け流しながら窓の外の蒼穹を眺めていると、背後から様子を窺うような声がかかる。聞き慣れない声に、自然と眉が寄るのを感じた。
「え、バーレッド、だっけ」
「ああ、バーレッドだ。突然すまない」
 堅い口調で双眸を射抜くように見つめてきたのは、クラスのまとめ役と聞かされていたバーレッドという男だった。
 当初からあまり好意的な視線は送られていなかったので、思わず身構えた。
「僕達は最初、シノブが冷やかしに来ていたと思っていた。特別に編入を認められた以上、何か特権を持っていると思っていたから」
「ああ、うん。否定はしないよ。事実、セルミナの力添えが無ければ俺はここにいなかったし」
「初日の一件だって、権力が後ろ盾になっているからこそ、大きな顔ができるのだと思っていたよ」
 バーレッドの背後を見ると、生徒一人一人がこちらを見て頷いている。
「はは、正直だな」
「言葉に含みを持たすような言い回しは苦手なんだ。許してくれ」
「気持ちは分かる。俺がそちら側でも同じような反応だったさ」
 客観的に見ると、なんて奇矯だろうかと思う。編入初日にいきなり上級貴族の吸血鬼に喧嘩を売ったのだからな。武闘大会に出たのもとんでもない身の程知らずに映っただろう。
「でもみんなシノブの戦いを見て心打たれたんだ。もちろん、吸血鬼に歯向かおうとか、そんなことではないのさ。僕は自分の弱さを言い訳にしていた。でも吸血鬼に認められて対等な立場から、胸を張ってこの国を守るために戦いたいと思った」
 吸血鬼に隷属する存在であると脳死で受け入れていた部分は確かにあったのだろう。彼らはその殻を破り、見事に覚醒してみせたのだ。
「だから礼を言いたかった。それだけだ。時間を取らせてすまなかった」
 言いたいことを言えてスッキリしたという表情である。憑き物がとれたというか、これまでの殺伐として一人一人がピリピリとした空気を纏っていたのが霧散して、微かな連帯が生まれた気がする。バーレッドは薄く微笑んで、自分の席へ戻っていった。