ようやく仕事を終えて会社を出たのが21時。

晩御飯を作るために豚肉の解凍を仕掛けてきたが、この時間から自炊をする気にはさらさらなれず、流れるままに近くの居酒屋に入った。

店主は比較的若めの男性で、ひとりで店を切り盛りしているようだった。ああ、あの人は勝ち組に分類される人だ。そう思った。


とりあえずで頼んだ生ビールと、それから浴びるように飲み干したハイボール、ワイン、焼酎。舌の感覚が狂っていく気がしたが、どうでも良かった。



「おねーさん大丈夫? もうやめたほうがいいんじゃない?」
「だいじょうぶです、すみません、おきになさらず。すみません、カルーアミルクで」
「うわーエグい飲み方。それ美味しくなくないです?」
「なんでもいいんです、のめればべつに」


酒が特別好きなわけではないが、思考を合法でバグらせることができるという点で、定期的に摂取する癖があった。


新卒で入った会社に勤めて早2年が経つが、この2年で得られたことと言えば悲しいことに自分は仕事ができないタイプの人間であるということの気づきだけ。


私にとっても会社にとっても何のメリットも生まれない時間に2年を費やしている。

ばからしい。そう思うのに、辞める勇気は持ち合わせていなかった。申し訳なさそうな表情作りばかり上手くなる。元々覇気のある顔ではないので、それが唯一の救いだった。見た目からしても、私はあまり仕事ができる人には見えないようだ。

入社したての頃は、ミスをすると上司が怒りながらもきちんとフィードバックしてくれていた。しかし2年も経つと、ミスをすると呆れてため息を吐かれ「これもういいから、そっちやっておいて」とだけ言われるようになった。


しかしながら次にまかされた仕事もスムーズには終わらせることができず残業。今日も例外なくそうだった。世の中は能力の高い人と効率が良い人で回っている。

今日だって、「君、なんでこんなこともできないの?」と上司に嫌みったらしく言われ、「あの人仕事まじで遅すぎて害だわー」と同僚に陰口を叩かれているのを聞いた。



働かないと生活できない。社会人として認められない。それが世の中の普通で、あたりまえ。


大学4年の時、何社か受けて内定を貰えたのが唯一今の会社だった。だから入社した。それだけの理由で、私は働いている。


何者にもなれず、ただ、どうして自分はこんなに不必要な人間なのだろうと考えるだけで、答えは出せないままだ。

容赦なく生活は続く。
そして私は、訳もわからず生きている。


いつまで続くんだろう。この空っぽな自分は、いつになったら消えてくれるんだろう。舌も思考も人生も、全部バグだ。今更修正なんかできなくて、どうしていいかわからない。



「人生疲労で死にそうですか?」
「は?」
「おねーさん、オーラがもう負、負、負!って感じっすね。でもこういう時、酒に頼ったらもっとみじめになりません?」


突然話しかけられたと思ったら、目の前に水が置かれ、私は固まった。

頼んだのはカルーアミルクで、水じゃない。「いりません」というと、「いりますよ」と言われた。情けない自分を見下されているような気持ちになり、腹が立った。



『人生疲労で死にそうですか?』

本当だよ、こんな中身のない人生、生きているだけで疲れて死にそうになる。


『おねーさん、負、負、負!って感じっすね』

他人に言われて改めて気付かされるのは何度目か? つまらない人生を生きている事実は、自覚した途端とても虚しくて、それが余計に気持ちを沈ませる。




「……あなたにはわからないでしょうけど、私みたいな生き方しかできないやつもいるんです」
「私みたいな生き方っていうのは?」
「こんな、ゴミみたいな、今更どうにもできない生き方、」


お酒に頼って人生が良くなるわけではないことも、意味がないことも、この張りぼてみたいな幸せが帰る頃には消えていることもわかっている。



酒を楽しむ余裕はなく、店主のように独立する度胸も当然ない。私は、負のオーラを抱えて、成功している人を羨んで、内心舌打ちしながら生きるくらいしかできない。


情けなくて、また死にたくなる。
誰のせいでもないのに、私の人生の全てを誰かのせいにしたくなってしまう。



「そうっすね、人の生き方にいちいち興味持ってたらバグっちゃいますし。でもお客さんも、知らないでしょ」
「なにが……」
「こういう時は、酒より米のほうが意外と治癒力があるっすよ。経験上ね」



口をつけないままだった水の隣に、茶わんが置かれた。「ちょうど炊き立てっすよ」ほくほくの白米を前に、どうしようもなく泣きそうになる。




「生活は続くんで。あなたもどうか、ご自愛くださいね」



居酒屋に来て、頼んでもいない白米がでる。
そんな意味のわからない夜を越えた翌朝は、いつもよりほんの少しだけ、孤独が愛しかった。