「おーピカピカ」


 私、立原芽生(たちはらめい)は浮き足立っていた。机の上に置いて、手のひらにすっぽりと収まる電子端末をまじまじと眺める。溢れ出てくる興奮を抑えきれなくて、思わず足をぱたぱたと動かしてしまう。生まれて初めて手に入れたスマートフォン。高校に入学したら、何かと連絡が必要になると親を説得して、ようやく買ってもらった物だ。

 中学の時から、スマホを持っている友達のものを借りて操作したり、ということはあったけれど、いざ自分のものになってみると、たとえようのない高揚感に包まれる。なんだか、この小さな画面の先に、未知の世界が広がっているのかもしれないと思うと、わくわくしてきて。


「あっそういえば」

 
スマホを買ってもらったら、すぐに友達と繋がれるように、メールアプリのIDを書いてもらっていたのを、すっかり忘れていた。学校に持っていっている鞄からファイルを取り出して、メモを机の上に置く。

 さあ、これが記念すべき初登録だ。スマホを買った電気屋さんで一通りの初期設定をしてもらって、基本的なアプリも入れてきたから、すぐに使うことができる。妙に気合が入る。

 高校に入学してからできた数名の友達と、小学校や中学校の頃から仲のいい友達の連絡先を登録する。自分の名前と、連絡先を追加したことを相手に報告をして一通り作業は終えた。

 今はまだ、すっからかんな状態の登録欄も、これからできるであろう友達でどんどん埋まっていくことを考えると、胸が躍る。机に顔をくっつけて、連絡先を眺める。すると、登録したおぼえのない名前が視界に入ってきて、変に心臓が波打った。


「きじまかずや……?」


 読み方がこれであっているのかわからなかったけれど、確かに漢字で「木島和哉」と書かれている。さっき登録した連絡先の持ち主の中には男子も含まれていたが、そんな名前の人は見たことがない。なんだか怖くなって、登録した連絡先の数を数えた。


「一つ多い」


 メモした連絡先から一つ増えている。怖くなって何度も数え直すも、絶対に一つ多い。背筋が凍る思いがした。けれど連絡先を消そうにもやり方がわからない。焦って立ち上がり右往左往していると、手の中にあるスマホが振動しだす。


 さっき登録した友達から、返信が来たのかと思い画面をみると、連絡してきたのはなんとあの、「木島和哉」からだ。タイミングが悪すぎる。

 内容を見るのが少し怖い気もしたけれど、このまま放置しておくのも気が休まらないので、そっと画面を開いた。そこにはシンプルに


ーー君、誰


 それだけだった。すでに既読のマークがついてしまっているので、手が震えそうになりながらも、返信を打つ。


ーーすみません、私が間違えて連絡先を追加してしまったようです。
申し訳ないのですが、そちらで削除していただけると助かります。


 ピロリンと送信完了の音が鳴る。そして思わず、はあ、と息を吐きだす。文字を打っている間、無意識に息を止めていたようで、胸の辺りが少し苦しくなった。

 でも、これで謎の連絡先の件は終了だ。結局、どうして知らない人の連絡先を登録してしまっていたのかはわからなかったけれど、とりあえずは解決ということで大丈夫だろう。安心して、次の日にはそんなことがあったことすら忘れてしまったのだった。


「めーい、おはよう!」

「おはよう、咲」


 学校に登校してから、すぐ黒辺咲(くろべさき)に声をかけられた。鞄はまだ机の上にあって、教科書も取り出し終わっていない中途半端な状態。


「昨日は連絡ありがと。やっとスマホ買ってもらえてよかったね」

「本当だよー、これでみんなから貸してもらわずにすむ」


 咲は黒髪ロングがトレードマークで、本人も髪の手入れには一番力を入れているとのこと。

 私と彼女は中学の頃から陸上部に所属していて、なにかと遠征も多く、スマホは帆飛んだ必須状態だった。親の教育方針は、スマホは自分で管理をしっかりできるようになってから与えるだったから、中学生の時は買ってもらえなかった。

 そのため会場や合宿所に公衆電話がある時は、探して帰りの連絡をしていたものだったけど、現在公衆電話が設置されていない施設も増えていてどうしても友達に頼らざるをえない。頼んでスマホを借りる時の、思わず下を向いてしまいそうになる気恥ずかしさとはもうさよならできると思うと、すっきりする。


「確かに、いっつも借りてたイメージある」

「でしょ、結構恥ずかしいんだよあれ」

「そんな風には見えなかったけど?」

「隠してたの!」


 そしてメールアプリのプロフィールの設定の仕方とかの細かい設定の仕方や、ツールの使い方を教えてもらった。また、私はまだスマホにつけるカバーを持っていなかったから、咲におすすめの雑貨屋さんやネットのサイトも紹介してもらう。値段はこっちが安いけど、物持ちがいいのはこっちとか、こんな会話は今までしてこなかったので、自然と会話が弾む。

そのうちにあっという間に時間が過ぎて、朝のホームルームが始まった。

 昼休みは咲と一緒に昼食を取ることが多い。委員会や何か用事がない限りは一緒なのだけど、あいにく今日はいないのだ。何やら先生に呼び出されているらしく、授業が終わるとすごい勢いでお弁当を食べ始めていた。

 高校の昼休みは思っていた以上に短くて、食事を取る時間を確保するのが精一杯。次の授業が移動教室だったりしたら、もうきつい。外で遊ぶなんてもっての他だ。高校生になったら、昼休みは友達とのんびりご飯を食べて、校庭で体を動かしてみたりもしたいなんて思っていたけど、その願いは儚く散ってしまった。

 そして今は、一人寂しくお弁当を食べている。クラスに友達がいないわけではないけれど、一緒にいるメンバーが固定されつつある今、声をかける勇気はない。

 思いの外早く食べ終わってしまったので、制服の右ポケットからスマホを取り出し、画面をつける。すると、一件着信があります、と表示されていた。それをタップして内容を見る。


――連絡先消せないんだけど、どうなってるの


 その文面にどきりとする。はて、そんなことがあっただろうか。ユーザー名の所には「木島和哉」とある。思わず目を見開いてしまった。

 確かに昨日、この人には連絡先を消してくださいと頼んで、了承を得たはずだった。けれど、連絡先を消すことはできず、現在も繋がったままらしい。本当にどういうことだろう。

 混乱して、誰かに相談しようにも食事中のため、さすがにためらわれる。ああ、こんな時にかぎって咲がいないなんて、どんな災難だ。

 すると、何か連絡が来たらしくスマホが振動する。また、木島和哉からだった。送られてきたのは一枚の写真。白に少し黒い毛の混じった太めの猫が写っている。人目を気にせずベンチの上で大きなあくびをしていた。


――この猫超かわいくね


 いきなりの、猫。なんだか距離の詰めかたが独特だ。とりあえず、猫が可愛いことには反論の余地がないため


――かわいいです


 と送信した。すると、すぐに返事が返ってきて、


――ごめん、送るとこ間違えたみたい


 なるほど、そういうことだったのか。文面を見て妙に納得する。


――気にしてなくて大丈夫です


 送られてきていたのは、最低限の文章ばかりだったため、意外な一面を見れたような気がして少し嬉しくなる。さっきの寿命が縮まりそうな緊張はすっかりなくなっていて、かわりににあたたかい陽だまりにいるような気持ちになっていた。