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 翌朝は風もなく穏やかな晴天だった。
 足取りも軽くアパートを出たのはずいぶんと久しぶりのことだった。
 駅でお財布から交通カードを取り出そうとしたら、なぜか葉っぱが入っていた。
 なんでこんな物を大事にしまっておいたんだろう。
 昨日の夜、私、酔っ払ってたんだっけ?
 なんかおいしいものを食べたような気がするんだけど、記憶が曖昧だ。
 まあ、いいや。
 各駅停車に揺られて出社して間もなく、取引先の課長さんの来訪が伝えられた。
 お茶をいれて応接室に持っていったら、応対に出たうちの課長に向かってトラブルの顛末について謝罪を述べているところだった。
「いや、それがですね」と、頭をかきながら言葉を濁す。「うちの部長なんですよ。何をどう思ったのか、急に口を出したものだから、若手がみんな混乱しちゃいましてね。うちのミスです。このたびは本当に申し訳ございませんでした」
 かなり薄くなった頭頂部が見えるくらいかっちりと腰を折って頭を下げられてしまっては、こちらとしても恐縮するしかない。
「いやいや、そんな」と、うちの課長が大げさに手を振る。「発注手前で気づけたんですから実害はありませんので、そんなふうにおっしゃらずに、どうか、その、お気になさらずに。これからも是非これまで通りよろしくお願いいたします」
 あんたが言うな。
 文句しか言ってなかったくせに。
 後ろからお盆で頭はたいてやろうかと思ったけど、サルの茶番は檻の向こうで勝手にやってもらうことにして、二人の間にお茶を置いて私は応接室から退出した。
 それからしばらくして応接室の扉が開いたので、私はお茶を下げに向かった。
「あ、どうも、お世話様です」と、ちょうど出てきた取引先の課長さんがわざわざお礼を言ってくださった。「おいしいお茶、ごちそうさまでした」
 そう言っていただけるのは、素直に嬉しい。
 静岡産のちょっといい茶葉でちゃんといれたからね。
 ムカついてたけど、変なお茶出さなくて良かった。
「いいえ、どういたしまして。わざわざお越しいただきありがとうございました」
 自分にできることをちゃんとやってれば、たまにはちゃんと返ってくることもある。
 いつもってわけじゃないし、いつになるかも分からない。
 期待はしないけど、最善は尽くす。
 なんだかちょっとだけ大人になったような気がした。