「結花、まず中に入って! ダメじゃないこんなに冷えきって!」

 一度外に出かけた私たちだけど、千佳さんはお母さんの手を引いて再び部屋の中に入れた。

「よかった……、彩花……、無事で……よかった……」

「お母さん!」

 もう我慢できなかった。

 無意識にお母さんに抱きついて、私も声をあげていた。


 どれだけの時間、この寒い中をコートも着ずに待っていてくれたのだろう。千佳さんがかけた毛布の中でも、寒さで震えているなんて。

 全ての真実を知った今、こんなお母さんに風邪を引かせたりしたら……。私が親不孝で後悔する。

 小さい時は大きな存在だったお母さんだけど、いつの間にかほとんど同じ背丈。でも、お母さんには敵わない。

 どんなに絶望的な環境からも立ち上がってきた絶対的な人生経験。

 そうだよ、今の私の歳にお母さんはお父さんと婚約までしているんだ。

 一度は学校を去るという苦渋の選択をしながら、状況を建て直して、みんなに認めてもらえる努力を重ねてお父さんと結ばれた。

 そんな凄いお母さんたちなのに、その当時と同じ歳の私にはまだ1回目の恋愛経験もない。

「お母さん、ごめんなさい。私、酷いことを……。ごめんなさい……、ごめんなさい……」

「彩花が謝ることなんかない。私たちがちゃんと言っていなかったのが悪かったのだから……。あの書類とか手紙だけ見たら、彩花の反応の方が普通だよ……」

 うつむくお母さんを、初めて私が抱きしめた。

「ううん。どうしてあんなに素敵な恋のお話教えてくれなかったの?」

「自慢できる話じゃないもの……。誤解もされやすいだろうし……」

「ええっ? 『ドラマみたいな本当の話!』ってみんなに絶対に自慢しちゃうよ!」

 ドラマや漫画の世界でなくて、本当にあった憧れの恋愛物語(ラブストーリー)。その物語から生まれたのが私なんだから。

「彩花は強くなったね……」

「結花、よかったね。真実は何より強いんだって、よくあたしに教えたくれたじゃない」

 千佳さんが差し出したお茶をすすって、目をつぶった。

「ちぃちゃん、おいしい。ありがとう……。もう大丈夫。彩花、帰りましょう。もうこんな時間だから」

 聞けば、お父さんと、謙太君のお父さんは連絡を取って別の場所で待っていてくれているという。

「結花、彩花ちゃん解ってくれてるよ。もう大丈夫」

「情けないな……。ちぃちゃん、ありがとう。また来週お願いね」

 凄い、これを目で会話すると言うんだろう。たったこれだけの言葉で、さっきのことを全部伝えきっているんだ。私も、こんな大切な友達が欲しいと思った。



 二人で静まりかえった団地の道を歩く。

 自然と手を繋いだ。小さい頃はこうやって、いつもどこに行くときも放さなかったのに。

「お母さん……。ごめんなさい、ありがとう……」

「うん?」

 あれだけの話を聞いて、これだけでは済まないと分かっている。でも、胸がいっぱいで言葉がうまく出てこない。

「おにぎり、美味しかった……」

「食べてくれたんだ……。お母さんもね、病気になってからかな。本当の幸せって、すぐそばにあるんだってこと、何気ないことなんだって。それを教えてくれたのは、お父さんなんだよ。だから、お父さんは今でもお母さんの先生なの」

 恥ずかしそうに話すお母さん。これまでの壮絶な半生に比べたら、私はどれだけ恵まれているのだろう。私はその二人に包まれていたんだ。

 そんな当たり前の幸せに気付いていなかったことの方が恥ずかしい。お母さんの手をぎゅっと握った。