「小島先生、今日は大切な日なんでしょう? 早く帰ってあげてくださいね」

「園長先生ってばもぉ、そんなことないですってば」

「ほら、早く帰らないと、変な仕事が来ちゃうから、早く帰ってください」

 私は苦笑して、職員室から追い出されてしまったように幼稚園の外に出た。

 西の空を見上げると、ずいぶん日が長くなったように思える。そうだよね。もう3月だもの。


 まだ社会人2年目で、年長さんの担当ではないから、気持ち的には楽かも知れない。でも、もう少しすると、園で見慣れた子たちが卒園式で巣立っていく。

 職員室の中も、通常の保育時間が終わると卒園式の準備が進められている。

 来年度は私も年長さん担当になるのかな。園長先生に言わせると、私は年少・年中さんくらいまでがお似合いと言ってはくれているけれど。


 ……あれから6年の年月が流れた。

 決して平坦な道ではなかった。泣いて、怒って……、それでもいつも最後は笑ってきた。

 そして、今日は一つの節目を迎える。




 通い慣れた団地の道を歩き、そのお部屋に向かう。

「お邪魔します」

「あ、彩花ちゃん帰ってきた。おかえり!」

 今も千佳さんは私のことを昔と同じように接してくれる。

「今日の主役はどこに行ったの?」

「ちぃちゃん、お買い物してきたよぉ。謙太君持たせてごめんねぇ」

 玄関から、私のお母さんが買い物袋を提げて入ってきた。

「お母さん、主役に買い物お手伝いさせちゃダメだよ」

「はいはい。彩花も着替えておいで。そんな仕事着じゃこの場に似合わない」

 逆に言い返されて、私は隣の部屋に回された。

「もぉ、お母さんたら……」

「彩花姉ちゃん、どうしたの?」

 ハンガーの前で腕組みしている私に、後ろから声をかけてくる謙太君。

「絶対に策略だよねぇ」

「ホントだ。でも、懐かしいね」

 お母さんが持ってきていた私の服というのは、あのクリスマスイブで着ていたジャンパースカートを含めた一式。

 今でも私用のお出かけなどでは同じような服も多いけれど、これだけは大切にしまっておいた。

 そう、これは私が初めて大切な人と心が繋がった記念の証でもあるのだから。

 今日は謙太君の卒業式があった日。私は仕事で行けなかったけど、それよりも大事な日にしたかった。

 私たちが恋人として手を取りあったのが、クリスマスイブなら、新しいスタートはこの日にしようと決めていた。


「彩花さんと結婚させてください!」 


「そうか。彩花はそれでいいのか?」

 謙太君が私の両親に頭を下げる。答えは最初から決まっている。それも謙太君が生まれる前から決めていたって。それが分かっているから、誰もが笑顔だった。

「うん。他に誰も考えられなかった」

「二人とも、しっかりやるんだぞ?」

 食事をした後に、お父さんが私たちを車であのランドマークタワーに送ってくれた。終バスまでには帰ってくるんだぞと笑いながら。


 横浜港のイルミネーションを見下ろす展望室。謙太君が私の手に、小さなケースを渡してくれた。

「今回も給料3か月分にはほど遠いんだけど……」

「えっ? 私の指のサイズ覚えてたの?」

 ハートの模様が彫り込んである可愛いシルバーの指輪は、私の左の薬指にぴたりとはまった。

「いつも服を買っているお店の店員さん、ちゃんとサイズ覚えてたよ。だから、そこでお願いしてきた。次はちゃんと宝石屋さんで作るから」

「ううん……、これでいい、じゃなくて、これがいいの……。ありがとう……」

 人生で2つめの指輪がもうエンゲージリングだなんて笑われるかも知れない。それだけで涙が止まらなくなっちゃう、ふたつとも同じ人からだもの。それも私らしくていいじゃない?

「こんな私ですけど……。よろしくお願いします」

「こちらこそ」

 リングを付けた私の左手を握ってくれた。

 シチュエーションは、さすがにニューヨークの摩天楼をバックにした私の両親の壮大な物語には敵わなかったけど、このベイエリアの光は私たちの大切な風景。

「私ね……、幸せだよ……」

 あのクリスマスイブから温め続けた言葉を、旦那さまになる幼なじみに小さな声で告げる。

「彩花……。ありがとう……」

 目尻からこぼれ落ちる雫を、そっとハンカチで拭ってくれた。