お家には明かりが点いていて、お父さんが帰ってきていた。

「た、ただいま……」

「二人ともおかえり。お風呂湧いてるよ」

 何事も無かったように、お父さんはテレビを見ながら声を返してくれた。きっと番組の中身なんか見ていない。

 もしかしたら、もの凄く怒っているかもしれない。でも、お母さんに私を任せてくれている。

「お母さん、一緒にお風呂に入っていい?」

「いいよ」

 団地のお風呂だから、ほとんど同じ体格の私たちには決して大きくはない。

「なんか、彩花と比べたら恥ずかしいな」

 昔やってもらっていたように、今度はお母さんの背中をタオルでこすった。

「でも、十分に若いよ?」

「でもねぇ、もう見えないところはダメね。胸だってこんなに下がっちゃったし」

 違うの。これも千佳さんが教えてくれた。

 それは年齢というより、私のことを卒乳まで完全母乳で育ててくれたお母さんの勲章だから。保育園に預けられていたとき、お母さんは粉ミルクではなく、毎回搾乳器で採った母乳を私に届けてけてくれたというし、お家ではもちろん直接飲ませてくれたって。

「お母さん……、千佳さんが言ってた。傷を見せて貰いなさいって……」

「あぁ、これのこと?」

 とても今年40歳とは思えないほどくびれたウエスト。おへその横に、目立たない小さな痕が3つ。

「お母さん……。なんだか今日、お母さんのイメージがすごく強い人なんだって変わった」

「もう、ちぃちゃんたら……」

 私が今、同じ病気になったら、お母さんと同じように強く生きていけるのか分からない。

 お風呂上がり、お母さんは私の一緒に寝たいというお願いを聞いてくれた。

「お母さん……、私も、そんな恋ってできるのかな……」

「うん? いまでも、彩花のことを見ていてくれる人はちゃんといると思うけどな」

 真実を知ってしまえば、両親の軌跡は私たち女子高生世代にとっては羨ましいとしか思えないほどのピュアなラブストーリーだ。

「彩花はあの写真見たんだってね。本当は卒業アルバムに載せるつもりで水族館の人に撮ってもらったのよ。お母さん、自由行動の日は最初から一人だったから。でも、あんなことになってね。載せられなくなって、お父さんが大切に持っていてくれた。それで十分嬉しかったよ」

 お母さんたちの秘密をこっそり見て、早とちりして罵声まで浴びせてしまったのに……。

 自分の体よりもよりも私をこの世に産むと決心してくれた優しさと強さ。私はきっと、一生このお母さんに追いつくことはできないかも知れない。

「本当はね……。彩花が『お母さんが居たんだ』って覚えてくれる頃まで頑張れればいいって思ってたの。ここまで大きく育ってくれたなら、もうお母さんができる事なんてそんなに残ってないから。あとは、彩花が選んだ素敵な人と幸せになってくれればいい」

「ダメだよ。ずっと長生きしてくれなきゃ困っちゃうよ。お父さんはどうするの? お父さん一人にしちゃダメだよ。今日のことだって……、もっと私のこと叱ってよ。ねぇお母さん……」

 胸元に顔を埋めて、げんこつでポンポンと叩く。それなのにお母さんは私をそっと両腕で抱き締めてくれた。懐かしい匂い。幼い頃、眠れなくて困ったときは、卒乳したあとも、私はお母さんのパジャマのボタンを外して、おしゃぶり代わりにしていたことを微かに覚えている。

「ちょっといい……?」

 あの当時と同じように、お母さんの膨らみの上にある突起をそっと唇で吸いとってみる。

「もう……いくつになったの?」

「18……」

「そっか……。あれから、もうそんなに大きくなってくれたのね……」

 もちろんあの当時と違って、どれだけ吸っても母乳どころか何も出てこない。

 でも、何なんだろう。お母さんとつながっている安心感は、きっと私が次の世代に伝えていかなくちゃならないことなんだろう。

「お母さん……。私ね、自分のお母さんが、結花お母さんでよかった」

「彩花……。ありがとう……」

 言葉はそれ以上なかったけれど、お母さんは、私の髪を撫でてくれていたし、柔らかい胸元から伝わってくる温もりと懐かしいリズムを感じながら、私は数日ぶりにぐっすりと眠り込んでいた。