店主が肩を落とす。私が浮かない顔をしてたいたからでしょうか。私は「美味しかったです」と言うと頭に着けていたハチマキを取り、ぐるぐると右回転させていました。喜びの舞いでしょうか。なんだか不信を抱くのも馬鹿らしくなって、くすりと笑ってしまいました。っとすぽりと店主のハチマキが手からブーメランのように離れて飛んでいきました。壁にぶつかったようで、なにやら、ペコペコと焦りながら、どこかに謝っているではありませんか。
 ん。もしかして誰か他にいるのでしょうか。
 オオオオ。っと小さな振動が部屋を揺らした気がしました。
 地震? いや。気のせいだ。たぶん。
「えっと、お会計は」
 と私が言うと、店主は左右に首を振り、座れっとジャスチャーで伝えてきます。紙を持ち出し、習字の筆を持ち。書き出しました。そして流れてきた習字書き。

ーーデザート。その1ーー

「その1ですか」

ーー杏仁豆腐ーー

 真白な透明なカップに入ってぷるんぷるんの杏仁豆腐が流れてきました。手に取り私は食べました。普通に美味しい。杏仁豆腐になにか思い出などあっただろうかと考えていると視界が変わりました。
「──久しぶりだな。葵」
 自分と亮ちゃんが高校一年生のときの光景てした。ピンクの桜並木です。その背景を見て立ち尽くし、これは高校の入学式のことだと悟る。覚えている。
 父の転勤が終わり、私は親の都合で、高校を地元で受けることになり、偶然、同じ高校に入学した亮ちゃんと出会ってしまったのです。衝撃でした。あの頃は、もうお互い連絡しあうことは無かったからです。亮ちゃんも声を掛けるか悩んでいたのでしょう、どこか不安げな様子でした。
「……あのさ」
 言い淀む亮ちゃんは桜の花を見ては、私に視線を戻しました。まぁ、気まずいよなぁ。最後のメールは好きな人が出来た、だったのですから。
「あのさ、葵。杏仁豆腐、食うか」
「はぃ?」
 散々言葉を躊躇って出てきた言葉がそんなことで、私は思い出して、吹いてしまいました。
─あったな。そんなことあったわ。
 のちのち亮ちゃんは思わず声を掛けたが、なにを話していいかわからなくなって、あんなことを言ったんだと教えてくれました。しかし、そのころの私は要領を得ず、イラっとしたのを覚えています。
「どういうこと」
「うちの高校の売店にさ、紙パックで杏仁豆腐が売ってるらしいんぞ」
「……だから?」
「だから、買ってやる」
「なんで」
「人気があるらしくって……あぁ、もう、そんなこと言いたいじゃなくて、仲直りしたいって、言いたいんだよ」
「えっ」
 頭を掻きむしって亮ちゃんは、昔の自分を見つめました。
「深い意味はねぇーよ。ただ、これから同じ高校だろ、気まずいままが嫌なんだよ。友達として……」
 その情けなさが、可愛く思えて
「ふふ。あはは。亮ちゃん、なに、杏仁豆腐で私の気持ちを買収するつもりなの」
 可笑しくて昔の自分はお腹を抱え、満面に笑いました。亮ちゃんは驚いたような、少し頬を赤らめ、そしてとても優しい眼差しをしています。笑っている昔の自分は気づいていません。
 あの頃の亮ちゃんは、あんな表情をしてたんだと初めて知り、心がきゅっとしました。
 杏仁豆腐。
 そうだった。高校時代、なにかとあれば、亮ちゃんは必ず、売店の杏仁豆腐を買ってくれていたのです。テストの点が絶望的に悪かったときや、体育祭のリレーで転んで最下位になりクラスに迷惑かけたとき、それこそ亮ちゃんと喧嘩したとき。そんなとき必ず杏仁豆腐を買ってきてくれました。
「ほら、葵。食え」
「餌付けみたい」
 なんて言いながらも、甘くて喉を通る杏仁豆腐が甘くて甘くて。するする喉に流れていった。好きな気持ちと一緒に……。
──ざぁっと、突風が吹き、遅く咲いた桜が散り散りに舞った。──入学式のあの日。
「亮、その子だれ」
 っとさばさばとした子が亮ちゃんの肩を馴れ馴れしく触れ現れました。それは私の高校のときの友達でした。
 そのとき私は気づいていたのです。さっちゃんが亮ちゃんのことが好きだって……。
 ピンク色の桜が徐々に薄らぎ、橙色の柔らかな照明にかわりました。私はまほろにいました。
「馬鹿な葵」
 景色が戻ったことにも頓着せず、私はあの頃の感情に浸っていました。
 高校で再会して間もないころ、私は亮ちゃんを友達以上に好きになることは、もうないと思っていた。それよりも、新しく出来たばかりの友達と、もっと仲良くなりたかった。だから、さっちゃんに協力した。
 本当に馬鹿だった。
 亮ちゃんから杏仁豆腐を貰うたび。するすると好きな気持ちが心に沈んでいった。それでも気づかない振りをしてた。
「馬鹿な葵……」
 食べかけの杏仁豆腐をラップするように、あのころの私は、透けて見えそうな気持ちに蓋をしたのだ。結果、人の気持ちを踏みにじることになる。あの頃、そんな簡単なことにも気づけずにいたんだ。
 杏仁豆腐を食べながら、若すぎる行動を思い出し心がズキズキと痛んだ。
「ごちそうさまです」