心から出た感謝の言葉に店主はあからさまに、喜び、バンザイをしていました。もう、違和感だらけでも、どうでもよくなっていました。それよりも早く次の品が来ないかと思うようになっていたのです。

ーーカレーライスーー

 次の品でした。
「やった」
 待ち構えていたカレーが流れてきて、私は心が弾みました。温かなお皿を手に取り、スプーンでカレーを掬う。何種類かのスパイスの香りが鼻をくすぐります。大きめのジャガイモを頬ばると、どこか甘みを感じました。ごろごろのお肉も食べました。
 あれ? これ牛肉でもなく鳥でもなく、豚肉だ。 それに……。カリ。
 細かく刻まれた香ばしいアーモンドに私は懐かしさを感じ、食べる手を止めました。
 この味は……。
 遠くで蝉の鳴き声が聞こえてきます。まほろの店内が霞に覆われ、唐突に大きな蝉の鳴き声が耳障りに騒ぎ出しました。すると私は6畳間の和室に立っていたのです。もう驚きません。ここがどこなのかきょろきょろとする。開け広げられた窓からは夏虫が賑わい、強い日差しが縁側を照らしていた。よく伸びた雑草に、楠木が一本あり、そよそよと風が吹く度にカサついた音を立て木々が揺れていた。
 この場所は……。
 すらりと障子が開く。真っ白な髪をまとめた老女が、割烹着(かっぽうぎ)で濡れたらしい手を拭きながら言った。
「葵。昼ごはんは、なにがいいかい」
──おばあちゃんだ!
 5年前に亡くなった祖母でした。そうか、ここは父の実家だ。もう会うことのない祖母を目の前にしてぎゅっと心が嬉しさに震える。
「カレーが食べたい。頭が麻痺するくらい辛いやつ」
 中学二年生の自分が不貞腐れながら畳のうえで寝転がっていました。
「この暑いのにカレーなんぞがいいんか」
 祖母は首を傾げながらも「まっちょり」っと言い台所に向かった。残された昔の自分はスマホを見て、つっと一筋の涙を流すと、ゴミのようにスマホを畳に置いた。
 私はスマホの内容を覗き見た。

 ごめん葵。好きな人が出来た。

 離れ離れになった亮ちゃんからのメールです。すっかり忘れていましたが、そんなこともあったのです。子供にとって一年、一年は、大人の時間よりも長く感じたもの。私たちはの心は、すっかり溝が出来てしまったのです。初めこそは豆にメールをしあって、日常のことや新しい友達のことを伝えあっていましたが、ひと夏が過ぎるころから、徐々にメールの回数が減っていった。しだいに暑中見舞いや正月などでしかメールをしなくなってしまった。そんな夏のことでした。
 昔の自分はどこか寂しそうな、後ろめたいような、それでいてどこか怒ったようにスマホを掴むと慣れた手付きでメールの返信をする。

 私も好きな先輩が出来た。

 それは強がりでもなく事実だった。お互い攻めることはできません。なのに何でしょうか、このやるせない気持ちは。
 私はあの頃の気持ちがむせ返りました。今だから言えるが、先輩への思いは、恋に恋をしていたのだと思います。
 それでも、私たちはそのときの気持ちが本物だったのです。
「──葵。出来ちゃよ」
 大きな声で祖母に呼ばれ、スマホを持って昔の自分は食卓に向かう。それに続く。カレーの香りが充満する食卓で着席すると、すぐになみなみに盛られたカレーがテーブルに置かれました。
「いただきます」
 昔の自分が食べだす。祖母のカレーは少し変わっていた。鶏肉が嫌いな祖父を気遣って、安価な豚肉を使用し、コクを出すため、ひと欠片のチョコレートを入れていました。そしてアクセントに、きざんだアーモンドを散りばめるのです。こりこりとした食感のアーモンドは、香ばしさが鼻を抜ける。しかし、歯に挟まるのが難ではありました。
「どうしたね。葵」
 昔の自分は食べながら、ポロポロと泣いていました。なぜ、泣けるのか、わからなかったのです。
 歯に挟まるアーモンドが、取れそうで取れない。そのなんともしがたい状況は、あの頃の自分と亮ちゃんに似ている気がします。
「ばあちゃん」
 ざめざめと泣く自分。感情が蘇る。そこにモヤがかかりだしました。
 ああ、あの頃の時間が終わるんだ。そう感じました。そうです私は、気がつくと何事もなく、まほろに佇んでいたのです。目の前にはカレー。私はもくもくと食べました。
 これ、おばちゃんの味だ。
 しば漬けの塩っぱさとアーモンドの甘さがカレーに絶妙に混ざりあった懐かしくて美味しいカレー。
 もしもあのとき、違うメールを返信していたら。もしもあのとき亮ちゃんと離れていなかったら。
 あの頃の自分達はどうなっていたのでしようか。
 そんな、もうどうにもならい過去に私は、しんみりしながら思ったのでした。
「ごちそうさまです」