「私には4歳の娘がいますの……」

 グリージュス公クラーラは語る。
 聞いたことはあった。亡夫である前当主との間に生まれた子だ。女子相続が認められている帝国法に照らせば、この女の子にも次期当主となる資格はある。だが、現実はそれほど単純ではない。
 2代続けて女性が当主となった前例がないため、家中に反対の声が多いのだ。
 グリージュス家には、クラーラの義理の従兄弟にあたる18歳の男子がおり、さらに亡夫は愛人との間に8歳の男子をもうけていたことが最近明らかになった。

「私はなんとしても、娘に……リリナに家督を相続させたいの! 少なくともあの女の息子になんて、銅貨1枚、土地のひと掴みだって渡してなるものですか……!」
「それが、先代がトカゲの尻尾切りにあった後も、クロイス公に従い続けた理由ね?」
「ええ、そうですとも。クロイス公は、娘の後見人となってくれる約束をした。だから従っていたのだけど……あの人の約束なんてもはや信用できない」

 相続、か。
 理解は出来るが、共感は難しい感覚だった。
 職人の娘エリーナとして生まれたアンナには、子孫のために財産を残そうという感覚が乏しい。職人の財産といえば、代々継がれてきた工房の技術だが、それだって実子が継ぐ必要はないのだ。むしろ無能な我が子より有能な弟子、というのが帝都職人の感覚である。
 エリーナがアルディスの寵姫となってからは、彼の子を望みはした。けど、それだってアルディス個人を愛したからで、別に皇帝の母になりたかったわけではない。自分かアルディスに、子をなす力がないとわかると、それからは帝国そのものを子供として慈しむよう思い定めた。
 そして今、ホムンクルスであるアンナは確実に子供を作ることができない……。

 だから、実の娘に全てを与えんとするクラーラの執念に呆れつつも、羨ましさも感じていた。

「では新女帝陛下に、御息女の後見人となっていただきましょう」
「陛下に!?」

 クラーラは大きく目を見開く。
 皇帝が貴族の後見人になる。前例が無いわけではないが、かなり特殊なケースのはずだ。

「そうすれば、あなたの不安は何もなくなるはずよ?」
「確かに……それは、そうですが……」

 この話が実現すれば、クラーラ親娘の未来は安泰だ。彼女たちのどちらかが「病死」でもしない限り、将来グリージュス公爵家の家督は娘に受け継がれることになる。
 同時に、グリージュス公が皇妃派についたことを貴族たちははっきりと理解するだろう。アンナにとってはこれこそが重要だ。

 晩餐会で給仕から隠し手紙を受け取った時から、アンナはこの女をどう使うか考えていた。アンナとの関係は伏せさせ、そのままクロイス派に潜伏させようとも思ったが、やはり二重スパイとなる危険性は捨てきれない。
 ならばむしろ、誰の目から見てもわかる形でクロイス公を裏切らせる方がいい。「あの宮廷女官長が皇妃派になびいた」という事実は、逆転した両派の力関係を象徴する事件となり、その差を大きく引き離す要因となるだろう。

 * * *