しばらくして、やっとグロッキーが治ったらしい虎ノ門さんは、初対面の時と同じ人間の姿で戻って来た。ただし顔は痩せて真っ白だ。
私の隣の席にヨロヨロと腰掛けると、冬至さんがさりげなく、お腹に優しい緑茶を出してくれた。
「…アリガト冬至ちゃん…。
月見ちゃんも、迷惑かけてゴメン…。」
「…だ、大丈夫ですか虎ノ門さん?
ごめんなさい、私が煽っちゃいましたね…。」
「…いやぁ、浮かれ切ったオレが悪かったよ。
ホストのくせに、オレって下戸でさぁ…。
獣臭さを隠すために香水ガンガンに振るから嗅覚も年々おバカになってるし…。本当何やっても空回りって感じ…。」
さっきのハイテンションが嘘のよう。
虎ノ門さんは体質をすごく気にしているらしく、私の傍らに寄せ集められている空のジョッキ群を苦々しく見ている。
「…なんで可愛い顔してそんな飲めるワケ?
月見ちゃん実は蟒蛇妖怪だったりする?」
「エッ!?…や、これは体質で…。」
私の場合は職業柄、お酒に強い方が何かと得だ。飲みの席での話も弾みやすい。生まれつきの私の武器。
…だから、下戸の人の気持ちは考えたことがなかったな。
「…あの、お酒飲めなくてもいいんじゃないですか?
虎ノ門さん、人に好かれそうだし、一緒にお喋りするだけで楽しいでしょ?」
「お喋りだけで済むならいいけどさぁ…。
ホストだとどうしても酒が絡むから難しいのさ。
…バカって思うだろ?違う仕事探せばいいのにって。」
大変。ネガティブモードに入ってる。
こういう時私なら、細かい理屈抜きで肯定してほしいものだ。
「でも続けてるってことは、虎ノ門さんには今のお仕事が大切なんだ?」
虎ノ門さんは空のジョッキを睨んだまま、低く「ウン」と答えた。
「……畏怖、とはちょっと違うケド、皆オレのこと覚えててくれるからさ。
オレに会えるからって、女の子達は高い酒入れてくれるし。オーナーもオレの見た目気に入ってくれてるし。
オレはさみしー奴なのさ。
長いこと人間に忘れられてっとさ、自分が妖怪なのか動物なのか分かんなくなって、不安になるわけ。で、自分が必要とされるところに依存しちゃうわけ。」
「………。」
寂しい。不安。依存。
その負の気持ちのコンボに、私は覚えがある。ただ目の前の業務をひたすら片付ける流れ作業。本心を後回しにして笑う日々。
本来の自分が分からなくなっちゃう感覚。
「虎ノ門さんは、今幸せ?」
私の何気ない問いに、虎ノ門さんはちょっと考える間を設ける。
目を瞑ってウーンと唸って、その体を再び大きな白虎に変化させて、導き出した答えは、
「あ!幸せだわ!
酒で失敗することはあるけど、何だかんだ、ホストやってる自分好きだし!」
そう言う彼の顔に、しょぼくれた様子はもう無かった。
「オレらの寿命はなげーからね。
あと100年くらいは、今の店で頑張るつもり。そんでまた、人間達の畏怖を集めて大妖怪に返り咲くのが夢だなぁ!」
「ふふっ…迷いなく言えちゃうのイイですね。羨ましいなぁ。」
自分の役目に誇りを持ってる感じ。
今の自分が好きだと言える感じ。
未来を見据えた夢を抱いてる感じ。
それら全てが、心から羨ましかった。
「その頃にはオレだって、お猪口一杯分くらいの酒は飲めるようになってるはずさぁ!
ネッ、冬至ちゃん?」
「日本酒は度数高いっすよ。」
ちょっと元気を取り戻した虎ノ門さんに、冬至さんが新たなお椀を提供する。
きのこ汁とはまた違う香り。具沢山な汁物の中に一本、細長いたけのこが入っている。たけのこ汁だ。
「食ったらこの後また仕事でしょ。
あんま無理しないでくださいね。」
冬至さんの吊り目が、とっても優しい。
お出汁と同じくらいホッとするその顔に、虎ノ門さんは涙をブワッと溢れさせた。
つられて私も胸をときめかせた。
「…アリガト冬至ちゃん…!月見ちゃんも…!
たまにはこうやって自分を労わねーと、現代社会やってけねぇよなぁ〜!
お互い頑張ろうなぁ!」
巨大な肉球の手には、たけのこ汁のお椀はまるでお猪口だ。
乾杯のジェスチャーをとってくれた虎ノ門さんに、私もまたほかほかのきのこ汁のお椀で応えた。
「ハイ!頑張りましょう!」